47年目の「最高に面白いリンゴ時代到来!」

  
\この記事は2本立てです/

1.「嬉しくて泣いたよ」言葉は要らぬ親子リンゴ
2.47年目の「最高に面白いリンゴ時代到来!」(この記事です)  

  

Sponsored by 青森県黒石市

佐藤謙治農園

 美しく整えられた木にたわわに実る真っ赤なリンゴ。佐藤謙治農園には、クリスマスツリーのようなかわいらしい木が整列していた。

笑顔の絶えない謙治さん

樹上完熟リンゴ
 点在する3ヶ所の園地を案内してもらった。どれも真っ赤に熟した実が収穫を待っている。周囲を見渡すと、リンゴ園はたくさんあるがほとんどが収穫を終えている。「収穫を3日遅らせれば、一口食べて分かるほど糖度が上がる」と話すのは佐藤謙治さん(65)だ。スマホで天気予報をチェックして、「しばらく氷点下にならねべ。まだ凍らねから大丈夫だ」。収穫を遅らせると雪や低温によって実が傷むリスクがあり、長く栽培する分コストもかさむ。熟度が進むと甘みは増すが、日持ちしないというデメリットもある。しかし佐藤さんは「ぎりぎりまで木になっているほうがおいしい」と味にこだわる。採れたてをお客さんへ直接送るため、日持ちよりおいしさを優先できるのだ。収穫したリンゴは人の手で選別する。「機械では見分けられない違いを、目で見て確認するの。長年のお客さんには、その方の好みにも合わせて選ぶのよ」と、妻の文子さん(63)。
 佐藤謙治農園は明治時代から代々続くリンゴ農家。謙治さんは子どものころからごく自然に「将来はリンゴやるべと思ってた」。農業高校を出て青森県りんご試験場(当時)で実習生として学んだ後、家業に就いた。

手早く選別する文子さん

大反対を押し切って
 当初は父・節男さん(故人)に従って、収穫した全量を農協に出していた。しかしあるとき、知人から贈答用に使いたいと言われ販売したところ「おいしくて感動した」と感想が届き、口づてに次々と「売ってほしい」という連絡がきた。謙治さんは感激した反面、努力と工夫を重ねても他と同じに扱われる農協への出荷に疑問を抱き、「自分で売りたい」という思いを募らせた。そして1988年、父の猛烈な反対を振り切って「農協への出荷を辞める」と宣言。まだ一般に普及していなかったファックスとパソコンを思い切って購入、全量を自分で売ると決めた。パソコンは事務仕事の得意な文子さんが無我夢中で習得した。結果は見事に完売。地元では誰も直売などしていない時代のことだ。
 「実は親父も、人と違うことやるタイプだった」と謙治さん。地元農協の組合長も務めた節男さんは、黒石地区に初めて「ふじ」を持ち込んだそう。誰も賛同しない逆風の中、「必ずすばらしいリンゴができる」と自ら接ぎ木をして育て、広める努力を続けた。「後に圧倒的な主力になる品種を見極めた先駆者だった」。謙治さんの先見の明は父譲りなのかもしれない。
もぎたてを割るとたっぷりの蜜

リンゴ探求に終わりなし
 謙治さんの農園は面積の9割近くが、あまり大きくならない性質の木を使う「わい化栽培」だ。大きく育つ木に比べて、木の間隔を狭く多く植えることができるので、作業しやすく収穫量も増える。この方法を選ぶのは、「仕事の効率がいい分、こだわりたいところにしっかり手をかけられる」からだ。微生物の力を生かす土作りや、農薬の使用を最低限に抑える代わりに必要な草刈り、冬の間に行う剪定など、大好きなリンゴをおいしくするために手間は惜しまない。実際、謙治さんの栽培技術は高く、青森県や黒石市主催のリンゴの木の品評会で何度も一位に輝いた。
 「今後は高密植栽培に取り組むつもり」と謙治さん。高密植栽培は、わい化栽培よりさらに狭い間隔で密植する手法で、同じ面積からより多く収穫できる。先進地はイタリアで、国内では長野県を先頭に青森県でも導入が始まっている。「産地同士で最先端の情報交換をし、技術交流をしているところ。もっと工夫が必要だし、課題もたくさんある。大変です」と言いながら、苦にするどころか楽しげだ。「世界で今まさに技術が進化している。最高に面白い時代だよ」。リンゴ一筋、謙治さんの挑戦が続く。
樹上で日ごとに甘みを増す


文=鶴岡彩

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