身長150cm・元介護職。ほのぼの系女性が生命力強い系漁師に嫁いだら……

漁業の世界で活躍する女性たちにインタビューする企画:【漁師イノベーターな女性たち】。前後編でお届けしております。

\ この記事は2本立てです /
・前編:東京出身・元看護師。バリキャリ女性が漁業の町に嫁いだら……
・後編:身長150cm・元介護職。ほのぼの系女性が生命力強い系漁師に嫁いだら……

目次

ここに目次が表示されます。

身長150cm・元介護職。高森美穂さんの場合

「現場のリアル!!」「イノベーション!」を唱え、今、日本で最も攻めている漁師の一人、青森県外ヶ浜町蟹田の高森優さん。

こんな過激な漁師さんを支える「漁師の奥さん」は一体どんな人なんだろう……。4年前から一緒に船に乗り、共にホタテを育てる美穂さんを訪ねました。(たまに、合いの手で優さんが登場します)

innovator

高森美穂|青森県東津軽郡外ヶ浜町

青森県外ヶ浜町蟹田のホタテ漁師の旦那のもとに、11年前に嫁いで来た「現場リアル!!」高森優の嫁の美穂です。4年前から旦那と一緒に船に乗り、朝から晩まで作業をしています! 旦那は、狂ってます(笑)! 全国の皆様に確かな美味しさを届けます!!


「生命力の強さに惹かれました」

身長150cmの高森美穂さん(左)と、177cmの高森優さん(右)。


——高森優さんといえばコミュニティやSNSでの「イノベーション!」ですが、やっぱり家でも言っているんですか?

 

美穂さん:

夜ごはんを食べながらとか、結構、言ってます(笑)。子どもたちにもよく話してますね。「毎日ちょっとずつでも続けることが大事なんだ。そして、昨日より今日と少しずつでも良くするよう、関心を持つこと!」とか、お酒飲みながら(笑)。

 

優さん:

無関心がダメなの! それと、人とは違う発想を持つこと。たぶん、ぜんぜん響いてないと思うけど(笑)。


もはやポケマル名物ともいえる高森さんのコミュニティ投稿。東北ならではの「ヤマセ」との戦いも見所のひとつだ。

 

——そんな優さんと美穂さんはどうやって知り合ったんですか?


美穂さん:

私は青森市内出身なのですが、たまたま友達の繋がりで知り合いました。アウトドアの趣味で話が合って……。私はスノボをやってたんですけど、付き合うようになってから、一緒にやるようになって。

 

優さん:

スノボ! 始めたら僕の方がハマりすぎちゃって、八甲田山の頂上からバックカントリーで午前中から4回も往復したりしました。

 

美穂さん:

私も八甲田山は初めてだったんですけど、「山に勝ちたい!」とか言い始めるし。


——山に勝ちたい! 確かに言ってそうです(笑)。 

 

美穂さん:

お付き合いするようになって、他の若い漁師さんのちょっと勢いがあって怖そうなイメージとは違うのがわかったし。何があっても一人で生きていける生命力の強さに惹かれたのも、結婚を決めた理由のひとつでしたね。

高森優さん直筆の商品POP。ホタテの説明ではなく作り手の思いを書いたところに、意志の強さを感じる。


私の実家は漁師ではないのですが、父がホタテの仕事を少し手伝っていたこともありましたし、私も高校生の頃、ホタテの市場でバイトをしていたこともありました。ホタテや蟹を食べるのも好きでしたし、海のものに対しての抵抗感はありませんでした。

 

——美穂さんは、結婚前はどんなお仕事をされていたのですか?

 

美穂さん:

福祉関係の仕事です。老人ホームで働いていました。

海に抵抗感がないとはいえ、ホタテの養殖のことも漁業のこともぜんぜん知らなかったので、まさか自分が海の仕事をするようになるとは思ってもみませんでした。


「ようやく怒られるのが少なくなったかな」

出産後、2015年から船に乗り始めた美穂さん。厳しく熱い優さんからのスパルタ指導に耐えながらも、そんな夫を誰よりも理解しリスペクトしています。

デジタルっぽい書体で「カニタ タカ丸」と書かれたカゴ。訪問者は決まって写真を撮りたがるそう。


——美穂さんも船に乗って一緒に作業をしているのですよね。海の上での仕事は危険も伴うと思いますが……。


美穂さん:

船に乗るようになったばかりの頃は、海は怖いなあって思っていました。泳げないので、とにかく落ちないようにって。

 

優さん:

生命力が弱いんだ(笑)。

 

美穂さん:

最初は、自分が何をしたらいいのか、どこを触っちゃいけないのか、とにかくわからなくて、怒られながらやってました。父ちゃん(優さん)も仕事に集中してしまっているので、私に構っている余裕はないんですよね。

今年で4年目になりますが、いまだになかなか……。こうやれって言われても、上手く体と頭が動かなくて。

 

優さん:

五感を研ぎ澄ます! 自然の風とか海のうなりとか毎日違うものだから。それを意識しているかいないかでぜんぜん違う。ただやれって言われたことをやっていてもダメ。頭の中で整理して、自分で判断して……。

 

美穂さん:

今年に入って、ようやく怒られることが少なくなってきたように思います。

でも、力仕事は大変です。船から巻き上げたホタテのカゴをきれいに積んでいくのに、身長も力もないので上にあげられないんですよ。常に腱鞘炎で、シップを貼ってました。

 

——ホタテのカゴは何キロくらいあるのですか?


優さん:

海水が入っているので、一個30キロくらい。

 

美穂さん:

今では、上腕にポコッと力こぶができるようになりました。


——結婚前とは生活サイクルも大きく変わったと思いますが……。

 

美穂さん:

それは、ぜんぜん平気ですね。結構慣れるもんです。

今頃の時期は、2時半くらいに起きて沖に出て、4時くらいに帰港して出荷作業をします。父ちゃんはその後また沖に出ることが多いですが、私は6時半くらいに子どもが起きるので朝食と見送りをして、7時半くらいからは陸でカゴを洗ったり修理したりします。

海での作業が多い父ちゃんには、昼食用におにぎりを作って持たせるんですけど……。


優さん:

食べないことが多い! 作業に集中してるから食べる暇がない!


美穂さん:

だそうなんです(笑)。でも一応、もしもの時のために持たせているんです。

その後、夕方くらいまでは作業を続けて、21時過ぎに就寝します。

漁師には陸での作業もたくさんある。写真はホタテを吊すロープにつけるブイについた付着物をとる作業中の優さん(写真:高森さんのコミュニティ投稿より)


——ホタテの出荷期間は?

 

優さん:

4~8月と、10~12月。冬は4時~4時半くらいに起きて除雪作業してから、夜明け頃に出港です。

 

——忙しい時期以外は、お休みできるのですか? 子どもたちと遊びに行ったりとか。

 

優さん:

いや、ないです。毎日、何かしら雑用しています。従業員や親が高齢化しているので、作業がはかどらなくて、そのフォローなどでいろいろやることがあるんですよ。 


「“生き物”として大切に育てた、“宝”ですね」

美穂さんには、海の仕事を始める前後で大きく変化した価値観があります。そのきっかけは、ホタテの「稚貝分散」という作業中に受けた優さんからのスパルタ指導でした。

優さんのことは「父ちゃん」、自分のことは「母ちゃん」と呼ぶ。母の愛に守られたあったかい家族の風景が目に浮かぶ。


——全く違う仕事から漁業の世界に入って、気持ちや見方にはどんな変化がありましたか?

 

美穂さん:

作る側になって知ったのは、生き物を扱っているんだという感覚です。

いち消費者としての自分自身の行動を顧みると、食べ物はあくまでも食べるための“物”。店に売っている“物”を必要な分買うだけで、それが生きていた、生きている、と、意識したことはありませんでした。

ホタテの仕事を始めた頃、1センチ未満の小さい「稚貝(ちがい)」の分散作業をしている時に、少し雨に濡らしてしまって父ちゃんに怒られたことがあるんです。

「稚貝はホタテの赤ちゃんなんだよ。雨に濡れたら死んじゃうんだ。だから、大事にしなければダメだ。自分だって赤ちゃんは大事にするだろう」って。

“食べ物”ではなく“生き物”として、丁寧に扱ってあげないといけないということを教わりました。

※稚貝分散作業:稚貝の成長を加速するために、少し大きくなった稚貝を選別し、ゆとりのある養殖篭に移してから、再度海に吊す作業。

これが稚貝。小さくてもホタテの形をしている。(写真:高森さんのコミュニティ投稿より)


生き物として、大切に育ててあげる。

一生懸命、父ちゃんやみんなが調節をして、大きくして……これは“宝”ですね

ただ「旬の時期が来たから食べたいねー」というだけではなくて、このホタテが、赤ちゃんを育てるように、育てられたものということが伝わったらいいなと思います。

せっかくここ蟹田はホタテの町なので、蟹田に住むサラリーマン家庭の子どもたちにもそういうことを伝えていきたいんです。小学校には養殖ホタテの海中の様子を模したものや、昔使っていたホタテのカゴなどの展示をしてあります。

でも、ただ展示があるだけとか、一度きりの食育の授業があるだけだと、関心が一時的なもので終わってしまうのではないかと。もっと実感がこもって、子どもたちが意識し続けられような伝え方ができたらと思っているのですが……。それはこれからの課題です。


「父ちゃんは間違ったことはしていないから、大丈夫」

新しい手法や売り方を模索する優さんの周囲では、小さな町特有の人間関係の摩擦もあるそうです。妻としては辛いこともあるだろう……。そう思って聞いた質問に答える美穂さんの言葉には、一寸の迷いもありませんでした。

むつ湾フェリーが発着する蟹田港の灯台を背に


——東京海洋大学との共同研究など、先進的な手法も取り入れながら漁業を活性化させていきたいと活躍している高森さんには地域の風当たりも強いと聞きますが、ご家族としてはどうお考えですか?


美穂さん:

新しいやり方で目立つことで、風当りが強いこともあります。でも、父ちゃんは間違ったことはしていない。ぜんぜんおかしいことはしていないと私は信じているので、大丈夫と思って見ています。子どもたちにも、気持ちを強く持っていていいからと伝えています。

「人にはそれぞれ考えがあって、どんなことをしてもいろいろ言われることはあるんだから、言いたい人には言わせておけばいい。世の中そんなものだよ」と教え聞かせているので、取り立てて心配はしていません。


——蟹田の他の漁師さんから一緒に新しい漁業を作っていきたいという声はないのですか?

 

優さん:

ないです。おそらく殻を破ることができないのだと思う。殻を破ってこれまでと違うやり方をしようとしたら、自分で管理することも増えるし、仕事量ももちろん増える。そこを踏み切れないのだろうね。


美穂さん:

以前、知人から「ダンナさん、午後もずっと浜にいるんだね」と言われたことがあります。父ちゃんは午後からもずっと浜に出て、何かしらの仕事をしてます。ずっと、それが当たり前だと思っていたのですが、この地域では珍しいことみたいです。

大量の養殖篭を一つひとつ手作業で修理する優さん(写真:高森さんのコミュニティ投稿より)


優さん:

これまでと同じやり方を続けていったとしたら、今後、蟹田はホタテ産地として廃れていくよ。海の環境変化とか漁業の担い手問題もあるけど、それより僕が一番危惧しているのは、漁師がやり方を変えようとしないこと!

水揚げ量が減って組合単位のロットが減れば、出荷の回数制限にも繋がってしまう。そうすれば浜全体の一日の利益が減っていく。

ただ、蟹田を出て青森県漁業士会などに行くと、いろんな地域から、どうにかしていこうという意識の高い若手の漁師が出てきてはいますね。


——今後ミルキーホタテをどのように伝えていきたいですか?

 

美穂さん:

赤ちゃんだった稚貝を、子どもを育てるように、大事に大事に、たくさん手をかけて大きくして……ってその一連の流れに思いを馳せて食べていただけるようにしたいですね。

船に乗って体験してみるとか、そういうのができれば本当はいいのでしょうけど……。まずは、ここから遠いところに暮らす人たちにも最高のホタテを届けること。その味と一緒に、ホタテがすくすくと海で育つ姿と、それを一生懸命育てる父ちゃんの思いのドラマとを味わってくれたらいいなと思っています。

ホタテの剥き方の説明書を添えたり、ホタテ剥き専用のヘラをセットしたりしたら、手軽にミルキーホタテを手にとってもらえるでしょうか。お子さんと一緒に剥くところからやって、おいしく食べてくれたら、さらにうれしい。食べ終わったら、貝殻の内側の白いところに顔を描いても楽しいですよ。

 

——コミュニティで、ホタテ貝殻に描いた顔の展覧会を開いても楽しいかも!

 

美穂さん:

そうですね。そして、そのうち、親子で蟹田の海にホタテを見に来てくれたらいいですね。


>>前編はこちら:漁師町に嫁いだバリキャリ女性のお話


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Writer

わたなべひろみ

1968年、北海道生まれ。設計デザイン、商品開発などに携わったのち、宣伝会議 編集・ライター養成講座 上級コース 米光クラス第7期受講。修了後ライターとして活動。現在、札幌国際芸術祭2017【大風呂敷プロジェクト】に運営サポートとして参加中。

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