「そろそろ到着するけん!」
猛烈なエンジン音に負けじと船長が声を張り上げた。小さな漁船の操縦席のレーダーに映るのは、規則的に並んだ謎の影。水深計は1.0mを示していた。
程なくして、我々はこの日の目的地に到着した。
時計を確認すると、21時半。有明海の熱く長い夜がはじまりを告げた。
21:00 出航 〜凪いだ海へ、男たちは出かけた〜
これはポケマル取材班が夜を徹してお送りする、佐賀で生きる「海苔師」の一日である。今回密着したのは有明海で佐賀海苔を作り続ける『昇海水産』。4世帯が協業という形をとり海苔の生産に携わっている。
海苔師たちの一日は夜にはじまる。
20時半、漁船の乗組員が続々と姿を現した。3人の船長がやってきたのは出航の15分前。しかし昇海水産のリーダーである4人目の姿はなかった。
「4人目は海には行かんけん。彼はおれらが海から帰ってくるころ、工場(こうば)に来るんよ」
取材当日は21時の出航だったが、潮位によって出航時間は毎日変化するそうだ。
「この日何時に出航するかは、前日にならんとわからん。今は小潮(こしお)だから比較的のんびり動けるけど、大潮(おおしお)の時期はこんなにゆっくりしてられん」
つまり男達は海の事情に合わせて働きに出ているのだ。
ポケマル豆知識① 大潮・小潮って?
大潮は干満差が大きい時期で新月や満月の数日間、小潮は干満差が最も小さい時期で半月になる上弦・下弦前後の数日間のこと。
参考:気象庁 潮汐の仕組み
21時、離岸した漁船はぐんぐんと速度を上げ移動を開始する。
棒が等間隔に並ぶ路地のように細い海域を、器用にするすると通り抜ける船長の腕は匠の技そのものだ。
21:30 収穫開始 〜漆黒の液体に、男達は浸かっていた〜
作業場に到着する錨(いかり)が下ろされた。箱船とも呼ばれる二人乗りの角船をクレーンで吊り上げ海上に浮かべると、漁師2人はさっと角船に乗り込みエンジン音と共に暗闇の洋上に消えていく。
エンジン音を立てて漁船から離れていった角船。
母船にぽつねんと取り残された取材班には、何が行われているのかわからない
角船は海中を貫く棒と棒の間を一直線に進み、だんだんとこちら側に近づいてきた。
海の中から黒い帯状の何かを持ち上げ、角船はその下を通っているようだ。
海上を行ったり来たりしながら、ブロロロ……と徐々に近づいてくる角船。固唾をのんで見守る取材班。ようやくカメラのズームとフラッシュが届くところまで近づいてきた。
網にへばりついているのは、まごう事なき海苔であった。しかしながらこんな海苔の姿を取材班ははじめて見た。
そう、彼らが行っていたのは海苔の収穫だ。
養殖網から垂れ下がった海苔を、角船の真ん中に取り付けた巨大カッターで刈り取る。角船は棒の間を進み、海苔の養殖網を順に機械へ通していくのだ。その列の収穫を終えると、次の網へ移動し、同じ作業を繰り返す。
20分ほど後だろうか。ようやく角船は母船へ帰投しようとするが……何やら動きが遅い。取材班のひとりが気付いた。
ゆっくり帰ってきた船の中をのぞき込むと、一面の漆黒。これは一体……!?
海苔が高濃度で混じった海水——海苔のプールが広がっている。
収穫された海苔はそのまま海水とともに角船内部に溜められる。そのため乗組員たちは冬の有明海の海水に膝下をずっと浸けることになる。
この日、幸いにして気温は氷点下に落ち込まなかったものの、1月の海が冷たいことは自明。「いやあ慣れ慣れ」と、何事もないように言い放つが、これはただ事ではない。
運んできた海苔は、漁船の船底にあるタンクへ移動させる。
漁船から伸びる太いホースを海苔プールに差し込み、黒々とした海苔はぐんぐんと角船から吸い出され、母船の船底へ流し込まれていった。
透明なホースの中を通り船底へ。
海苔を吸い出し終えて、休む間もなく角船は次なる養殖網をめがけ去って行った。この一連の作業を1セットとし、この夜は合計5セット行われた。
上弦の月が輝く空の下、黙々と作業が進んでいく。
「たくさん収穫したように見えましたが」という問いかけに船長は首を振った。
「いやあ、まだ一番摘み*だけん、そんなことなか。次の二番摘みから大変ばい」
*一番摘みとは、シーズンで一番初めに収穫される海苔のこと。高品質で少量しかとれない。
23時、収穫したての海苔を船底に抱え、漁船は滑るように海を走り港へ戻った。
港を照らす月明かり。出港時よりも大きく月が傾いている。
23:40 工場作業開始 〜第四の男、陸(おか)で動く〜
漁船から降り、すぐさま工場へ移動する。するとたくさんの機械が並ぶ部屋に、4人目の海苔師の姿があった。彼こそが昇海水産の4人目のメンバーでありリーダー、藤川直樹氏である。
工場内のあらゆる機械の間を忙しなく動き回る藤川。一方、海に出ていた3人の船長と乗組員は休憩所のこたつで作業後のひとときに浸った後、工場が稼働していくと同時に去って行った。
夜は更け、日付が変わった。
工場には藤川だけが残された。昇海水産の3世帯は海で収穫、残る1世帯——つまり藤川は、収穫後の海苔を製品として作り上げる工場での作業を担当している。
巨大ミキサーが中央についた貯蔵プールには、収穫したての海苔が流し込まれていた。漁船の貯蔵庫と工場はホースで接続できるようになっているため、船底から直接海苔が流れ込んでくるのだ。ここから収穫されたばかりの海苔が、乾海苔になるまでの旅路がはじまる。
最初に向かうのは異物除去機。目の違う除去器を3回通過する。
機械の下にあるゴミ箱には、木の枝や砂などが自動で排出される。
次に真水で洗う工程。
機械の説明をする藤川(左)の隣で、初めての光景に目をぱちくりさせる取材班・中山(右)
洗われた海苔は回転するカッターを通過し、一定の長さに揃えられる。
ここも熟練の技が必要な作業だと話す。
時折指で海苔をすくい、この日の海苔の様子を確かめる藤川。そして頷いたり首をかしげたり、呻いたりを繰り返す。筆者も真似をしたが、何がなんだかさっぱりだった。まさに職人と海苔の会話である。
海苔を見る藤川の目は真剣そのものだが、そこには我が子を見つめるような優しさも。
カットされた海苔は濃度を整えられた後、全自動海苔乾燥装置に送り込まれる。
乾燥すだれの上で成形された海苔
スポンジでぎゅっと押さえるとじゅわーっと水があふれる。
「海苔だ!」思わずどよめく取材陣。これこそよく知った乾海苔の形。
1秒間に10枚の海苔が瞬く間に流れていった。その様、SFさながら。
伸ばされた海苔は今度は直立姿勢で整列され、ゆっくりと静かに乾燥室へ消えていく。第一陣の海苔が完成するまでは、これから3時間かかる。
3時間後、また会おう。
01:00 中央管理室で監視 〜これが海苔業界の最先端〜
ひととおり機械が作動し調整を終えたあとは、中央管理室(こたつ)で随時ウォッチを続ける。
眠気と格闘する取材班のために、藤川さんは生海苔を試食させてくれた。
卓上のiPadは乾燥室のモニターとして使用。常に温度と湿度に目を光らせ、海苔の仕上がりによって調整する。
これを導入している海苔師は世界に3人しかいないのだとか。
壁面には出航時間などスケジュールの書かれたホワイトボードとシフト表、中央にはリアルタイムで何かを映し続けるモニターが。
モニターには黒々とした液体が動いており……。この動画は一体何なのだろう?
貯蔵庫を移すビデオカメラ。知恵と工夫のたまものだ。
iPadをモニター化し、貯蔵庫をライブ中継する。確かにここは海苔業界の最先端が詰まった中央管理室だ!
時々、乾燥させる前の海苔を持ってきては、別個に小型の急速乾燥機にかける。
急速乾燥させた海苔の重さを計り、悩ましい表情で首を捻る藤川。
彼が指す「欲」とは、海苔の厚さのことだ。
おいしい海苔の条件となる口溶けの良さは薄さで決まる。多少穴があいている方が口溶けも良く、収穫量に対して多くの海苔を作ることができる。が、薄すぎれば過剰に穴ができてしまう。一方、厚くすると生産できる海苔の枚数が減り乾燥も遅い。
焼き上がった海苔。
数回の急速乾燥と微調整を繰り返し、藤川は「これだこれだ」と頷いた。その笑顔は今までのものとは違う、安堵感に満ちたものだった。
03:00 品質チェック 〜お母さんたち登場〜
時計は午前2時半を回った。機械音が響く深夜の中央管理室に、2人の女性が現れた。
彼女たちは昇海水産の海苔師の妻と母。完成した海苔の品質をチェックし梱包までの作業を担当する。おおよそ3時間で交代のシフト制だが、午前3時開始というのはハード極まりない。
そうして時計が午前3時を示す頃、その時がとうとうやってきた。
——ピロピロピロ! もうすぐ海苔が出てきます!
アラーム音が鳴り響く中央管理室。途端に現場の空気が引き締まったが、取材班は「もうすぐ海苔が出てきます」という世にも珍しいアラーム音にひそかな感動を覚えていた。
ベルトコンベアが動き出した次の瞬間、次々と姿を現した乾海苔。
今までの人生でこんなにも勢いのいい海苔を見たことがあっただろうか。
出てきた海苔をランダムで手に取り、光に透かせる藤川。改めて入念に厚さをチェックする。
高速に流れてきた海苔が向かうのは「自動海苔選別機」。
ここで不合格となった海苔は、「乾海苔選別基準表」に則り、肉眼によって再度選定される。
品質チェックをするための作業台。下から光を当て、乾海苔の様子を緻密に観察する。
無事合格となった乾海苔は、10枚一束にまとめられる。
これを10束、つまり100枚をひとつに括り完成。佐賀県では製造した海苔をまずは漁協組合に出荷し、改めて選別をしてもらう全量出荷制が取られている。
そうしてランク付けされた海苔は、それぞれ出荷先に旅立っていく。
14:00 全作業終了 〜今シーズンの戦いはまだはじまったばかり〜
午前11時、工場内の全ての機械が動きを止め、コンクリートの床がもこもこの泡で包まれている。
昨夜23時に出勤して以来15時間、ずっと動き続けている藤川を見て、「大変ですね」と話しかけた取材班に対する藤川の返答は、驚くべきものだった。
最後まで働いている——その意味は、”周辺の同業者の中で一番の出荷量を得た”ということ。むしろ自分が仕事を終えた段階で他の工場が稼働していると、少し胸が引っかかるというのだ。
我々の目の前に立つ彼は、確かに真の海苔師だった。
静まりかえった工場がこの日の作業終了を告げた。午後2時のことだった。
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フリーランスライター・編集者。自転車や地域文化、一次産業、芸術が専門。紙雑誌やWeb媒体問わず執筆中。ポケマルでは農業初心者を生かし、わかりやすく愉快な記事の執筆を目指す。イラストや漫画も発表中。