豚肉が霜降りに!?知る人ぞ知る「デュロック純粋肉豚」をつくる方波見親子に会ってきました

2月某日、私、ポケマル編集部インターン日野原はそわそわしていました。

き、緊張してそわそわします。だって今回の取材は…

遡ること2週間。私は親子2代で養豚業を営む方波見牧場さんのプロフィールを見ていました。

私の父は17歳から養豚を始め50年近く立ちます。デュロック純粋種にこだわり、究極のデュロック種を作るという信念の元、デュロック種純粋の育種を20年程前から行ってきました。

デ、デュロック? 純粋種? 豚の育種ってどうやってするんだ?

わからない用語が多い一方、プロフィール文からはただ者ではない空気が伝わってきました。

緊張を抱えつつも、知らない世界に足を踏み入れてみたい!という強い好奇心に導かれた私たちポケマル取材班は、方波見牧場がある茨城県鉾田市へと向かいました。

※取材は2020年2月3日に行われました

\この記事は2本立てです/

  1. 豚肉が霜降りに!?知る人ぞ知る「デュロック純粋肉豚」をつくる方波見親子に会ってきました(この記事です)
  2. 「牛肉に負けないブランド豚を作る」27歳養豚経営者の決意(3/30 17:00 公開)

目次

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方波見牧場こだわりの"デュロック"とは?

東京から車を走らせ2時間。今回取材班が向かったのは茨城県鉾田市です。

方波見牧場では豚コレラや疾病への対策のため、牧場の住所は非公開となっています。畜舎の見学なども一切受け入れていないとのことで、今回は鉾田市内にある「まちおこし研究所」をお借りして取材をさせて頂くことに。

出迎えてくれたのは方波見牧場の主である真人(まさと)さん、父の勝久さん、母の三四子さんの3名。

ほ、本日は方波見さんが育てている「デュロック」のことをお聞きしたくてやって参りました。まずはじめに、豚の品種についてお、お伺いできますでしょうか

日本で生産されている豚の約90%は「三元豚(さんげんとん)=LWD」と呼ばれるものです。「ランドレース種=L」「大ヨークシャー種=W」「デュロック種=D」の3品種を交配させたものが多いですね

さ、三元豚とは「3つの品種を掛け合わせた豚」という意味だったのですね。品種ごとの特長はどう違うのでしょうか?

まずランドレースは細長い体型をしていて、子豚をたくさん産むのが特長で非常に繁殖能力に優れている品種です。ただ細長いのでどうしても足腰が弱くなってしまいます

ランドレースのイメージ(画:筆者ひのはら)

ダックスフントみたいな感じですね

大ヨークシャー種は耳がぴんっと立っている豚で、足腰がしっかりしていて骨格が優れている品種です

大ヨークシャーのイメージ(画:筆者ひのはら)

そしてこれが当牧場で育てているデュロック純粋種「常陸野栗豚(ひたちのくりぶた)」です

方波見牧場のデュロック種(方波見さんのコミュニティ投稿より)

自分が惚れ込んだからってのもあるけども、世界中の豚の中でデュロックの味は最高。脂があっさりとしていて、甘みがあります。サシが入りやすいのも特長ですね。
母豚がいちどに産む子の頭数が少なく生産効率が低いというデメリットはありますが。三元豚ではデュロックを最後にかけあわせることで肉質がぐっと向上するんですよ

え、サシ!? 豚肉も霜降りになるとは知りませんでした

ちなみに、同じデュロックの中でも、子どもを産みやすい系統、筋肉質でボディービルダーのような系統など個体差があります。それぞれの特長を生かし、掛け合わせることでより肉質の良い肉ができあがります

デュロックの中にも特徴の異なる系統があり、それを掛け合わせていく……そうすると方波見牧場オリジナルのデュロックができあがるというわけですね

ブランド豚の中でもほんとのオンリーワン。日本でも世界でもウチにしかない豚肉を作ることを目標にしています


「やるならおもしろいことを」
方波見牧場誕生のお話

勝久さんは17歳から養豚業を始めたとプロフィールで拝見したのですが、デュロック肉豚はいつごろから?

方波見家での養豚業は私が初代です。私の親の時代は農業で、米をはじめとし様々な作物を栽培していました。
その頃は全て手作業でしたので、収穫時期に台風などの自然災害が起きると収入が半減してしまう。それでは厳しいので、私の代では1年間安定して生産できるものは何かと考え、畜産だなと。
その中でも豚肉はまだまだ足りない時代だったので、養豚業をしている方のところに研修に行ったんです。そこでは、養豚後継者を仕立てるための教育を受けました。それから、日本中世界中を駆け回って、25歳の時にここの養豚場を国の補助事業で立ち上げたんです

初めからデュロックを育てていたんですか?

いえ、初めは三元豚だったね。スタート当時は作れば売れる時代だったんですけど、全国的に養豚場の規模拡大が進んで、昭和54年(1979年)には豚肉市場が飽和状態になってしまったんです。出荷制限がかかって農協の買取価格も6割くらいに落ちてしまい、経営がマイナスになるような状況で

農協で出荷を受けてくれないなら、当時茨城で立ち上がった出荷者組合兼販売会社から生協を通して消費者へ直接豚の販売をすることにしました。いわゆる産直だね。
ところが今度は生協が大きくなって、産直という名目でありながら実際は大型養豚(企業)から買っているようなことも増えてきて。生協も当時の「ダイエー」に代表されたような大規模小売店と戦うほかないから仕方のないことだったのだろうけどね。
産直も含めて小売り全体が「安く安く」の時代になってしまって、それじゃおもしろくないなと。そんな時、東京のスーパーのバイヤーからうちの肉を使いたいと声がかかりました

ただ、そのスーパーの社長が「鹿児島黒豚の方がメジャーだから」と渋っていて困っていると。そこで、うちの肉を「鹿島赤豚」と名前を変えて、1年間鹿児島黒豚と一緒にスーパーに並べて、お客さんに判断してもらうことにしたんです

鹿児島黒豚vs鹿島赤豚ですか

最終的に鹿島赤豚の方が美味しいという結果が出て、その後は最高で月50頭くらいの規模にまで増えました

おお〜

が、そしたら今度は

(嫌な予感)

2000年に九州で「口蹄疫(こうていえき)」という牛や豚が罹る伝染病が発生してしまったんです。そのあおりを受けて「方波見さん、豚肉売り場にお客さんがいなくなってしまいました」と、出荷がストップしてしまって

うわぁぁ……

生き物ですから、出荷が止まると市場へ出すしかない。けれども市場へ出したら普通の豚と同じ値段になってしまって経営的には苦しい

赤字になってしまう……

その時、長男(真人さんの兄)が言ったんです。「親父、とにかくこれからは家族で食える程度でいいから、こだわった豚肉をつくろう」

量ではなく質って、ね

三元豚でデュロックの美味しさは知られていたので、交配に使うのではなくデュロック純粋の肉豚まで実現できれば、これはおもしろいのかなと。たまたま育種家の方と一緒にやる機会があって、それでどんどんどんどんデュロックの方に……

「もちろん上手くいかず、家族に迷惑をかけたこともありますけどね」とひと言付け加えた勝久さんを優しい眼差しで見つめる奥様。方波見家のほっこりとした雰囲気に包まれ、いつの間にか筆者の緊張は解けていました。


トップを追いかけた父に訪れたピンチと、息子の決断

波瀾万丈の養豚家人生に、またもや転機が訪れました。真人さんが高校生の頃、勝久さんをデュロックの生産を続けられないほどに追い詰める出来事があり、方波見家は方向転換を図ります。


希少なデュロックを極め、ここまでのブランドに成長させた。勝久さん、有言実行ですね

僕はなんでもトップじゃないと意味がないと思っているんですよ。養豚の専業農家として1番になりたい、その思いでやってきました。
デュロック育種改良に多額の資金を投資して、当時2500頭くらいのデュロック純粋肉豚を生産する規模にまで成長しましたが、うまくいかないこともありました。たとえば、大きな食品会社からうちのバラ肉を使った加工品を作りたいと声がかかったのですが、なかなかね……

バラ肉だけ欲しいと言われても、豚一頭からは他にもいろいろな部位の肉がとれます。ウデとかモモとかロースとかが余っちゃうんですよ

そういうことがあったりして経営は簡単ではありませんでした。そこにたまたま友人の不幸が重なってね。正直もう僕の代で辞めてしまおうとも思っていたんです。
その頃、高校生だった真人がラグビーで全国大会まで行って、「この先どうすんだ?」と聞くと「体力は自信あるから、せっかく子どもの時から手伝ってきたし、やる」

勝久さんの話を聞きながら、私は自分自身に置き換えて考えていました。もし自分が真人さんの立場であったらどうしたか。高校生で家業を継ぐ覚悟ができるかと。

真人には僕の牧場の外の世界も経験して欲しかったので、まず畜産の研修に行ってもらいました。
私自身は1992年に共同でハムの加工所を作り代表をしていた経験があり、既に食品衛生管理者の資格を取得していましたし、豚舎の方にハム加工場を作ってありました。
それで、真人にはハムの勉強もしてもらおうと、畜産の研修が終わった後にハムの研修にも行ってもらったんです


トップを目指す親子2代のハムづくり

次男・真人さんが牧場を継ぐにあたり、ハムの加工所まで整えて迎えた父・勝久さん。「トップじゃないと意味がない」と豪語する勝久さんのことです。ハム作りにも方波見家流のスゴいこだわりがありそうです。


デュロック肉豚生産だけに止まらずハムの加工まで始めたのには、どのような理由があったのでしょう?

父の代から、取引先から部位単位での注文が多いという課題がありました。どうしてもロースやカタロースやバラ等の部位に注文が偏ってしまうんですよね。せっかく大切に育てた豚ですから、残った部分をハムやベーコンに加工してお届けできればいいなと

勝久さんが1人で抱えていた課題に対して、真人さんと2人で挑める体制になったと

うちはハムにもこだわり過ぎちゃっている部分があって。市販のハムの原材料をみると豚肉以外に大豆タンパクや卵白やいろいろな添加物が使われているのがわかるんですが——

市販のハムが食べた時につるんとするの、あれ卵白……(笑)

えええ

いわば「かまぼこハム」。そうやって安い輸入肉を違和感なく食べられるものにしているんです。市販のロースハムをロース肉の3分の1くらいの値段で売ることができるのには、そういう理由があるのです

かま…ぼこ……

私達のハムは、豚肉自体が美味しいので塩と砂糖だけで十分美味しく作れるんです

うちのハムは肉を調味液に漬け込んでから一個一個手作業で布を巻いて乾燥させて、保存性を高めるために薪で燻煙かけて、最後に65から70℃のお湯で2時間くらいボイルして完成。添加物は最低限のものだけにとどめています。
そうすると市販の2倍も3倍もする価格になってしまう。良いものなら売れるだろうという単純発想なんだけど、「お前んとこのハムは旨いんだけど高くて買えんなあ」とも言われてしまいます


* * *


方波見家、やはりただ者ではありませんでした。

「トップじゃないと納得できない」とデュロック純粋種を極め続ける父と、それを支える家族。勝久さんのお話からは、常に上を目指し続けることのやりがいだけではなく、その厳しい現実も伝わってきました。

この後はお父さんが守ってきた牧場と思いを受け継いだ方波見家次男で方波見牧場代表の真人さんに迫っていきます。さて真人さんは今後方波見牧場をどのように発展させていくのでしょうか。

>>後編はこちら:「牛肉に負けないブランド豚を作る」27歳養豚経営者の決意(3/30 17:00 公開予定)


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文=日野原有紗・中川葵、写真・編集=中川葵

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