「人と関わると面白い」最強ブランド"利尻昆布"漁師が6次産業化に挑んで知ったこと

日本最北端の火山島・利尻島。雄大な利尻山に見守られるこの島で昆布養殖に取り組む漁師・神成 誠(かんなり まこと)さん。

祖父、父と代々続く家業を受け継ぎ、さらに6次産業化という新たな道を歩む神成さんを訪ね、利尻島に生きてきたこれまで、そして、これからのことを伺いました。

前編で水揚げして干した昆布たちの"その後"の写真と共にお届けします。

\この記事は2本立てです/

  1. 利尻昆布はどう作られる?漁師と利尻島民の夏の1日を追いかけてきました
  2. 「人と関わると面白い」最強ブランド"利尻昆布"漁師が6次産業化に挑んで知ったこと(この記事です)

目次

ここに目次が表示されます。

「利尻ってバカだよね」先生の言葉がきっかけで

インタビューに答える神成誠さん

インタビューに答える神成誠さん

――神成さんはどうして漁師になったのですか?

神成さん「もともと漁師になるつもりはなくて、大工さんになりたかったの。高校生の頃からウニ採りをやったりはしていたんだけど。漁師を始めてからは、ホッケやマグロの漁を主体にやってきました」

1日の作業が終わったスタッフたちとテーブルを囲む

――漁師になった当初は昆布養殖はしていなかったのですね

神成さん「親父の代から昆布養殖は始めていたんだけど、その頃はあまり生産性が高くなかったの。だんだん仕事が安定してきた8年前に、今だ!と思って、昆布養殖を始めたんです」

――何かきっかけがあったのですか?

神成さん「産地から消費者に直接商品を届けたいと思っていたんです。利尻島で生ものだけでは厳しいのが目に見えていました。船の欠航もありますしね。

でも本当のきっかけは、昔漁師になるときに通った研修所の先生の『利尻ってバカだよね』という言葉でした。

『利尻島には“利尻昆布”という誰もが知っているブランドがあるのに、どうしてそこに力を入れないのだろう。もっと利尻昆布をアピールして、その他の利尻産のものにも付加価値をつけていけば、たとえ地方であっても盛り上がれるはずなのに』と。

魚を獲りながらも、そのひと言がずっと気になり続けていたんですよね。

昆布は昔ながらの素材ではあるけれど、売り方をそれまでとは違う目線でやってみようと思いました。今で言うところの、"6次産業化"ですね。

とはいえ、養殖に切り替えた当初はマイナスからのスタートでした。今のように昆布を乾燥させるための機械もないから、自分たちの手と天気だけが頼りで。今なら朝から昼過ぎまでの1回干しで済みますが、当時は2回干しをしていました。

そうしながら中古物件などを少しずつ買って、今のような設備を整えてきたんです」


漁業の6次産業化に挑む

早朝に収穫した昆布は半日ほどの天日干しの後回収される

神成さん「それに加えて、売り方のシステムも調整していくことを考えました。

当時、利尻昆布は「秋出し」と言って10月までに全出荷するという形式だったの。ウニ漁などもあわせて、利尻では夏の3ヶ月で1年分を稼がなければいけなかったんです。その収入でやりくりしていければいいのだけど、やはり経営的には不安定で、このシステムではだめだと思いました。

そこで、5月までに少しずつ出荷する「春出し」を始めさせてもらい、以前は何もできなかった冬の時期に加工品を作ったりして、収入を平均化できてきました」

――島の先輩漁師の皆さんの反応は?

神成さん「新しいことをやり始めると批判もあるけれど、それだけ注目されているということなんだなと思っています。相手を悪く思うよりは、俺を見てくれてるんだなってポジティブにね。

木枠を使い束ね、長さを揃える

俺のやってることだって100%正しいわけじゃないから、誰かが見ていてくれることによって俺が間違っていたらそれに気づくこともできるし。

その辺は気の持ちようだね。批判されてしゅんとなってしまったら、つぶれてっちゃう」

――昔ながらの慣習を現代風に変化させてきたともとれますが、島の未来のことを考えるとか、このままでやっていてはだめだっていう気持ちがあってのことですか?

神成さん「いや、そういうのは全然ない。自分の楽しみだけ

例えば、俺がウニ獲りに行くのは自分が朝食べたいからなんだけど、それと一緒で。『収入源が』『利益が』と固執した考え方になるとよくないんだわ。

7月11日朝、採れたて剥きたてのウニを奥様の手作り弁当のご飯にのせて

自分の気持ちに遊びがあると、漁師って面白いんだなって伝えられる。だから、自分がやりたいと思ったことを自分だけでやるの」

――利尻の若手漁師さんと一緒にとは考えない?

神成さん「新しいことはリスクもあることだから、若手の漁師と一緒に……とやってしまったら、何かあった時にその子を道連れにしてしまう危険性もあるでしょ。

だから、俺が好きにやってみて、そこに道がついたらそこに来てもいいし、受け容れたくなかったらそれでもいいと思っているよ」

束ねた昆布をトラックの荷台にのせていく

――6次化を始めてみて、どうですか

神成さん「この地区にいたらこの地区だけのルールがあってその世界しかない。俺もこの島の中にいるだけだったから、俺もそうだったのさ。

でも、6次化を始めて、ポケマルの高橋代表とかバイヤーさんだとかいろんな人を知っていくうちに、人と関わることの面白みがわかってきた。

商売とかぜんぜん関係なく、いろんなアイディアをくれたり、そういうやり取りがすごい面白いなと。売れる売れないは別として、それを今は楽しんでいます。

最後の1束!

とはいえ、俺ら生産者は作るのがメインなので、商品をアピールするのは下手じゃないですか。そこが難しいところですね。

やっぱり加工屋さんとかは売り方が上手だなと思います。自分のところでバイヤーさんを抱えていたり、問屋さんとのつながりもあったり。

たぶん、地元から発信していこうという生産者や6次産業を始めた生産者の悩みはここだと思う。


商談会に行っても、「漁師が来てる」という物珍しさで見積りを出す段階までいってもそこでストップすることも多い。

デパートの催事で一生懸命説明して『何日までやってるの? そしたらそれまでに買いに来ます』と言ってくれても、その後買いにきたことはあまりないね。

これはもう我慢してやっていくしかない、信頼や信用を積み上げていくしかないんだなって考えるようにしています。

のりました

あと、俺、売り子で出てても、誰も声かけてくれないの。なんか怖いのかな? 最後になって、『あー! なんだ漁師さんだったんですね』って」

――多少……近寄りがたいかもしれません……笑。

神成さん「やめて、人を見た目で(笑)」


昆布出汁はお母さんの味

昆布はここでさらに乾燥される

神成さん「6次産業に携わる前から考えているんだけど、人間生きていく上で必要な衣食住のうち一番大事なのは”食べること”だよって。

むやみやたらに摂取して空腹は満たされても、栄養管理ができずに健康を害してしまうと、次のことができなくなってしまう。 

化学調味料は確かに美味しいけれど、ガツンと刺激が強い食べものの中には身体に悪いものも多いんだよ。ジャンクフードが増えて食べものの刺激が増えると人間の気持ちも刺激を求めて、寄り添うような気持ちを持てなくなる。

すごく生きづらい世の中になってきているのも食べものが関係してるんだと思うの」

――食生活が乱れているから、世の中が乱れてると。

トラックから一束ずつ昆布をおろしていく

神成さん「昆布って高級食材で高いって言われるけれど、三大珍味ってあるじゃないですか。キャビア、フォアグラ、トリュフって。そういうものは美味しいと言って、わずかの量に何万円って払ってでも食べる

それなのに、昆布がこれだけ栄養価があるとわかっていても、100gあたり数千円のものを買って食べない

日本人って食べものに関しても流行や人に流されてしまう傾向があると思うんですよ。身体にとって大事なものに対価を払わないんだよね。

室内にはストーブと扇風機

ほんとはね、そういうことを根付かせなければならないのは、子どものうちなんですよ。

出汁の旨味ってグルタミン酸ですよね。煮物なんかに出汁を使うでしょ。食べるとなんだかホッとするでしょ。あれ、なんでだと思います?

生まれた時に一番最初に口にするもの……」

――おっぱい?

神成さん「そう、母乳にはグルタミン酸が多く含まれているんですよ。だから、出汁の効いたものを食べるとホッとするっていう気持ちはそこからくるんだよって。

※参考:味の素ホームページ>知る・楽しむ >「うま味」って何だろう? >「うま味」ってこんなにすごい!

規則正しく並べられました

俺は医者でもないし、学者でもないから、何の根拠も示すことはできないけれど、食材って見方を変えるとまた違う魅力を感じるでしょう。

食べものの見た目とか、雰囲気とかも大事だけど、その背景にあるロマンを感じながら食べるのも、食のたのしみのひとつだと思うんだよね。

だから、これからもこだわりをもって、機会があれば外に出向いて行こうと思ってますよ」


島全体で作る利尻昆布を守るために

新千歳空港から夏期だけ飛ぶ飛行機から見た利尻島

利尻昆布は神成さんたち漁師だけで作られてきたものではありません。 

昆布に関わる作業に携わる人々は、会社員であったり、家庭の主婦であったり、利尻山のガイドであったり、利尻山の魅力に惹かれたスキーヤーであったり。さまざまな人たちが関わることで成り立っているため、島全体で受け継いできたと言っても過言ではありません。

取材最終日の7月11日早朝6時、夜明け前から始まった昆布干しが終わると、神成さんの奥様のゆりさんは夜中の1時から作ったお弁当を1人1人に手渡しながら、ねぎらいの言葉をかけていました。

「今年もありがとう。来年もお願いします」の気持ちを込めて

こうしてお互いさまの精神で作り上げてきた利尻昆布ですが、近年は利尻島も高齢化が進み、年々人手が減っているそうです。そこで、若い働き手を求めて派遣スタッフをお願いすることも始めたとか。

神成さんは船で海に出るばかりでなく、日々さまざまなところに働きかけ、利尻昆布の6次産業化による新商品の開発などにも精を出しています。島全体で守ってきた利尻昆布の生産、文化を途切れさせることのないように。

ホッと心をゆるめるためにも、日本最北の利尻昆布を普段の食卓に取り入れてみてはいかがでしょうか。


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Writer

わたなべひろみ

北海道生まれ北海道育ちのライター。宣伝会議 編集・ライター養成講座米光クラス第7期受講。Think School企画コース2期卒。クルマ・教育関連・北海道ネタなど多岐に渡り執筆中。たまにアート企画などにもたずさわる。各地で地元スーパー巡りをするのが好き。魚を捌くコツは祖母ゆずり。

編集・写真=中川葵

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