震災から再起した綾里の漁師たち 火災からの漁業再開を応援したい
ポケマルでは、大規模火災で甚大な被害を受けた岩手県大船渡市の綾里漁協と生産者のなりわいの再開を応援するため、復興応援商品の販売を開始しました。綾里地区は、ポケマルを運営する株式会社雨風太陽の祖業である食べ物付き情報誌「東北食べる通信」のきょうだい分「綾里食べる通信」発刊の地です。東日本大震災の後、弊社代表の高橋博之とともにNPO東北開墾を共同で創業した阿部正幸さん(現「東北食べる通信」編集長)は、綾里漁協と連携して「綾里食べる通信」を創刊し、綾里の空き家を購入してこの土地で暮らしてきました。綾里漁協の販路拡大のサポートに取り組んでいたほか、自身も毎年、生産者たちとともにわかめ漁の船に乗り収穫作業にも励んできました。今では70万人以上のユーザーに利用されているポケマルですが、その礎を築いた阿部さん、そして「食べる通信」の理念に共感し仲間になってくれた綾里漁協や生産者は、私たちの同志であり、ポケマル生みの親でもあります。わかめ養殖と定置網漁で生きてきた三陸の漁村・綾里地区の生産者たちが一刻も早く海に戻り仕事を再開できるよう、全力で応援していきたいと思います。>応援商品はこちら大規模火災で被災した大船渡市について岩手県沿岸南部の港町・大船渡市は、深い湾と岬が複雑に入り組んだ三陸海岸の南部に位置します。日本の養殖わかめの発祥の地であり、三陸有数の漁業と水産業のまちとして知られています。2011年の東日本大震災では、400人を超える市民が犠牲になり、直後は最大で9000人近くが避難生活を余儀なくされました。中でも沿岸部の漁村集落は、その多くが津波に飲まれ、生産者は船や漁具といったなりわいの道具を失いました。家族や友人を失い、家を流された人も少なくありません。しかし、漁業のまち大船渡の漁師たちはいち早く立ち上がり、協力して海中のがれき撤去作業を進め、全国からの支援を受けて船を調達し、漁の再開にこぎつけました。津波から立ち上がり力強く再生を遂げてきた大船渡の漁師たち。彼らが2025年2月26日に発生した大船渡市南東部の火災により、震災と同じか、もしかしたらそれ以上の試練に見舞われているのです。大船渡市三陸町の火災被害について延焼が続いている地域の中でもとりわけ大きな被害が出ているとみられるのは、大船渡市三陸町の綾里(りょうり)地区と大船渡市赤崎町です。現場は全国から駆けつけた消防や自衛隊による消火活動が続いており、被害状況についての全容の解明にはまだまだ時間がかかりそうですが、海上からの映像などで確認できる限り、綾里地区でも多くの住宅などの建物が燃え、綾里漁港に建つ綾里漁協の倉庫も焼け焦げてしまったとみられます。また、2月26日に綾里地区全体に避難勧告が出されたため、漁師を含め地域住民は公民館や親せき宅などに避難しており、綾里に立ち入ることさえできません。漁師たちは、せめて船だけは守ろうと別の安全な漁港に船を避難させました。多くの若手漁師は地域の消防団としても活動しており、火災発生直後は消火活動に尽力しましたが、自衛隊などのヘリからの消火の開始に伴い、その後は待機を余儀なくされています。海とともに生きてきた三陸の漁村・綾里綾里地区は典型的な三陸の漁村です。深く入り込んだ綾里湾を挟んで南北の岬にある小さな集落は、大船渡の市街地から遠く、地域の人たちは自虐的に「陸の孤島」と言います。しかし、だからこそ綾里の人たちは海で生きるしかないという強い覚悟を持ち、三陸でも有数の高値を付ける品の高いわかめを育て、海をなりわいに生きてきました。30~40代の若い担い手が元気な地域で、彼らの家も祖父や曾祖父の代からの漁師。この地で暮らし、家族を養っていくために、かつては遠洋のサケマス船に乗り、定置網漁船やかご漁で魚を採り、秋に種を巻いたわかめを春に収穫するーーー戦後間もない時期からそんな歳月を重ねてきた地域です。綾里の漁師を支える漁協定置網綾里の漁師が加入する綾里漁協は、300人を超える組合員を抱える漁業協同組合です。▼組合員が養殖したわかめやホタテ、ホヤなどの販売や販路拡大の支援▼漁船や加工場などの設備投資をする際の支援▼燃料や氷、資材などの共同購入ーーなど生産者の活動をサポートしているほか、綾里漁協は海中の4カ所に巨大な定置網を仕掛け、乗組員を雇用して操業しています。定置網漁は、江戸時代よりも前から日本で行われている漁法です。黒潮、親潮、津軽暖流と三つの海流が交錯し漁獲量・魚種ともに豊富な三陸では、冬場に生まれた海に戻るサケを獲ってきた長い歴史があります。海中の決まった場所に大きな網を張り巡らす定置網漁は、魚を一網打尽にするのではなく、一定の資源を残しながら効率的に魚を獲る持続可能な漁法として近年再び評価されています。三陸の定置網漁は、毎年5月頃からの約半年間がメインです。綾里漁協では、地域の基幹産業であるわかめ養殖の生産者のもう一つの収入源としての役割を果たす重要な事業です。しかし、そんな定置網漁も今回の大規模火災によって窮地に立たされています。延焼したとみられる綾里漁協の倉庫には、巨大な定置網が仕舞われており、網も火災で焼けてしまった可能性が高いとみられます。2~4月の三陸は魚が少ないため、網は海中に仕掛けずに、陸上で保管するのが通例。震災後に新調し、乗組員たちが自分の手で修繕し、毎年丁寧に掃除をしていた網は財産であり商売道具です。複雑な構造をした定置網は総延長で数kmにもなる巨大なもので、新たに購入するには数億円がかかります。春を告げるわかめ漁の“タイムリミット”この定置網漁以上に厳しい状況に置かれているのがわかめ漁師たちです。まさに三陸では、毎年3月11日前後にその年のわかめの収穫と塩蔵の作業が始まります。今年の綾里もわかめの生育は順調で、多くの生産者は2月20日ごろまでにわかめの間引き作業を終え、収穫の適期に向けて、設備や塩、資材などの準備を進めていた最中でした。まさか、延焼がこれほどまでに拡大し避難が長期化するなどとは思わず、一刻も早く綾里に戻り、海中のわかめの生育状況を確かめたい、そう考えていました。ところが、山火事は収束せず、綾里に戻れる目途が立たないままに刻々と時間は過ぎて行きます。わかめは収穫期になると1日で5cm近く成長することもあり、刈り取りに適した時期を逃すと、出荷さえ難しくなってしまいます。綾里では、このわかめの時期になると、漁師だけでなく、おかあさんたち、お年寄りも、近隣の市町に嫁いだ娘や進学した若者まで浜に戻ってきて、総出でわかめをボイルし、塩漬けにし、芯抜きをします。春休みを迎える子どもたちもめかぶ削ぎを手伝うのが当たり前の光景です。綾里の春は、わかめとともに始まり、綾里の人たちの生計の多くの部分をわかめが担っていると言っても過言ではないのです。わかめの養殖は、戦後、疲弊し貧しかった漁村の暮らしを豊かにするために、大船渡で生み出された産業であり、今も、綾里の最大のなりわいです。私たちは、海で生き、津波を生き延びて再び海へと戻った生産者たちが、この火災によって、海をなりわいに生きることをあきらめてほしくはありません。今できることは少ないですが、綾里の漁協と生産者の背中を押すことができればと考え、この応援商品を発売しました。再び綾里の生産者たちが立ち上がるため、応援よろしくおねがいします。>応援商品はこちら
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