都市農業で社会貢献!"半農半教育"に目覚めた青年農家のサステナブルな生き方とは

7月のある日、東京都三鷹市の鴨志田農園を訪れたポケマル編集部の面々。

畑をとことん見学させてもらった後に、完熟堆肥の話を伺い、匂いを嗅ぎ……鴨志田農園ツアーを体験した取材班でしたが、今思えば本番は”これから”だったのです——。

\この記事は3本立てです/
  1. 完熟堆肥って何?東京ど真ん中で美味しい野菜が育つワケを農家さんに聞いてきたよ
  2. 都市農業で社会貢献!"半農半教育"に目覚めた青年農家のサステナブルな生き方とは(この記事です)
  3. 近日公開!
 

目次

 
     ここに目次が表示されます。    

鴨志田家の母上特製カレー!

今まで知らなかった堆肥の奥深い世界を垣間見ました。ここは先祖から代々受け継いで、鴨志田さんで6代目の土ですものね。愛情を感じます

そもそも鴨志田さんはお父さまと一緒に農業をやられていたのですか?

いいえ。小さい頃から畑で遊んだりはしていましたが、栽培方法は教わらぬまま、父は他界してしまいました。そのため農業についてはゼロから独学だったんです。

どくがく……!? え、じゃあそれまではどんなお仕事を?

実はぼく、数学教師だったんです。

へえええっ!?

カレーできたよ!

\どんっ/


思いもよらぬ鴨志田さんの経歴……とともに鴨志田さんのお母さん(自称「鴨母」)が運んできたのは、たっぷりのお野菜とチキンスープカレーでした!

新鮮野菜のおかずもたーっぷり


(お腹ペコペコだから嬉しい。だけど鴨志田さんの人生のお話も聞きたい…!)

まあとりあえずお腹も空きましたし、食べましょうか!


世界を旅してたどりついた「教育」

ということでお皿にたっぷりお米とカレーと揚げ野菜をよそいまして……

\いっただっきま〜す!/


うおーっ! 一般的な「お袋のカレー」という概念を遥かに凌駕する、本格的なスパイシーカレーだ

家に帰りたくなくなりました。ずっとこれを食べていたい


ほとんど野菜の甘みと旨みでできてるの。玉ねぎもトマトもいっぱいあるから、30個ずつくらい入れて、昨日からグツグツ煮てたのよ〜

昨日から! 鴨志田家は畑もカレーもガチだ


(あっ、取材しに来たんだった。いかん、無心で食べてた)
コホン改めて。鴨志田さんって数学教師だったんですか……?

そうなんです。2018年まで都内の中高一貫で数学の教師をしていました。

ご実家は農家でありながら、なぜ教師に?

きっかけは中学2年生の頃のラオス訪問でした


青少年赤十字派遣事業でラオスを訪れた中学2年生だった鴨志田さん。そこで大きな衝撃を受けたのだそうです。

首都から4時間ほど離れた村に支援物資を届けに行ったのですが、学校の屋根はトタンで、雨漏りによって机や椅子が朽ち果てていて。そこで僕は、日本にある豊かさって当たり前じゃないんだなと強く感じたんです

確かに日本では考えられない光景です。それを中学2年生の時に目の当たりにしたんですね

帰国して一番に思ったのは、「自分が感じた世界の現状を伝えていきたい」ということでした。伝える仕事ってなんだろうと考えていくうちに、教員という仕事が浮かんだんです。将来的に海外へ行くことも考え、教科は数学を選びました。

確かに、数学は万国共通の言語ですものね


将来への道を決めた鴨志田さんでしたが、伝える立場として、ラオスだけでなくいろいろな国の実情をを知っておきたいという思いから、大学卒業後は国内外を放浪していたといいます。

大学を卒業してから2年間、ずっと旅をしていました。地球一周(Peace Boat)に自転車日本縦断、ヒッチハイク、バックパッカー、四国遍路等の旅……。合計で47都道府県と30カ国を訪問しました

ご本人facebookより。旅人なら誰もが憧れる土地、宗谷岬にて


この熱量には取材陣も驚きを隠せません。ここまでの行動力は、それだけの問題意識を常に抱えていたことの証だと感じました。

これらの旅を通じて僕は、生身で感じた社会問題を日常の生活の中で、どうやって解決するかを考え続けていました。そんなとき、「半農半X」という言葉に出会ったのです。


”半農半教育”を志して

「半農半X」とは、塩見直樹さんの著書「半農半Xという生き方」で登場する言葉です。食料を自給しながら、自分の個性や特技を生かしてやりたいことをし、社会に貢献する生き方を指します。

参考:塩見直紀 2003 半農半Xという生き方  ソニーマガジンズ 


もし”半農半X”を自分自身に当てはめるなら、僕は「半農半教育」だと気付いたんです

ご本人Twitterより


先祖から代々受け継がれてきた農園と、鴨志田さんが目指す教育での社会貢献。2年間にも及ぶ壮大な旅は、こうして大海原へ辿り着きました。

旅を続けていたある日、高校時代にお世話になった先生から連絡があり、教師を募集しているということで、母校にて数学教師として働くことになりました。それが2010年4月のことです

数学教師になるという目標を達成し、次のステップに進んだ鴨志田さんの人生でしたが、数年後またもや大きな転機を迎えました。

鴨志田農園の5代目であったお父様が、急逝したのです。


当時のことを鴨志田さんは、「突然の死に呆然としながら、我に返りはじめに行ったことは、野菜への水やりでした」(プロフィールページより引用)と語ります。この日から、教師として働きつつ、農家としての人生も歩み始めることとなりました。

父が遺した畑は、この日も美しい緑に覆われていた


とにかく農業のことを一から学ぼうと、父親が遺してくれた何十冊もの農業技術書を読みあさって、全国のいろんな人に会いに行って……

そして2015年、正式に鴨志田農園の6代目に就任したのです。


作るだけじゃない、畑は伝える場なんだ

鴨志田農園6代目が語る物語に聞き入る取材班を、現実に引き戻したのはキュウリでした。


なんだこのキュウリ、メロンの味がする

そうでしょ〜うちの自慢なの!

すっかり口の中はカレー味だったのに、それに負けない濃厚な風味が広がる。中心のタネのあるところが特に甘い……

ふふふ、でしょ? うちのはジコンキュウリだからおいしいのよ

ジコンキュウリ……?

"自根"よ。うちのはツギキじゃないの

ツギキ……?

"接木"って書くよ。私たちが普段食べているキュウリは、根っこをカボチャとかに取り替えられて育ったものが多いんだよ。種から育てて、実ができるまでずっと自分の根っこで育ったものが「自根キュウリ」で、とても珍しいんだ

これが本来のキュウリの味です

へー! (ポリポリ……ハッ、これが鴨志田学校のやり方かっ!)


たっぷり畑の植物の名前を呼んで、堆肥の匂いで盛り上がり、スペシャル美味しい特製カレーをごちそうになって、取材班・大城は気付きました。

——いつのまにか、農業や野菜の知見が広がっている

確かに、畑の役割はただ生産することだけではないようです。


農業体験はもちろん、誰でも参加できる栽培講座堆肥講座など、僕はここを「教育畑」として開放しています。来週も都内の高校生がやってきて、一緒に勉強する予定なんです

都心部からも都内どこからでもアクセスのよい場所三鷹という土地だからこそ、教育畑という在り方が実現できているのかもしれませんね

農地として使う以外にも、たくさんの需要がある東京の土地。

消えゆく農地が多い東京で、鴨志田さんの農園が持続的なのは、畑の役割が単なる野菜づくりの場に留まらず、教育の場所として機能しているからだと、瑞々しいキュウリを噛みしめながら頷くのでした。


このメロン味のキュウリ、また買いに来てもいいですか?

あ〜、キュウリはもう終わりなんですが、他の野菜でよければ来てください。もしかしたら僕はネパールにいて不在かもしれませんが

ネパール……

>>後編につづく


関連出品

鴨志田純さんの商品をもっとみる

文=尾形希莉子/日野原有紗/大城実結、編集・写真=大城実結/中川葵

Magazine

あわせて読みたい