「嬉しくて泣いたよ」言葉は要らぬ親子リンゴ

 
 \この記事は2本立てです/

1.「嬉しくて泣いたよ」言葉は要らぬ親子リンゴ(この記事です)
2.
47年目の「最高に面白いリンゴ時代到来!」
  

Sponsored by 青森県黒石市

鎌田林檎園

 山あいの斜面にあるリンゴ畑。大きく枝を広げた木に、黄色い葉がたくさんついていた。鎌田林檎園のこだわりは、最後まで木に葉を残す「葉とらずリンゴ」だ。

さんさんと日光を浴びる葉とらずリンゴ

葉取らずリンゴ
「光合成で作った養分をすべてリンゴへ送った葉っぱは、力尽きて黄色くなり、自然に散ります」。収穫を終えた木を見ながら園主の鎌田宗稔(むねとし)さん(40)が教えてくれた。一般的には、果実を日光に当てて色付きを良くするため葉を摘み取るが、同園では主力品種「サンふじ」の一部を「葉とらずリンゴ」として栽培している。収穫直前まで葉っぱで作った栄養分が流れ込んだ実は、パーンと張って重みがあり、かじると甘酸っぱい果汁が口の中にあふれた。皮はごく薄く、口に残らない。唯一の弱点は、実が葉の陰になり色付きにくいこと。なるべく日に当たるよう実を回したり、枝を支柱で持ち上げたりと手間をかけるが、全面的に真っ赤にはならない。「それでも私はこれが一番だと思う。一度食べると毎年買ってくださる方も多いです」。
宗稔さんはリンゴ農家の五代目だ。長男だが、継げとは一度も言われなかった。青森市の大学へ進学しアメリカ留学も経験。卒業後は実家を出て県内の企業に就職した。転機は25歳。食事をした青森市のフレンチレストランで、シェフの「青森は食材がすばらしい」という言葉にスイッチを押されたかのように、家業を継ぐ決意をした。「リンゴも青森の誇りだと気づきました」。

園地にはいつも二人で

チャレンジャー五代目
リンゴ栽培は手伝い程度しか経験がなくゼロからのスタートだったが、父の悦夫さんからは「自由にやれ」と言われた。父のすることを見よう見まねでなぞり、分からないことを父や他の農家に聞き、書物を読み、勉強した。5年後に結婚し妻の敦子さん(36)が戦力に加わると、インターネットを通してお客さんに直接販売を始めた。「毎年楽しみ」「家族のだんらんに欠かせない」と全国から届くコメントに励まされ、やる気が湧いた。青森県主催の若手向けセミナーをきっかけに、情報交換したり共同で商談会を開いたりする仲間もできた。
好奇心旺盛なふたりは新しい品種にもどんどん挑戦し、現在18品種を栽培する。荒れて木が生い茂る耕作放棄地を買い取り、切り拓いてリンゴ園に再生させたりもした。最近の“推し”は、オーストラリア生まれでまだ栽培農家が少ない「ピンクレディー」。小ぶりで実がしまり、酸味が強いのが特徴だ。「甘くて大きいのが人気なのに、流行に逆らってますよね」と敦子さんは笑う。「でも私たちは、いろいろなおいしさを伝えたい。お客様にも初めての味にチャレンジしてもらいたいです」。

希少な品種・ピンクレディー

「見て感じて覚えろ」の親心
「継いでくれ」と一度も言わなかった悦夫さんに、宗稔さんが戻ってきたときのことを尋ねてみた。「嬉しくて泣いたよ」。代々受け継いだ農園だ、本心はもちろん継いでほしかった。でも口にしなかったのは、「自らの意思を持つことが、人生で何よりも大事だ」という親心だった。リンゴ栽培でもっとも重要かつ難しい作業は枝の剪定(せんてい)だが、悦夫さんはそれも「自由にやってみろ」と伝えた。間違えればその先の収穫に大きく影響するにもかかわらずだ。「そりゃ心配さぁ。後でこっそり回って、黙って直したこともある」と打ち明ける。「口では言わね。見て感じて覚えることがすべてだ」。
悦夫さんは30年近く前、地元農協の組合長として、葉とらずリンゴに注目し地域に広めようと奮闘した。付加価値の高い名産に育て、高齢化や後継者不足に悩む地域全体を明るく導きたかった。「寝る間も惜しんで活動した。燃えてたね」と懐かしそうに話す。今は家で孫の世話を見るのも楽しいが、現役は譲らない。「息子夫婦も一人前になってきたが、もっと伸びてもらわねばな」。背中で伝えることが、まだまだある。

父の悦夫さん


文=鶴岡彩

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