東京出身・元看護師。バリキャリ女性が漁業の町に嫁いだら……

広い大海原で波に揺られる小さな漁船。魚を獲る網には時に何トンもの力がかかり、それを持ち上げる機械には太いワイヤーがむき出し……。

男女共同参画が叫ばれる現代においても、漁業は未だに「男の仕事」というイメージがあります。仕事の過酷さを考えれば、そのイメージも当然なのかもしれません。


しかし! ポケマルには、漁業の世界で活躍する幾人もの女性の姿があります。そして、彼女たちのサポートを受けた漁師さんたちは、どんどん輝きを増していきます。

漁師のイノベーションを陰でサポートしている彼女たちを、ポケマルは漁師さんと同じくらいにリスペクトしているのです!


夫婦、姉弟、従業員……形態は様々ですが、彼女たちは立派な「漁師イノベーター」。きっとその一人ひとりに、一つひとつの物語があるに違いない……。

6月なかば、ポケマル編集部はそんな確信を胸に、漁業の世界で働く2人の女性を訪ね、北へ向かいました。

\ この記事は2本立てです /
・前編:東京出身・元看護師。バリキャリ女性が漁業の町に嫁いだら……
・後編:身長150cm・元介護職。ほのぼの系女性が生命力強い系漁師に嫁いだら……

目次

ここに目次が表示されます。

東京出身、元看護師。舘岡志保さんの場合

東京生まれの東京育ち。看護師の資格を持ち、在宅医療の事業所立上げのための営業もこなすバリキャリ。都内の一軒家に子どもたちと暮らし、魚はどちらかというと苦手……。

ほんの数年前まで、そんな“普通の女性”だった舘岡志保さんは今、北海道八雲町落部(おとしべ)で、「漁師:舘岡勇樹の妻」として暮らしています。

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舘岡志保(噴火湾鮮魚卸龍神丸)|北海道二海郡八雲町

北海道八雲町の噴火湾鮮魚卸龍神丸の舘岡志保と申します! 舘岡勇樹の嫁です。東京都江東区の出身で元看護師ですが、水産に興味をもち北海道に移住。漁師の嫁になっちゃいました(笑)! 普段は噴火湾鮮魚卸龍神丸の営業・広報を行っており、ポケマルでは発送作業やコミュニティへの投稿を夫と二人三脚で行なっています。

「医療の世界ではできないことができる」

志保さん(左)にとって「スーツは仕事着」。夫でありビジネスパートナーである漁師:舘岡勇樹さん(右)と一緒に。


「 特別、魚は好きではなかったんです。東京では在宅医療の仕事をしていて、18時に終えたら、スーパーに立ち寄り買い物をして、子どもたちを迎えに行き、夕食を食べさせて……。

となると、さすがに切り身を焼くくらいが精いっぱい。生魚をおろして料理、なんてぜんぜん無理。魚を触るのも苦手だったんです。手は臭くなるし、血が飛んでキッチンは汚れるし、ゴミの後始末は面倒だし 」


——そんなに苦手だったのになぜ漁師の嫁に?

 

「 きっかけは5年前です。6歳下のいとこである彼(勇樹さん)が、手の手術のために東京に来たのですが、うちは一軒家で部屋にも余裕があったので、泊まってもらったんです。

その時、これからの漁業について考えていることをいろいろ話してくれたんですね。同じ漁師同士や父親にはうまく伝えることができず、ずっとモヤモヤを抱え込んでいたようなんです。

私は、水産業については全くわからなかったので、話しやすかったのでしょうね 」

 

——勇樹さんが抱えていたモヤモヤとは?


「 海が明らかにおかしくなってきて、魚の量は減ってきているし、獲れる魚の種類も変わってきている。

そんな中で、これまでと同じように水揚げした魚を組合に納めて終わり、というやり方でいいのだろうか。若手漁師も少ない中、今のままではいけないんじゃないか』という不安を彼は抱えていました。

自分が命をかけて獲ってきた魚を、もっと高値で魚の良さをわかってくれる人に売っていきたい。でも、漁師としての仕事しかしたことがないので、どうやっていっていいかわからない……と。 

噴火湾鮮魚卸龍神丸のfacebookページより。マグロを抱える夫の勇樹さん……ワイルドだ。


当時、私は在宅医療の現場で看護師と営業をこなしていました。その仕事を10年続けてきて、事業としても軌道に乗り、後進も育ってきていました。安定期に入ってきた仕事に、これ以上の面白味を見つけられるだろうかと、ちょうど思い始めたところでした。

そんなタイミングで聞いた彼の話に興味を持って、自分なりに水産業のことを調べたり、いろいろな人に話を聞いたりしてみました。知っていくにつれて、これから携わるのであれば医療業界より水産業の方が面白いのではないかと感じるようになってきたんです 」


——医療業界と水産業はどこが違いましたか?


「 医療業界は、いち看護師がどんなに頑張っても、全体を変えることは不可能に近いです。

でも、一次産業は誰しもに必要な口にするものを作る仕事であること、さらに、これからはよりこだわりのあるものを消費者が求めていくのではないか。そこに可能性を感じたんです。

しかし一方、水産業の大元である漁師の社会は、まだまだ閉鎖的に見えました。では、その人たちがもっと外の世界に目を向けて、変わっていったら、水産業はもっと良い方向へ変化していくのではないか。そこにはどんな未来が拓けるんだろう。

それを見てみたい。その手伝いをしてみたいと思い、水産業の世界に飛び込むことを決めました 」

 

——志保さんは東京生まれの東京育ちですよね。北海道移住は大きな決断だったのでは?


「 私は看護師の立場で、人生に悔いを残したままお亡くなりになる方を多く見てきました。それがどんなに無念で寂しいことか。自分はそんなふうに後悔したくないなと。

こちらに来たのは36歳の時だったのですが、これからの半生、自分のやりたいことをやって楽しく生きたいと思って、決心しました。でも、その時点ではあくまでビジネスパートナーとしてで、嫁になるつもりはぜんぜんなかったんですよ(笑) 」

「地方での生活に慣れても“ランコムのマスカラ”の入手先だけは悩みの種」という女性あるある雑談で、一気に心の距離が近づいた気がするポケマル編集部。

 

——その後、どんないきさつでご結婚につながったのでしょうか?


「 移住後、漁師としての彼を営業担当としてサポートするのが、私の仕事になりました。

平成26年に起業した当初、彼は商談先の人と話すことや話を聞くことがうまくできなくて、私が説教することもありました(笑)。でも、地元の狭い世界から出て、外の人たちと接する機会が増えるにつれて、彼もどんどん進化していきました。

無骨な漁師であったのが、角が取れて、お客さんの立場を考えたり、魚の価値を上げるための方法を考えたりするようになっていく。その過程を見ているのが私も面白くなってきて、結婚することに繋がった感じですね(笑)。

彼も含めて、いろいろな漁師さんと関わっていて感じるのは、やっぱり漁師はカッコイイ』ということ。本当にいつ死ぬかわからない危険の中で船に乗り、おいしい魚をプライドを持って提供する。働いている姿がとても輝いているんですよね 」

  

「消費者の顔が見えなければいい商品は届けられないよ」

消費者目線で考えてくれる漁師さんは、ポケマルにとってもありがたい存在。しかし、志保さんによるとここに至るまでには長い道のりがあったそうです。

発送する商品は、神経抜きや血抜きの仕方、魚の箱詰めの順番や位置、梱包材にもこだわり抜く。


「 起業をするまでは、魚を卸しているお店の料理人さんに『神経抜きをしてくれると、もっと助かるのだけど』などと言われても、彼は素直に受け入れられなかったんですね。

『自分の獲ってきた魚は新鮮だ、その魚のことは自分が一番よくわかってる』と、漁師として絶対の自信を持っていたんです 」


——漁師さんであれば誰もがそう思っていて当然と思います。


「 当然といえば当然のことなのですが、多くのお店と取引をするようになったりポケマルで出品するようになったりして、消費者の声を直接聞くようになってからは、少しずつ変化が現れてきました。

ポケマルのお客さんがそれまで自分たちが見たこともないような料理を作って知らせてくれることで、その思いもつかなかった調理法に彼も感心しています。

そして、そのような声を受けて、では今度はどんな風に魚を届けたらいいかと、消費者の立場に立って考えられるようになってきています 」

ポリマー入りの超薄吸水シートで魚のドリップの吸い取りと保冷を。季節によってグリーンパーチ(緑色の薄紙)で包むなど鮮度を保つために様々な工夫をしている。


——直接お客さんと交流することで、そんなにも大きな変化が起きたのですね。


「 消費者に対する考えだけでなく、魚に対する考えも変わりました。魚をとても大事にするようになっていったんです。

それまでは、網から魚をはずす時にこぼれ落ちてしまった魚や傷がついてしまった魚を雑に扱っていたんです。魚は単なる“モノ”という捉え方だったから。

この日は特別に勇樹さんが赤ガレイ(桜ガレイ)を捌いてくださった。


それが、消費者とつながるようになってからは、魚を丁寧に扱うようになりました。ちゃんと食べてくれる人が見えてきたので、魚を商品として大事にしなければという意識ができてきたんですね。

それでも、たまに生産者としての考えを押し通そうとする時がある。消費者の顔が見えなければいい商品は届けられないよ』と、私は消費者の目線で意見することもあります。

うちの夫婦ゲンカの内容は、だいたい生産者代表と消費者代表のバトルですね(笑) 」


「漁師が命がけで獲ってきた、その物語ごとお皿にのせてほしい」

勇樹さんに大きな変化をもたらした消費者との交流。その立役者である志保さんは、どのようにして漁師と消費者をつないできたのでしょうか。

落部を代表する魚、赤ガレイ(桜ガレイ)はヒラメに匹敵するほどの身の締まりと甘み。


「 営業をかけるお店は自分の足で探して、最終的には彼も連れて行くようにしています。毎年、1月くらいまでは私が単独で、東京、関西、函館などで話を聞いてくれそうなお店に出向き、私たちがやっていることなどをだいたい伝えてきます。そして、2月の休漁期に入ったら、彼を連れてもう一度あいさつに行きます 」


——漁師本人が営業に行くんですか!


「 私が10話すよりも、彼が1話す方が、魚の魅力がダイレクトに伝わって、商談がまとまるんです。

命がけで漁師が獲ってくる魚を、その大変さなどのストーリーごと料理人さんにお皿にのせてもらうように伝えていくことで、お付き合いが長続きするんですよね 」

噴火湾鮮魚卸龍神丸のfacebookページより。北品川のレストラン「ラ・カンサトゥール」のHPには確かに「龍神丸」の名前が


——そのストーリーを伝えるべき相手は、料理人さんだけではないですよね。


「 東京育ちの消費者代表として思うのは、皆さんに、もっと自分が口にする食べもの、魚に興味を持ってほしい、ということですね。

今、自分が食べている魚は本当に安全なのか。どこで獲れているのか、天然なのか養殖なのか、養殖ならばエサは何を与えているのか。

テレビやマスコミで伝えられていることも、中には間違っていることもあります。そういうのを鵜呑みにしないで、自分で調べてみてほしいです。今は、ネットでもたくさんの情報が流れていますから。

そして、その魚をどんな漁師がどんな風に獲ってきているのかにも興味を持って、漁師のファンになってほしい。そのためのサポートをするのが、これからも私の役目だと思っています 」


「子どもたちが漁師をやりたいと思った時のために」

プライベートでは3児の母である志保さん。会話は自然と、子供たちに遺す海の未来へと進んでいきました。

昼過ぎに起き夕方から漁に出ることが多い勇樹さんに対して、志保さんは母親業と平行しながら7時起床24時就寝の生活。


「 さっきもお話したように、東京にいた頃の私は生魚に触るのもイヤだったんです。でも、彼をサポートすることに決めたあと、魚のおろし方教室に行ったんですね。そこでアジの三枚おろしができるようになったら、だんだん面白くなってきて。上達するにつれて、うちで魚料理を出す頻度が増えていったんです。

それまで、子どもたちは『魚はくさいから嫌い!』と言っていたのが、鮮度の良い魚を食べさせるようになってからは魚好きになっていきました。子どもって本当に正直ですよね 」


——都会の家庭では新鮮なお魚を手に入れる機会が少ないですからね……。


「 魚になじみがないのは都会だけではないんですよ。この辺りは漁師町ではありますが、ホタテ養殖が中心なので、子どもたちが生きた魚を見る機会は意外に少ないのです。魚嫌いという子もいますし。

今度、小学校の5・6年生対象に、刺し網漁と魚についての授業もやります。

模型を使って刺し網漁の説明をしたり、生の魚を調理して食べたり。以前に同じ授業をやった時には魚は食べられない』と言っていた子が、ムニエルにした魚を食べられる! おいしい!!』って言ってくれた時は本当にうれしかったです」

噴火湾鮮魚卸龍神丸のfacebookページより。落部小学校での「漁師と農家による課外授業」の様子


——子どもたちは未来の顧客であり、後継者ですものね。素晴らしい活動です!


「 それとともに、子どもたちにこの八雲町の、落部の海を残していくにはどうしたらよいかということも考えていかなければいけません。

乱獲や海水温の上昇によって、魚の量は年々減っていっています。気温が1℃あがっても実感はあまりありませんが、海水温の1℃の上昇は、貝が生き残れるか、深海魚が生きられるか、プランクトンが増えるか減るかの1℃なんです。

そんな環境の中で、どうしていったらいいか。私たちは、もっと魚自体の価値を上げて、消費者に手渡せるようにすることが必要だと考えています。

宗八ガレイを吊して回る干物メリーゴーラウンド。ただ干すだけではなく、塩をした後に重しをかけて塩分を身に浸透させる。付加価値を上げるためのひと手間を惜しまない。


例えば、落部では昔から赤ガレイが多く獲れているのですが、活きの下がりやすいカレイなため、神経抜きや血抜きの技術を上げることで、鮮度を保ったまま届ける。

あるいは、赤ガレイはうっすらとピンク色をしていて桜の花びらに形も似ていることから別名桜ガレイと呼ばれています。そこで、桜の葉で包んで真空パックをして売り出す。ひと手間をかけて付加価値をつけるわけです。

そうして、桜ガレイの落部、八雲町として、もっと多くの人に知ってもらうこと。さらに、漁師、漁師の家族、組合、仲買が、お互いを理解し合い、浜全体で協力していけるような町にしていく。

そうすることで、子どもたちが漁師をやりたいと思った時のために海を遺しておくことができるのではないかと思っています 」


>>後編もどうぞ生命力強い系漁師に嫁いだほのぼの系女性のお話


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Writer

わたなべひろみ

1968年、北海道生まれ。設計デザイン、商品開発などに携わったのち、宣伝会議 編集・ライター養成講座 上級コース 米光クラス第7期受講。修了後ライターとして活動。現在、札幌国際芸術祭2017【大風呂敷プロジェクト】に運営サポートとして参加中。

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