【3.11特集】東北の漁師・農家さんが歩んできた苦難と感謝、そして希望を見つけた6年間の物語

3月11日で、東日本大震災から6年が経ちます。「もう6年」なのか、「まだ6年」なのか。復興の道のりや速度は様々ですが、被災地はあの日から長い年月をかけて一歩ずつ、希望を見出しながら前に進んでいます。


主要産業である農業や漁業も、壊滅的な被害を受けました。それでも、「この味を消費者に届けたい」「あのとき助けてもらったから、今度は感謝の気持ちを届けたい」。そんな思いで立ち上がり、日々奮闘する漁師さん・農家さんがたくさんいます。


あの日彼らが経験した絶望や、それでもなお海や畑に向き合う理由は…。まもなく6年という節目を前に、改めて東北に思いを巡らす機会にしてみてください。


[福島県相馬市]菊地基文さん

商品:日本一のフラットフィッシュ☆旬のカレイ類詰め合わせ


震災当時、菊地基文さんは漁船のNo.2である下船頭でした。10年以上に及ぶ下積みを経て、いよいよ船頭になろうかというタイミングだったのです。しかし、福島第一原発事故の影響で1年3カ月間にわたって操業を自粛。2012年6月に漁場や魚種を限定した試験操業を開始したものの、6年経つ今も全面操業は実現していません。 

それでも、前を向いて懸命に働いています。加工商品の開発やPR、魚食の普及活動などに精力的に動き回っているのです。


困難な状況に屈せず前進しようという姿勢は、51歳という若さで亡くなった父・清照さんから引き継いだDNAなのでしょう。清照さんは廃業の危機を何度も乗り越え、必死に船を守り抜いてきたからです。


福島県沖は親潮と黒潮がぶつかるプランクトンが豊富な海域で、そこで獲れる魚介類は東京・築地をはじめとする各地の市場で高値で取引されていました。父のように、何度でも困難を乗り越える。そんな決意で、菊地さんは今日も海で奮闘しています。


[岩手県陸前高田市]佐々木学さん

商品:牡蠣バカがつくる米崎牡蠣


佐々木学さんには、震災を経験して気がついたことがあります。それは、「ただ売るだけじゃダメだ。食べる人たちともっとつながり、自分たちの言葉で牡蠣の価値を直接伝え、販売できるようにならないと、この地域の漁業に未来はない」ということです。


絶対的な自信をもっていた「米崎牡蠣」ですが、都会からボランティアで訪れる人たちの多くが、その存在を知らない事実に唖然としたそうです。これだけ品質にこだわり、手間暇かけて育てたのに、都会の消費者は知らない。大きなショックを受けました。


それ以来、「やってみなきゃ分かんない」精神で漁業体験ツアーを開催したり、現場の漁の様子を撮影した動画を配信するなど、米崎牡蠣の価値を広く発信しています。

そんな佐々木さんのモットーは「一生勉強、一生挑戦」。地域の漁業再生に向け、この先も挑戦を続ける決意です。


[宮城県南三陸町]阿部徳治さん

商品:そのまま火にかけるだけ!牡蠣の缶パック 


町の6割が被災したといわれる南三陸町。阿部徳治さんも、自宅や作業場がすべて津波によって流出しました。絶望の中でかすかな灯りを照らしてくれたのが、全国から駆けつけたボランティアの存在でした。


「南三陸町は海が綺麗で海産物はとても美味しい」。ボランティアが発した言葉は、30年前に阿部さん自身が感じた漁師の原点そのものでした。阿部さんは「それを思い出させてくれた」と言います。


いま阿部さんの頭の中は、やりたいことや夢で溢れています。例えば、漁業の6次化観光振興です。自ら育てた海産物をオリジナルのアイデアで加工・販売する6次化に挑戦することで、若い世代や女性の担い手を増やしたいそうです。さらに、漁の現場を体験してもらう観光にも力を注いでいます。

南三陸から新しい漁業をーー。あのときの感謝を胸に、挑戦を続けています。


[福島県相馬市]菊地将兵さん

商品:相馬ミルキーエッグ


「相馬のものはうちの子供には食べさせたくない」。原発事故による放射能への不安から、かつて知人にこう言われたことに胸を痛めたそうです。ただ、菊地将兵さんはそんな受け入れがたい現実と正面から向き合い、地元・相馬で農業を続ける覚悟を決めました。


実は菊地さんは、震災から2カ月後という信じられないタイミングで農業を始めたのです。当然、周囲からは反対の声も上がりました。小さな息子と娘を抱え、それでも叶えたい願いがあったのです。


「相馬を世界に」「生まれ育ったふるさとを盛り上げたい」。菊地さんを突き動かしているのは、こうした思いです。そして、2015年に販売を開始した「相馬ミルキーエッグ」は、今では地元の助産所の食事で使われるほど、多くの人から信頼されるようになりました。


[岩手県大船渡市]佐々木淳さん

商品:恋し浜ホタテ


森の養分をたっぷり含んだ川が、海まで流れ込むリアス式海岸。プランクトンが豊富で養殖に適した漁場では、栄養満点のホタテが育ちます。

 

そこに押し寄せた巨大な地震と津波。海の底にはまだガレキが埋まっていますが、佐々木淳さんたち漁師が自ら「ダイバー」となって海に潜り、掃除を続けているそうです。

 

佐々木さんは苦難に立ち向かい、「恋し浜ホタテ」のブランド化に取り組んでいます。父親の世代の漁師たちが「量を減らして、質を上げる」と決め、1988年には東京・築地市場で最高値を記録したホタテ。漁師が数量制限を設けることは異例ですが、浜のホタテを地域のブランドにしたいという強い思いから実現したのです。

 

その意志を受け継ぐ佐々木さんは今、一般の人に海や魚のことを知ってもらうための「学び舎」やホタテの養殖見学ツアーを開催するなど、新しい仕掛けを次々と実施しています。


[宮城県雄勝町]佐藤一さん

商品:銀鮭・刺身用柵と焼き用切り身セットなど

 

雄勝町は石巻市の半島に位置する小さな浜町で、震災前に4300人ほどいた人口は現在、1000人以下にまで減少。都市部と比べて、減少率は高いままの状況が続いています。ただ、もともとサーモン(銀鮭)や牡蠣、ホタテの養殖が盛んな地域で、豊富な資源に囲まれています。


その資源を雄勝ならではの付加価値に変えて、漁業やまちの再生に挑んでいるのが佐藤一さんです。震災後、漁師仲間と一緒に株式会社雄勝そだての住人を立ち上げ、海産物のブランド化や町内外の人たちとの交流イベントなどに積極的に取り組んでいます。


佐藤さんは、「震災前には想像もできなかったような人と人とのつながり、出会いが生まれました。まるで全国にたくさんの親戚ができたような感じです」と話します。「食」を通して、これからも新しい出会いやつながりをどんどん積み上げていきたいと考えています。


他にも!三陸で活躍する漁師さん・農家さんたち

[宮城県気仙沼市]佐々木夫一さん

気仙沼の名物・レジェンド漁師。震災を経てもなお「海は恋人」と力強く語り、若手が憧れる存在になっています。


[岩手県大船渡市]及川武宏さん

「三陸に100年続く新しい文化を」と、地域をワインの産地にして観光客を呼び込む構想に着手しました。


[宮城県塩釜市]赤間俊介さん

ワカメや昆布、アカモクなどの海藻類のブランド化に挑戦。オリジナル商品を数多く手がけています。


[岩手県大船渡市]千葉豪さん

東北の水産業のリーダーたちが立ち上げた「フィッシャーマンズ・リーグ」の一員。ワカメやアワビを獲っています。


風評被害に立ち向かう!福島で奮闘する農家さん

[いわき市]白石長利さん

海に程近い浜通りで、こだわりの野菜を生産。「食」によるコミュニティづくりに邁進しています。


[会津若松市]佐藤忠保さん

内陸の寒冷地で、寒さを耐えしのいで甘みを蓄えた「雪下ネギ」を生産しています。


[福島市]加藤晃司さん

県が15年かけて開発した新品種「天のつぶ」を中心に米を栽培。入念な検査を実施し、出荷しています。


[郡山市]齋藤幸江さん

「子供たちの未来に残せる農業をしたくて、福島から持続的な農業、始めました!」。お米を販売しています。


[いわき市]市川英樹さん

2014年、福島第一原発のオペレーターとして移住。翌年に畑を借り、野菜作りを開始。古民家を活用し、民宿経営にも意欲を燃やしています。


[伊達郡]亀岡隆宏さん

東京での9年間にわたるIT企業勤務を経て、2016年に帰郷し就農。皇室に献上している桃や、あんぽ柿を栽培しています。


[喜多方市]江川正道さん

「農業者が伝えるべきなのは、農業の楽しさや素晴らしさ」。アスパラ栽培のほか、新規就農のモデル構築にも取り組んでいます。

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