2019年3月27日、ポケマルで販売されていたとある出品がひっそりと販売終了となりました。
その商品は、ポケマルではそんなにたくさんは売れなかった……というより、ある事情で、あまりたくさんは売ることができないものでした。
今季分の販売が無事に終了した今だからこそ、たくさんの方に……特にとある出品を購入して食べていただけた方々には絶対に読んでいただきたい、とある一人の海苔師の言葉をお届けします。
\この記事には別編もあります/
【佐賀のり密着24時】収穫最盛期、有明海に生きる佐賀男児に迫る。
Producer
藤川直樹|佐賀県佐賀市
佐賀県の佐賀市川副町で海苔の養殖をしてます。 佐賀有明漁協・南川副支所に所属する藤川直樹です。18歳から海苔養殖業を始めて32年目となります。 平成11年、個人経営から4世帯による共同事業(昇海水産)に切り替え現在に至ります。
海苔師に生まれて良かった
有明海に広がる干潟。特殊な地形が海苔の名産地を生み出した
海苔を主産業として栄えてきた佐賀県、有明海の沿岸地域。筑後川がもたらす恵みや地理的条件が相まって、海苔の名産地として全国に名を馳せてきた。
上空を飛ぶのは至近の佐賀空港に離発着する飛行機。多くの旅客機が賑わせる空の下に広がるのが佐賀市川副町だ。
この地で海苔養殖業を営む藤川は現在3代目。海苔師としてのキャリアは、生まれながらにしてはじまっていた。
高校を卒業してから、そのまま藤川は海苔養殖業の道へ進んだ。あまりにもスムーズな流れに、取材班は「迷うことはなかったんですか」と質問してしまった。
背筋に電流が流れるようだった。『海苔師に生まれて良かった』以上に、強い言葉があるだろうか。ここまで竹を割ったように清々しい返答に取材班は思わず武者震いした。
海苔の最高級は「一番摘み」
取材当日は1月中旬。「午後2時すぎであれば時間がある」という藤川の言葉を受けてインタビューを開始した。
ここで飛び出した「一番摘み」「二番摘み」という単語。はじめに我々は海苔養殖の基本を知る必要があるようだ。
【〜9月】シーズン前の下準備
・海苔の胞子の管理
種付け1週間前に漁協から海苔の胞子がついた牡蠣殻を購入。1週間かけて網に種付けできる状態まで育成する。
「こう糸状体が出てきて…」生き生きと説明をはじめた藤川
・養殖漁場の準備
養殖漁場となる場所へ海苔網をぶら下げる支柱を建て込む。
海にささる支柱は全て人の手によるものなのだ(写真:商品ページより引用)
区画ごとに区切られた養殖場の地図を説明する藤川さん(左)。場所の割り当ては、シーズン開始に行われるくじ引きによって決定する
【10月】種付け
漁協が発表した種付け日に合わせて、網に海苔の胞子(ここでは糸状体)を植え付けていく。
ご想像いただけるだろうか、顕微鏡を用いた繊細な作業の数々を。
海の男といえば「筋骨隆々のたくましい姿で大海原に乗り出す」といった大味なイメージがあったが、ここでは豪快という言葉からはほど遠い、ミクロな世界で行われる作業こそ海苔の質を決定づけるというのだ。
「つまり海苔との対話ですね」という取材班に対して「いんにゃ、そがんじゃなかよ」と苦笑いする藤川。
【1月】2期作目のはじまり
佐賀県、福岡県、熊本県にまたがる有明海では秋と冬の2期作制を実施している。種付けが完了した一部の網は冷凍保存され、1月以降の収穫に備えるという。
そして今回訪問したのが、その冷凍保存した芽から育てる2期目の収穫期のはじまり、「冬芽一番摘み」の時期なのだ。
一番摘みでは養殖網に生えた海苔を海苔カッターで数センチ刈り取る。
海苔の収穫はお茶の収穫に似ていると、筆者は思った
刈られた海苔はまた生長する。伸びた海苔を再度数センチ収穫することを「二番摘み」という。何度もその作業を繰り返し、最終的には3月の七〜八番摘みまで行う。
収穫は潮の満ち引きに合わせて行われるため、この時期は昼夜逆転はもちろん、睡眠時間や食事の時間も不規則になる。
加えて海苔の生長に休みはないので、人間の休暇も一切ない。さらに収穫した分だけ工場を動かさねばならないので、最盛期の1ヶ月強は言葉通りの”働きづめ”だという。
出港の手がかりとなる潮の満ち引き表。指さしているところが取材日
同じことを海苔の選別をしていたお母さんたちにお伺いしたが、答えは同じだった。
工場で働く女性たちは、5時間3交代(5時間働いて10時間休憩)のシフト制だ
「協業」で行われる海苔養殖
3月まで続く海苔収穫のハイシーズンを、藤川率いる昇海水産は毎年乗り越えている。
※協業とは:労働時間とコストの削減を目的として、施設を設けるなど海苔の生産工程を複数の漁家で共同に行うもの(参考資料:佐賀県有明海漁業協同組合 )
昔は家業として営まれるのが一般的だった海苔養殖業だが、廃業する海苔師が増えるとともに増大した1戸あたりの養殖面積、それにともなう大規模化・機械化の効率を鑑みて、佐賀では協業化が進んだそうだ。
平成11年に協業化を図ったという昇海水産は、藤川の呼びかけによって生まれた組織だ。現在は3人の船長が海に出て(海班と呼ぶ)、藤川が工場での作業を担当している。
海班が収穫から帰ってくる時間に合わせて工場の稼働の準備をする藤川さん
……が、藤川は実のところどう思っているのだろうか。本当は海に出たいのではないだろうか? 恐る恐る尋ねる取材班に対して、
と赤裸々にあっけらかんと語ってくれた。
ではなぜ現在のような体制になったのだろうか?
思い出してほしい、深夜ひとりで工場にて海苔と格闘する藤川の姿を。
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当日の気温や湿度、海苔の状態を見て微調整する様はまさに職人技。言語化できない”勘”のようなものが、海苔の品質にそのまま反映されるのだ。
自身の思う最高の海苔を作るため、各自持ち回りの場所を守り続ける現場を垣間見た。
佐賀の"がばいおいしか海苔"はこれだ
できたての乾海苔は赤褐色(写真左)。それを軽く炙ると暗緑色の焼海苔(写真右)になる。
実は取材班、もとより藤川の海苔の大ファンだ。以前、彼の海苔を使って手巻き寿司をしたとき、圧倒的な海苔の旨味に一同目をまん丸くしてしまったのだ。(関連記事:最強の寿司飯をつくる。肝はやっぱりお米の品種選びにあった!)
それを知ってか知らずか、ここで藤川、「ちょっと待ってて」と裏からあるものを持ってきた。にんまり顔で差し出したのは自慢の海苔である。
おいしい海苔に深夜取材の眠気も吹き飛び、幸せ一杯な取材班
彼の言うとおり柔らかく溶け出した海苔の甘味と香ばしさが、舌の奥でずっと波打つ感覚がある。しかしおいしくない海苔はスッと味わいも引いてしまうという。
さらに、がばいおいしか海苔の条件には、とろけるような口溶けがキーワードになるそうだ。
現場でも口酸っぱく言っていた「海苔の厚み」は、すべてががばいおいしか海苔のためだったのだ。
現場で海苔のコンディションを示す数値に目を光らせる藤川
が、藤川が続けて言ったのは意外な言葉だった。
800以上の養殖家が毎年しのぎを削って海苔を生み出している佐賀。そこで一番になるというのはどれだけ難しいことか、と藤川は続けた。
しかし彼らが「絶対に旨い海苔を作ろう」という信念を持って、海苔の養殖と向き合っているのは確かだ。
あと何回、私たちは彼らの海苔を食べられるのか
そんな藤川は今年で52歳を迎える。
「引退後はハワイやセブ島みたいな、南国の海へ行ってのんびりしたい」と話す藤川に、筆者は思わず「跡継ぎはどなたが?」と聞いてしまった。
それならばと周囲は「婿を取ればいい」と簡単に言うが、そんな単純な話でもないというのだ。
ずばり藤川の思う“海苔師のセンス”とはなんなのか尋ねたところ、少しの沈黙のあとに「負けん気の強さ」と答えてくれた。
一帯には昇海水産を含む海苔養殖業の工場が広がっている
どの同業者よりも質の良い海苔を、どの同業者よりも多く収穫する。周囲の工場の中で一番最後まで自分たちの工場が稼働していたら嬉しいし、負けたら悔しい。
とてもシンプルなことだが、これが海苔師のセンスなのだ。
「今からでも若い子が来てくれたらなんとかなるのでは……」という筆者の願望は覆された。海苔師としてのキャリアとポリシー、そして目の前に横たわる現実が複雑に絡み合い、彼の首を横に振らせている。それ以上、何も言えなくなった。
それでも藤川は確かに言う。
海苔師に生まれて幸せだった——と。
彼らのつくる海苔を、私はあと何回、食べることができるのだろう。
今日も潮が満ち引きし、海苔は育つ。佐賀の男たちは静かな海へ向かい、天性の海苔師は陸で海苔と向き合い続けている。
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フリーランスライター・編集者。自転車や地域文化、一次産業、芸術が専門。紙雑誌やWeb媒体問わず執筆中。ポケマルでは農業初心者を生かし、わかりやすく愉快な記事の執筆を目指す。イラストや漫画も発表中。Webサイト:https://miyuo10qk.wixsite.com/miyuoshiro
編集・写真=中川葵