伊勢海老漁に民宿に。伊豆下田の”藤井家”がスゴかった

ある時は、わいわいガヤガヤ

そのまたある時は、ざっぱーん!!

またわいわいと思いきや……

「しっ! 赤ちゃん寝てるから、みんな静かに……」

2019年4月、静岡県・下田で伊勢海老漁を営む藤井さんご一家の元へお邪魔したポケマル取材班。そこで目にしたのは、家族とも職場ともひと味違う、”藤井家”というチームでした。

\この記事は3本立てです/

  1. 刺し網漁ってどんな漁?
  2. 伊勢海老のオスとメスはここが違う!
  3. 伊勢海老漁に民宿に。伊豆下田の”藤井家”がスゴかった(この記事です)
 

目次

     ここに目次が表示されます。    

"藤井さんち"って何屋さん?

伊勢海老の漁場

「あなたと越えたい」でお馴染みの天城山をはじめ、険しい山々がそびえる伊豆半島。その南端に位置する静岡県下田市の海岸沿いは、南国情緒たっぷりの一大リゾートエリアです。

青い海と美しい砂浜の広がるこの地域に暮らす藤井さんご一家を訪ねたのは、4月初旬のこと。伊勢海老漁の漁期も終わりに差し掛かり、春休みも終わり、忙しさが落ち着いてきたかなという頃でした。


「伊勢海老と藤井家の歩みについて、とことん聞き込み調査だ!」と意気込んで向かった私たちを待っていたのはこちらの方。

金目鯛知ってるでしょ? あれを有名にしたの、ボク。ボクが高級魚にしちゃったんだよね〜

予想の30倍上を行く藤井家の父・多喜男さんの出迎えに、目が点になる取材班。

さらには、「ペンション経営しててさぁ」「体育館も持ってるんだよね」「そう、お父さんは漁協の理事もやってたのよ」「あ、ボクはね、以前までサラリーマンで…」なんて、次から次へと家族全員がしゃべり出します。


一体みんなどうしたの!? なんでそんなにいじりがいのあるネタを持っているの!? 何者なんだ、こちらのご一家はーー!?

……と、ツッコミたいのは山々ですが、まずは落ち着いて、藤井家のメンバーを紹介しましょう。

父:多喜男さん

一家の大黒柱、多喜男さん。”海の男”というと、荒々しくちょっと怖いというイメージがありましたが、多喜男さんはまるで凪いだ大海原のような存在でした。


母:京子さん

いつお会いしても、何かしらの作業を笑顔でこなしていたお母さん。子供たちも口を揃えて唱えるほど、一家を支える「働き者」です。


長男:敬久さん

脱サラをして、今では藤井家の仕事に全力投球するお兄さん(写真右)。今年1歳を迎えるお子さんのパパでもありますが、実はもうひとつの顔も持っていて……?


長女:美帆さん

藤井家のポケマル担当、美帆さん。伊勢海老の説明をするときも筆者は「こんなに分かりやすく教えてくれるなんて…!」と感動していた一方、どこかで会ったことがあるような気もしていたんです。その理由は後ほど明らかに。


次男:大喜さん

父:多喜男さんと一緒に海へ出る大喜さん。一人目のお子さんの誕生を機に地元へ戻ってきたそうです。持ち前の人懐っこさは子供の時からで、取材班を優しくアテンドしてくれました。


さらに敬久さん大喜さんそれぞれの奥様とお子さま3人が加わり、大人7人、こども3人、合計10人の大家族で暮らしています。


全てはペンションから始まった

網に大きな穴が空いているとかっこ悪いだろ? 『お前の網は馬が通る』って言われちゃうんだよ

漁で破れてしまった刺し網の補修をテキパキと進めながら、ユーモアを振りまく多喜男さん。和気藹々とした雰囲気の中、筆者が口にした何気ない質問が、壮大なファミリーヒストリーの始まりとなるとは、この時予想だにしていませんでした。


先代も、もちろん漁師さんだったんですよね?

いや、父は漁師じゃなくて商業船の乗組員。東京の迎賓館にいたんだ。

へえ!? ならばなぜ今こうして漁業を?

ボクも昔は漁師じゃなくて、家内とふたりでペンションをしてたんだ。ちょうどペンションブームの初期でね。けれど当時の伊豆はまだマイナーなエリアで、ペンションも2軒くらいしかなかった。食材費も馬鹿にならないくらい高いから、ボクがお客さんにお出しする魚を釣ってたのがはじまり。もともと魚釣りも趣味だったからね

まさか、そんな始まりだったとは

そのうちペンションと一緒に釣り客向けに遊漁船なんかもはじめたりして、最初は二足のわらじだった。そしたら地元の漁協に「働かないか?」と誘われてはじめは非常勤で働きはじめたんだ

つまりヘッドハンティングされたんですね

そしたら次は漁協の役員に推挙されちゃって! となると常勤だから、家の仕事ができなくなる。相談してペンションの仕事は全部家内に任せることにして、ボクは漁協の仕事一本に絞ったんだ

出世街道まっしぐらですね。そしたらお母さん、大忙しになっちゃいましたねぇ

そうね、ハイシーズンの夏なんて大変だったわねえ。4階建てのペンションと体育館も持っているから毎日必死だったわ

たいいくかん……? あの、ええと、体育館って個人所有するものなんですか……?

部活動の合宿向けに体育館を建てたのね。だから夏場は合宿客に宿泊客に大盛り上がり朝から晩まで働いたわ

うおお、これが伊豆バブルか……! そしてご夫婦揃って、ものすごい経営手腕を発揮されていますね。ところでご両親が朝から晩まで働く中、お子さんたちはどんな風に過ごしてたんですか?

もちろんお手伝いもしましたよ。体育館では遊ばせてもらえなかったけど、掃除をしたり、遊漁船のお客さんに「釣れましたか〜?」って接待したり(笑)。ご飯もみんなそれぞれ調達して食べるといった感じで、兄弟みな各々生き抜いていました。弟の大喜なんて人懐っこいから、知らない人たちのBBQに紛れ込んでましたね〜

なかなかサバイバルな幼少期でしたねえ

常に両親を見ていて「よく働くなあ」と子供ながらに感心してましたよ。特に母はいつも目の前で朝から晩まで動き続けてましたからね


金目鯛を高級魚に。多喜男さんの考える漁業のあり方

伊勢海老の刺し網を仕掛けに海に出る多喜男さん

地元漁協の役員に推挙された多喜男さんでしたが、それは序章に過ぎませんでした。その後、専務に出世し、最終的には理事長までのぼりつめたのだそうです。しかし一方で、漁業のあり方について悩んでいたともいいます。

よく「漁師と農家は違う」って言うじゃない?  船上は波や風、エンジンの音でうるさいから声もでけえし、常に死と隣り合わせの危険な作業だから、漁師はついつい言葉も乱暴になるんだよね

確かに農業従事者とは違うと言われるのは、それが所以かもしれませんね。しかも稼ぎはその日獲れた分となると、よりギラギラしちゃうものですよね

そう、漁は獲れるときに獲らないとダメなんだ。明日はどうなるか分からないからね。……とは言っても、現実には、獲れないときも漁業者は食べていかなきゃならない漁協にいるとき「どうにかしないと!」と思ってたんだ

それが、冒頭の台詞「金目鯛を高級魚にしたの、ボク」に結びつくのです。

多喜男さんの作業用BGMは永ちゃんこと矢沢永吉。大喜さんからプレゼントされたBluetoothスピーカーで聴く

同じ量を獲ってよりお金にするにはどうしたら良いと思う? 答えは”単価を上げる”。そのときに目を付けたのが金目鯛だったんだ。今でこそ金目鯛は高級魚だけど、当時は全然値段の付かない魚だったんだよね

ええ〜っ! だって金目鯛といえば高級旅館の夕食で煮付けや刺身で定番だし、伊豆のお土産でも鉄板ですよね

そうそう、でも以前は違ったんだよ。当時からボクは漁協の役割を「漁業者の生活を向上させること」だと考えている。だからこそ旧態依然のことを続けてはいけないし、その時どきの状況に応じて新しいことをやらなきゃならない

自然が相手だからしょうがない……けれど、漁業者の生活がかかってるんですものね

だから今獲れている魚の単価を上げることで、より生活を豊かにしようと働きかけた。結果的には金目鯛の単価は上がり、今日のような高級魚としてのポジションを確立できたんだ


退職後の平穏な日々に耐えられなかったんだよね〜

伊豆半島の南端、石廊崎から望む夕陽

常に全体を、そして先のことを考えて行動している多喜男さん。漁協の理事長は5年勤め上げ退職、その後ペンションも畳み、夫婦水入らずで穏やかな日々を過ごしはじめました……と思いきや。

いやー……3年くらい無職やってたんだけど

わたしたち、無職に飽きてね(笑)

オオン……

呑気な生活に3年で飽きたふたりは近くの保養所を買い取り、新たなビジネスに乗り出しました。それが今も漁業の傍ら経営している温泉宿「ならいの風」でした。

写真:ならいの風ホームページより引用


それをキッカケに地元でサラリーマンをしていた長男(敬久さん)が帰ってきて、宿の経営と潜り(潜水士)で本格的に家業に参入して。そしたら次男坊(大喜さん)も「一人目が生まれるから、のびのびとした場所で育てたい」と帰ってきたんだ。

今は次男には海半分、宿半分担当してもらっているけど、後々ボクが動けなくなったら海の方を継いでもらいたいな、と

多喜男さんと大喜さんは息ぴったりコンビネーションを見せてくれた

それぞれ都会でパワーアップした子供たちが帰ってきて、新生チーム藤井家がスタートしたんですね

それこそ家族総出ってやつだね。海は俺と次男坊、潜りと経営で長男、宿のことは家内。それぞれの場所にプロフェッショナルがいる。個人の良いところを生かすチームだ


目指すのは”漁師直送の食育”

帽子姿がかわいい美帆さん

家族だけど仕事仲間、そして技能集団。一般家庭の枠を越えた藤井家に、満を持して、新たな戦力となる人物が帰ってきました。

水族館のお姉さんになるのが、小さい頃からの夢だったんです。水族館に就職できるように大学は水産系に進み、イルカの研究をしていました。無事、就職した後は水族館で魚類チームのリーダーとして働いていました

と語るのは、伊勢海老を網から外す作業の時に優しく丁寧に教えてくれた長女の美帆さんです。

\ぽややや〜〜〜ん(回想)/

伊勢海老のお腹側を見てみてください。ほら、メスには丸いびろびろの中に毛が生えているでしょう? ここで卵を守ってあげるんです

へぇ〜〜!!わかりやすーい。美帆さん、教育テレビのお姉さんみたーい

伊勢海老の体のつくりについて教わりながら「どこかで会ったことがある気がする」と思っていたのですが、まさしく水族館のお姉さんです!  なるほど合点がいきました。


せっかく夢だった飼育員になれたのに、どうして実家に戻ることにしたのですか?

水族館にいらっしゃったお客さんを眺めていたら、あることに気付いたんです。水槽の中で泳ぐアジやサバを見て、日本人のお客さんはみんな『おいしそ〜』って言うんです。それって海外の方にはない反応で、身近な食材がある日本ならではらしいんです

確かに私もおいしそうって思っちゃうかもしれません。いつも食べているお魚たちはこんな風に海中を泳ぎ回ってたんだなって

課題に気付くこともありました。たとえば、お客さんにお魚のことを説明するとき「あの魚は不味いです」と伝えることはあるのですが、実際に食べたことがない飼育員がたくさんいたんです。

「不味い」と言いながら、具体的にどう不味いのか、本当に不味いのかどうかは、食べてないから表現できない。「じゃあ、うちは漁師もやってるから食べにおいでよ」と

みなさま、どんな反応を?

「うわ、予想通り不味い!」とか「意外と美味しいじゃん」とか色々でした。結果的に水族館のお客さんに、より実感を持って説明できるようになりました

飼育員の方々も、実際に命を頂いたおかげで、生き物たちのことをより深く知ることができたと。つまり、美帆さんは水族館と食卓を繋げたわけですね

そんなときにふと実家に目を向けたんです。

宿の食事でお魚を提供したり漁協への出荷はしていたものの、それ以外の人たちに実家で獲ったお魚が届くことはありませんでした。しかもその部分を担当する役割の人間もおらず。「ならば私が!」と水族館を退職し、もっと多くの方にうちの魚介類を食べてもらうため、藤井家で働きはじめたんです


美帆さんが藤井家で働きはじめた理由。それは漁師直送の食育のためでした。

ポケマルは私たちにとっても日々勉強になりますよ。特にコミュニティ投稿で見る食べ手さんのおいしそうな料理の数々が印象的です。

漁師って調理には無頓着で、伊勢海老はいつも蒸してマヨネーズ付けておしまいが多いんです。だからみなさん手を尽くして料理してくださって感動してます! おいしそうなお料理は真似して宿のお客さんに出したりすることもあるんです(笑)


大海原が育んだ家族の物語はこれからも続きます。潮の流れを読むように時代を読み、家族一丸となって前へ進む。漁業者と食卓を繋ぐ渡し船、それが藤井家なのかもしれません。


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Writer

大城実結/MIYU Oshiro

フリーランスライター・編集者。自転車や地域文化、一次産業、芸術が専門。紙雑誌やWeb媒体問わず執筆中。ポケマルでは農業初心者を生かし、わかりやすく愉快な記事の執筆を目指す。イラストや漫画も発表中。twitter:@moshiroa1 Web: https://miyuo10qk.wixsite.com/miyuoshiro

編集・写真:中川葵

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