【つながるポケ○(マル)日記】大阪のヤンキー、山村で猟師になるージビエ猟師の笠井大輝さんー(執筆:高橋博之)

※こちらではポケットマルシェ公式noteにて2022年12月に公開した記事を再掲載しています。



過疎高齢化に伴って各地に広がる獣害被害に立ち向かうひとりの青年がいる。

大阪の街中で生まれ育った笠井大輝さん(25)は今、西日本で一番小さな町、人口約1100人の京都府笠置町でジビエ事業を行う(株)RE- SOCIAL やまとある工房の代表を務める。

ポケマルのごちそうさま投稿にて
ユーザー・ともちん(2021/05/22)とのやり取りより


小中高までは素行が悪く、度々、警察の世話にもなった。学校の先生から「おまえみたいなやつが社会をダメにしていくんや」という言葉を浴びせられたこともあったという。父が高校の校長、母とふたりの姉が小学校の先生という教師一家で育ち、「先生の子供なんだからちゃんとしろ」という目で見られることが窮屈で嫌だった。どこに帰っても休まる瞬間がなかった。

高校3年になり、自分の進路を考えたとき、これだけ散々社会に迷惑をかけてきたんだから、これからは社会の役に立つことをしたいという気持ちが芽生えた。父から常に「勉強ができるとか野球ができるかよりも、人としてどうあるかの方が大事なんだぞ」と言われ続けてきたことが大きかったと振り返る。

猛勉強の末、龍谷大学政策学部に最下位で滑り込み合格する。知らせを受けた職員室は驚きで総立ちになったという。入学後は、ソーシャルビジネスを専攻した。社会課題を知り、解決策を提案する授業が続いた。その一環で各地にフィールドワークに出かけヒアリング調査していると、どの地域でも共通して存在している課題が、獣害被害だった。


この問題を解決するためにどんどん鹿や猪を捕まえていきましょうという方針を国は出していたが、現場の地域では出口戦略がないままにただ捕まえるだけだから、捕獲された野生動物の90%が廃棄処分されていることを知った。


とある地域の裏山に掘られた25mプール大の巨大な穴に、毎日、殺された鹿や猪が放り込まれ捨てられている光景を見たとき、言葉を失い、その場から動けなくなりました。


そう話す笠井さんは元々、大学の授業では社会課題に対して無責任に提案するだけして、自分はやらない自身にもどかしさを感じていたことから、大学3年時に起業を決意した。狩猟に関して何の知識もなかったので、情報収集から始め、徳島の83歳のベテラン猟師のところに弟子入りし、3ヶ月間、泊まり込みで捕獲から解体、精肉加工、販売まですべてを教わった。

獣の足跡や糞、草の食べられ方を見て、罠か檻を仕掛け、生け捕りされた獣は、その場で動脈をナイフで切り、絶命させるという一連の作業に、最初は涙が止まらなかったですが、その日から、余計に毎日のご飯が美味しく感じるようになりました。

人間が生きるということは、他の生き物の命を食べ、自分の命をつなぐということ。その当たり前のことが行われている現場をなぜ今まで知らなかったんだろうと、自責の念に駆られた。

いろいろな地域に話を聞きに行っていたが、京都府笠置町で役場職員から「この町は獣害被害はない」と言われた。調べると、確かに獣害被害の総額も年間の捕獲頭数も極端に少なかった。一方、住民に直接聞くと「あらゆる作物が食べられて困っている」との声が多数あった。笠置町ではほとんどが兼業農家なので、販売している野菜自体がないため、食べられても被害金額として表に出てこないのだった。行政には触れられない見えない課題。ならば、民間企業の出番ではないかと、笠井さんはこの地で起業することに決め、移住した。


ジビエ事業で地域課題を解決したいと、笠置町で起業した笠井大輝さんだったが、縁もゆかりもない新参者は保守的な地域社会の洗礼を浴びることになる。移住後、役場職員から地元の猟友会を紹介してもらったが、「何しに来たんじゃ。帰れ」と取りつく島もなかった。狩猟できなければジビエ事業も始められず、稼ぐこともできない。そんな最悪な状況が半年くらい続いていたころ、新型コロナウイルスの感染拡大が始まる。

一緒に起業したふたりの大学同期生と3人で毎日、笠置町のどこかでアルバイトして食いつないだ。お茶農家の手伝い、キャンプ場の受け付けや薪割り、ゴルフ場の外周フェンスの張替えなど、地域で必要とされている仕事はなんでもやった。各家庭の水道メーターをチェックして回るアルバイトもやったが、必然的に全住民とコミュニケーションすることになった。その姿を見ていた町民たちが「あいつらがんばってるな」と言ってくれるようになっていった。


住む場所を探すのも難儀した。移住当初は、町が移住を促進するために建てた住居にお試し居住ができたが、期間は半年間だった。その後、暮らせる空き家を探していたが見つからなかった。あきらめかけていたとき、ギリギリここは住めそうだなという空き家が見つかった。電気は通っていたが、風呂、トイレ、キッチンはなかった。そこに五ヵ月間、暮らした。お腹が痛くなったときは10分かけて駅のトイレに駆け込んだ。お風呂は代わる代わる住民に入らせてもらい、ついで飯も食わせてもらった。

笠井さんは、地域住民に少しずつ受け入れられるようになっていった。猟友会から門前払いされて1年経とうとしていた。「あんだけ気張ってるんだから、お前らも協力してやれ」と猟友会のメンバーに言ってくれる住民が出てくるようになり、猟友会も協力的になっていった。今では、猟友会のメンバーが毎日、笠井さんの精肉加工場に顔を出すようになり、「今日、俺は何を手伝ったらいい?」と主体的に協力してくれるようにまでなった。

地域に溶け込めずに苦労していたころ、何度も他の自治体から「うちでジビエ事業をやらないか」と勧誘を受けた。親しくなった住民から笠置町は特別にやりにくいところだから他に行ってやった方がいいと助言もされたが、気持ちは揺らがなかった。


どこに行っても同じような保守的な土地柄があると思うので、そこを乗り越える力を身に着けないと、どこの地域に行ってもうまくいかないなと思いました。


笠井さんはそう話す。

獲物の鹿を生け捕りにする罠の檻は、町内に50ヵ所仕掛けてある。一般的には檻にかかった鹿はその場で絶命させられ、加工場まで搬送されるのだが、笠井さんは生きたままトラックに乗せて加工場まで運ぶ。仕留めてから精肉加工するまでの時間差を限りなくゼロに近づけることで、これ以上ない新鮮なお肉ができる。


昨年、消費者に直接販売できる産直EC「ポケットマルシェ」を始めた。3ヵ月目にはジビエ部門で人気1位を獲得し、この一年間、その座を守り続け、今年3月には、課題解決に挑戦する生産者にスポットを当てて表彰する『ポケマルチャレンジャーアワード2021』優秀賞を授賞した。大半のジビエ商品が冷凍で送られてくる中、鮮度を重視する笠井さんの「生(なま)ジビエ」という商品は冷蔵で発送されることが受け、ヒット商品になっている。


結果論だが、補助金だと時間もかかるからと、あえて借金をして加工場を建てたのが大きかった。地域に行けば行くほど補助金を使ってやっている事業という一線をひかれているように感じたし、もし補助金を使っていたら、地域の中でアルバイトする必要もなかったし、食べるものも風呂もないからと住民に頼ることもなかったはずで、そうなると地域社会に受け入れられず、事業を展開することは難しかったと、これまでの歩みを振り返る。

笠置町という一番小さなところから始めた事業だが、今年4月から隣接する4市町村から声がかかり、事業を拡大することになった。また、鹿のレザー商品と、骨と内臓を活用したペットフードの開発も展開しており、鹿一頭余すことなく流通していく構想がある。人手の確保が課題だが、デジタルの力を活用したいと考えている。今、設置してある50個の檻はすべて自分たちで見て回っているが、毎朝スマホを見たらどこの檻が落ちているかがわかるようにIOT化を進めていく予定だ。

(執筆:雨風太陽代表 高橋博之)



Producer


笠井大輝 (株)RE- SOCIAL やまとある工房|京都府相楽郡笠置町

【やまとある工房】
この名前には、「自然に敬意と感謝の気持ちを忘れず、本来あるべき人間と自然の関係性・命への感謝を「食」を通して伝えていきたい、山と共にありたい」

という思いが込められています。


【狩猟から精肉加工・販売までを一貫するこだわり】
 弊社では、捕獲から処理・販売まで一貫して行います。保健所の許可を受けた食肉処理施設「やまとある工房」にて製造するため、安心安全な鹿肉です。  
 美味しい鹿肉を製造するため、徹底された血抜き・素早い処理・丁寧なトリミングにこだわっています。仕入れでは、箱罠やくくり罠による捕獲を行い、広場にて一時的飼育することで、安定的な供給と肉質を確保しています。そのため、旨みの詰まった柔らかい肉質を実現することができるのです。
 旬は夏として認知されている鹿肉ですが、夏はジューシー、冬はヘルシーでもあります。ぜひ、季節ごとの違いもお楽しみください!


笠井大輝の商品をもっとみる

Magazine

あわせて読みたい