7月のある日、東京都三鷹市の鴨志田農園を訪れたポケマル編集部の面々。
畑をとことん見学させてもらった後に、完熟堆肥の話を伺い、匂いを嗅ぎ……鴨志田農園ツアーを体験した取材班でしたが、今思えば本番は”これから”だったのです——。
鴨志田家の母上特製カレー!
\どんっ/

思いもよらぬ鴨志田さんの経歴……とともに鴨志田さんのお母さん(自称「鴨母」)が運んできたのは、たっぷりのお野菜とチキンスープカレーでした!

新鮮野菜のおかずもたーっぷり
世界を旅してたどりついた「教育」
ということでお皿にたっぷりお米とカレーと揚げ野菜をよそいまして……

\いっただっきま〜す!/


青少年赤十字派遣事業でラオスを訪れた中学2年生だった鴨志田さん。そこで大きな衝撃を受けたのだそうです。
将来への道を決めた鴨志田さんでしたが、伝える立場として、ラオスだけでなくいろいろな国の実情をを知っておきたいという思いから、大学卒業後は国内外を放浪していたといいます。

ご本人facebookより。旅人なら誰もが憧れる土地、宗谷岬にて
この熱量には取材陣も驚きを隠せません。ここまでの行動力は、それだけの問題意識を常に抱えていたことの証だと感じました。
”半農半教育”を志して
「半農半X」とは、塩見直樹さんの著書「半農半Xという生き方」で登場する言葉です。食料を自給しながら、自分の個性や特技を生かしてやりたいことをし、社会に貢献する生き方を指します。
参考:塩見直紀 2003 半農半Xという生き方 ソニーマガジンズ

ご本人Twitterより
先祖から代々受け継がれてきた農園と、鴨志田さんが目指す教育での社会貢献。2年間にも及ぶ壮大な旅は、こうして大海原へ辿り着きました。
数学教師になるという目標を達成し、次のステップに進んだ鴨志田さんの人生でしたが、数年後またもや大きな転機を迎えました。
鴨志田農園の5代目であったお父様が、急逝したのです。
当時のことを鴨志田さんは、「突然の死に呆然としながら、我に返りはじめに行ったことは、野菜への水やりでした」(プロフィールページより引用)と語ります。この日から、教師として働きつつ、農家としての人生も歩み始めることとなりました。

父が遺した畑は、この日も美しい緑に覆われていた
そして2015年、正式に鴨志田農園の6代目に就任したのです。
作るだけじゃない、畑は伝える場なんだ
鴨志田農園6代目が語る物語に聞き入る取材班を、現実に引き戻したのはキュウリでした。

たっぷり畑の植物の名前を呼んで、堆肥の匂いで盛り上がり、スペシャル美味しい特製カレーをごちそうになって、取材班・大城は気付きました。
——いつのまにか、農業や野菜の知見が広がっている。
確かに、畑の役割はただ生産することだけではないようです。
農地として使う以外にも、たくさんの需要がある東京の土地。
消えゆく農地が多い東京で、鴨志田さんの農園が持続的なのは、畑の役割が単なる野菜づくりの場に留まらず、教育の場所として機能しているからだと、瑞々しいキュウリを噛みしめながら頷くのでした。
>>後編につづく
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文=尾形希莉子/日野原有紗/大城実結、編集・写真=大城実結/中川葵