− 3.11とポケマル − 知る、つながる、食べるが力に

東日本大震災をきっかけに、都市と地方を食でつなげたいと「ポケマル」は誕生しました。2011年3月11日はポケマルにとって、立ち返りながらも、新しいつながりを作っていくための、大切な原点でもあります。震災から12年。東北で活躍されている生産者さんに、これまでとこれからについてお話を伺いました。

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東北から地域社会を豊かに

岩佐大輝さん 宮城県亘理郡山元町

震災当時、129件のうち125件ものいちご農家が流されてしまいました。岩佐さんは、震災を機に東京から帰郷し、山元町が誇るいちごで「復興を後押ししたい」と、株式会社GRAを設立。いちごブランドの設立、カフェ、IT技術の利用など、様々なことに取り組んできました。

ー今は、震災の前よりもいちごの町になったと思うー

今では、震災前以上にいちごの知名度は大きくなり、山元町はさらに賑やかに。「だれか1人の力ではない、町ぐるみで団結できたからこそなし得たこと。」と岩佐さんは語ります。

今、力を入れているのは、いちご農家を育成する新規就農者の支援事業。嬉しいことに、全国や、諸外国からも応募が絶えないそう。現在、多数の卒業生が山元町で独立し、新しいつながりを生み出しています。

ーダイレクトにつながれる関係が大事ー

いちごブランドの設立、カフェ、IT技術の利用など、山元町で数々の挑戦をされている岩佐さんですが、ポケマルの消費者さんとのつながりも大事にしているそう。

「生産者と消費者の接点がないと、良い発展に結びつかない。ポケマルの消費者さんは、生産者の想いやバックグラウンドを理解して買ってくださる方が多いので、直接声を聞けることは、貴重な機会だと思っています。」

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商品の背景を伝えたい。それが消費者とのつながりになって行くから

加藤 淳さん 岩手県盛岡市

もともと農家ではなかったという加藤さん。漠然とものづくりをしたいと考えていた時、震災を経験。
「あのときはひどい状態だった。沿岸部で見た光景や匂い、全体を覆う雰囲気は忘れることができない。」

そののち、津波で浸水し塩害で枯れたと思っていた梅が咲いたとの知らせを聞いた。
自然の力強さを感じ、改めてものづくりとして何が出来るかを考えた時、農業だと思った。

今は、農業を通じて地域を盛り上げ、自然がもたらす岩手の美しい風景を守りたいと加藤さんは語ります。

ー大豆に込めた想いー

「大豆は貴重なタンパク源になるから選んだ。品種を秘伝豆にしたのは、とてもおいしかったから!(笑)大豆は土を太らせる。今では、秘伝豆の味や品質も評価されるようになり、結果的にとてもよい選択だったと思っている。」

はじめて買ってもらえたときの喜びは今でも覚えているそう。売れるということは、評価されるということ。それが面白くて、今では作付面積も10倍以上になった。
さらに、耕作放棄地を借り、大豆を通じて都市と地方がつながる機会をと、参加型の農業に取り組んでいる。

ーこれからもつながりを大切にー

都市とつながる手段の一つとしてポケマルを活用していきたいという加藤さん。
「商品の背景を知り、食べることをきっかけに、岩手に想いを馳せてもらい、食べ物だけに限らない密接な関係を築いていきたい。」

これからも、地域を盛り上げながら、自然がつくる岩手の美しい景観を見てもらいたいと、想いを込めて大豆を作り続けています。

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応援してくれた方や共に生きる仲間に、未来へつながる恩返しがしたい

阿部勝太さん 宮城県石巻市北上町

震災で漁船や施設を失ったのをきかっけに、漁師一丸となって立ち上げたのが、漁業生産組合 浜人。
「当時は震災から復興することに必死だったが、会社経営自体が皆初めてだったし、マンパワーの問題など課題が山積していた。」

はじめての会社経営でたくさんの壁にぶつかり、経営の危機に。
阿部さんは再起を図るため、海産物を加工し、販売するところまでを自ら行う、6次産業化に踏み出しました。

ー初心を思い出させてくれる場所ー

再起を図り、漁港や市場の販路から産地直送販売に切り替えた阿部さん。ポケマルで消費者の声を直接聞けることは、初心に戻るきっかけとなったと阿部さんは語ります。

最初に売った商品はホタテ。消費者さんから、『こんなに甘いホタテははじめて』という、ごちそうさま投稿が届いた。消費者さんの声によって、自分たちのホタテの魅力を逆に知ることにつながった。

「ポケマルは、忙しさに紛れているとつい忘れそうになってしまう、【おいしいって食べてもらいたい】という気持ちを思い出させてくれる、大切な場所でもあるんだよね。」

ーダイレクトにつながれる関係が大事ー

阿部さんは、生産現場でのフードロスに注視しているそう。
「生産現場では、売ることもできずに廃棄されている現実がある。ワカメが黄色や赤に変色しただけ、穴が空いただけで、味は美味しいのに。」
現在、ふりかけや、スープ、キムチなどのユニークなものまで、加工食品にすることで美味しく、かつフードロスの解決につながる商品の販売を検討中。
「世界では環境に配慮しているか、持続可能な商品かもしっかり評価される。日本でも当たり前の文化となるよう根付かせていきたい。」

震災から12年。コロナ禍や世界情勢の大きな変化も経験し、食の当たり前が、どんどん当たり前ではなくなっていると感じている。
「漁業を守っていくことは、食や子どもたちの未来を守っていくことにも繋がる。応援してくれる方や仲間たちへ、未来に繋がる恩返しをしていきたい。」

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東日本大震災から12年を迎えて<雨風太陽代表・高橋博之>

東日本大震災から12年を迎える。3月11日は、ポケットマルシェを運営する私たち株式会社雨風太陽にとって、大切な日である。なぜなら、311がなければ、ポケットマルシェは生まれなかったからである。したがって、私たち雨風太陽も存在しない。改めて、ポケットマルシェが誕生した経緯を振り返ってみたい。

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