【私はこうして農家になった】「祖父が養蜂をやめる」という突然の知らせに「マジか」と思ったーー養蜂家・西村洸介さんの場合

私はこうして農家(漁師)になった】シリーズでは、私たちの食生活を根底で支えつつも、産業全体としては衰退の一途をたどる一次産業の現場で奮闘する農家さん(漁師さん)に、その背景や想いを聞いていきます。

本シリーズについての詳細はこちら:連載シリーズ【私はこうして農家・漁師になった】始まります



温暖な気候、そしてみかんと梅の産地という、好条件に恵まれて、全国有数のはちみつの産地でもある和歌山県海南市。

西村洸介さん(1985年生まれ)は、西村養蜂場の4代目として、ミツバチと向き合う日々を送っています。

[関連:365日ハチさんと共に・・・はちみつを作るだけではない「養蜂家(ようほうか)」の仕事について聞いてきました



養蜂家歴は約5年になる西村さんですが、もともとは養蜂家になるなんて、夢にも思っていなかったそうです。


西村さん:

幼い頃からおじいさんが養蜂をやっているということは知っていましたが、親はやっていなかったので、身近で現場を見ていたわけでもないですし、ただただそれが当たり前だったので特に意識はしていなかったんです。

もちろん、養蜂家になりたいとかいうことも、考えたこともありませんでした。


だから、普通に希望していた建築を学び、設計事務所に就職したんです。

奈良にある事務所まで、大阪から通っていました。



ところが、そんな西村さんに転機が訪れました。


辞職、そして・・・


西村さん:

数年間その設計事務所に勤めていましたが、ある時期会社の状態があまり良くなくて、私も会社を辞めたんです。


当時、すでに結婚もしていたので、とりあえず和歌山に戻って仕事を探そうと思いました。もちろんそのときも養蜂をやろうと思って帰ってきたわけではなく、和歌山で設計事務所を探そうと思っていました。


そして帰ってくるや否や、聞いたんです。

おじいさんが「養蜂をやめる」ということを。


ずーっとやっているのが当たり前だと思っていたので、その時はじめて意表を突かれて「マジか」って思ったんです。


それで突発的に、「技術だけでも受け継がなきゃ」と思いました。当時おじいさんは83歳か84歳だったので。


ある意味そのときは軽い気持ちでした。

ダメならダメで、いざという時は資格もあるので建築の仕事に戻ればいいやくらいに思っていて、ずっと養蜂を続けていくかどうかもあまり考えていなかったんです。



そんな西村さんでしたが、今ではすっかり養蜂とミツバチたちにのめり込み、今後も続けていく意志はかたいようです。

養蜂の何を、面白いと感じているのでしょうか。



建築には戻りたくない


西村さん:

おじいさんに教えてもらいながら、1年目の時に蜂を一気に増やすことができたんです。

手をかければかけるほど大きくなる(蜂が増える)ことがわかって、それがすごく面白いと思いました。



もともとの仕事も、一応お金で成果は見えるわけですけれど、養蜂はお金という形ではなく、頑張ったら頑張った分だけ蜜がとれたり、蜂が大きくなったりと、自分の成果が目に見えるんですよね。それがすごく楽しいです。


もちろん、しんどいこともあるし、保証もないし、博打みたいなところもあるんですが。

今はもう建築に戻りたいとは思わないですね。

やりがいを見つけてしまったので!



そう語る西村さんからは「本当に養蜂の仕事が好きなんだろうなあ」という雰囲気が伝わってきました。

西村さんが「養蜂をやる」となったとき、奥さんはどういう反応だったのでしょうか。


西村さん:

全く反対とかはなく、むしろ「そうした方がいいんじゃない」という反応でしたよ。

彼女いわく、建築の仕事をしていたときの僕は「死んだ魚の目をしていた」らしいです。(笑)



盛り上がる産業の裏腹で・・・


そうして晴れて天職にめぐり会い、今ではほとんど多くの仕事を一人でこなすという西村さん。和歌山の養蜂産業に関わる苦悩についても少し教えてくれました。


西村さん:

今、和歌山のこの近辺には養蜂のテリトリーがすごく密集している状態です。

テリトリーというのは、蜂が飛ぶ2~5km圏内には他の養蜂場を作らないようにして、それぞれのテリトリーが侵されないよう線引きがなされているんですね。



それだけもう場所が埋まってしまっているということは、自分のところの収量をさらに増やしたいと思ったとしても空きがありませんし、もちろん新規の方も入ってきづらい状況があります。

私自身ももちろん増やせるものなら増やしたいというのが本音ですが、今すぐにはそれは叶わないですね。


一方で他の一次産業の現場と同じように、養蜂家の高齢化・後継者不足は進んでおり、そういう意味では、場所の空きが出てくるのも時間の問題かもしれません。(あまりポジティブな意味ではありませんが。)



養蜂を次世代もやるべきかどうかは「わからない」


思いがけなく養蜂を継ぐことになったものの、今はそれが楽しくて仕方がないという様子の西村さんですが、やはりそれを次の世代にも継いでいってほしいと思っているのでしょうか。


西村さん:

もちろん継いでくれたら嬉しいとは思うんですけれど、何とも言えないところもありますね。


自分自身が継いだときも、すでに前の時代とはかなり状況が変化していて。みかん畑も減っているから、はちみつの収量もだいぶ減っているんですよね。

だから次の世代のときは、またさらに状況が変化していると思うんです。



そういう意味では、継ぐのが正しいのかどうか、ちょっとわからないなあというのが正直な気持ちです。




西村さんは、自分の生業として養蜂の仕事に精を出しつつ、冷静に産業全体のことを見ているようにも見えました。

和歌山県内の若手農家でグループを作り、生産物を直接お客さんへ販売したり、食育活動を行ったりしているのも、既存のやり方にとらわれずに自分たちのこだわりや思いを伝えていくため。


西村さんのように純粋にその仕事を楽しむ人たちが(北風ではなく)太陽となり、産業の未来も明るく照らしてくれるのではないかと思いました。



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