【平成の百姓一揆】食を考え、生きるを語る。高橋博之の47キャラバン潜入レポート

「社長が百姓一揆を起こすつもりらしい」


ポケマル社員Nから衝撃的な機密情報をリークされた。

これがNが入手した現場写真だ


筆者:「百姓……一揆……(ゴクッ)」


N曰く、我らが株式会社ポケットマルシェ代表・高橋博之が、ここ最近「平成の百姓一揆だ!」と唱えながら、全国を練り歩いているというのだ。

急いで用語辞典を改めて引いた。

「百姓一揆」とは、江戸時代に農民が幕府や大名に対して抵抗した行動を指す。地主の家宅を狙った「打ちこわし」や「暴動」など、当時はかなりの過激なものだったと言われ、動機となったのは権力者からの不遇な仕打ちによるものとされている。

引用:ブリタニカ国際大百科事典より


……なるほど、やはりとてもキケンな行為である。


Nは続けざまに呟いた。

「最近はオフィスにも滅多に顔見せなくなるほど傾倒してるみたいで、いつかお縄になるんじゃないかと……」

なにやら反乱のにおいがする。ジャーナリスト魂に火がついたライターおおしろは高橋の後を追い、2018年6月下旬、一揆のための寄合に潜入する事に成功した。


目次

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どこに攻めるの? 平成の百姓一揆

証拠を逃さまいと、音声レコーダーとカメラで武装した筆者の前に、一揆の首謀者である高橋博之その人は現れた。


広島市内の寄合場にはたくさんの参加者の姿があった。農業従事者や一般の方まで幅広い年齢層が集うなか、とうとう高橋がその口を開いた。


高橋:「普段はですね、畳の上であぐらをかいて、20人くらいで円(えん)になって語り合うもんなんですけど今日は違いますね」


筆者心の声:(違う、いつもと違う……ということは、重要な会!)


高橋:「よく『中身は分からないけど百姓一揆ちゅうから来た。さあ、どこに攻め込むんだ』と参加してくださるご年配の方もいて……」


(なんと士気の高いご年配……)


高橋:「すみません、どこにも攻め込みませんよ(笑)


(へっ!?攻め込まないの?  )


高橋:「食べ物を作る社会の素晴らしさっちゅうのを伝えることが平成の百姓一揆なんです」


(さっちゅうの……)


高橋:「そうしていかないと、食の未来、つまり、一次産業の未来はないと思っています」


(つまり、武力行使するつもりはない、と?)


さっそく疑念が晴れてしまった。

実を言うと、高橋が現れたときから「なんだその楽な服装は…」と思っていたのはここだけの話だ。

草履、短パン、ポロシャツ。講演ならぬ公園でラジオ体操するお父さんのようだ


(とすると、平成の百姓一揆って一体……?)


心の炎が鎮火していくと同時に、この寄合に対して根本的な疑問が湧き上がる筆者。そんなことなど知るよしもなく、首謀者・高橋が語り始めたのは3.11のことだった。


生産者1.4%と消費者98.6%の溝


高橋:「津波が来る前から終わっていた——のだそうです」


7年前、震災をきっかけに知り合った漁師の言葉が、今でも忘れられないと高橋は言う。

今回の平成の百姓一揆を考える上で、東日本大震災を無視することはできない。マグニチュード9.0、日本の観測史上最大規模の大地震は、揺れだけでなく大津波によっても、東北地方から関東地方の太平洋側地域に大きな被害をもたらした。


『この地域の農業者・漁業者の生活は、震災が起きたことにより一転し、一次産業は衰退した』

私たちはそう考えがちだ。

しかし、現地で暮らし被災した当事者たちにとって、震災は衰退のきっかけではなく、震災が起きる前から「すでに終わっていた」というのだ。


高橋:「若い層の漁師もいたけれどこれっぽっちの年収では飯を食っていけなかった。だからこそ若者が離れてしまい、残されたのはこの地に長く住まう高齢者だけ。そこに津波が来てとどめを刺されたんだ。彼らはそう語りました」


生産現場の稼げない現状に悲鳴を上げた若者は、どんどん都市部に流出していった。もともと抱えていた問題に、震災以前から心を寄せていた消費者はどれだけいたのだろうか。


さらに高橋は、復興支援にやってきた都市部のボランティアの言葉も印象に残ったと語る。


高橋:「みんな口々に『生まれて初めて漁師に会った、農家に会った』と言うんですね。テレビでは見たことがある、けれど生身の漁師と農家は初めてだと」


毎日食事を口にしているのに、一切ふれあうことのない生産現場と都市住民の生活。分離してしまった現状は、数字にしても深刻だ。


高橋:「1000万人以上の農家が構成していた、かつての日本とは違うんです。現在では日本の総人口1億2659万人*に対して、農業従事者は175万人**。つまり農家は全人口の1.4%と言われています。

でも僕が一番恐ろしいと思っているのは、生産者が減っていることじゃない。1.4%の生産者と98.6%の消費者の距離がとてつもなく離れていることなんです」

*総務省統計局 人口推移(平成30年)より **農林水産省 農業労働力に関する統計 平成30年既数値より


つまり私たち食べる側が、生産現場の現状を「知らない」ことが一番の問題だというのか。では、その現状を招いた原因はいったい何なのか?

モヤモヤとした疑問を抱いた筆者だったが、高橋は時代背景やさまざまな要因が複雑に絡み合い、現状を招いたと語った。

特に、生産現場と消費者をつなぐ流通は、利便性を向上させると同時に両者の隔絶を促したという。全国各地の生産物を手軽にスーパーで購入できるようになった結果、生産者の顔は消され、「値段」という尺度のみが、消費者の価値基準となってしまったのだ。

しかし彼は毅然と言い放った。


高橋:「それでも、僕を含めた消費者にも責任があるんです。僕が都会でどういう食生活をしてきたか。『安けりゃいい』と値段しか見てなかったんじゃないか。生産現場に無関心な自分たちの普段の消費スタイルも、生産と消費の溝をより深いものにしてしまったのではないか。他人事じゃない、僕自身も当事者なんです」


“つるつる”の社会で生きるということ


かくいう高橋は岩手県出身だ。しかし18歳のとき、自身の地元が嫌になり都会に飛び出した。


高橋:「田舎では色んなしがらみがあるんです。親族の繋がりや隣近所との付き合い——人間関係もとっても面倒くさい。僕自身もそんな環境が嫌になり、大学進学を機に東京に出ました。

都会はいいですよ、隣近所との付き合いもないし、二日酔いで朝の集まりをさぼっても、後ろ指をさされることもありません」


東京で暮らすようになって高橋は「強固な地域コミュニティ」と引き換えに、「しがらみのない自由な消費社会」を手に入れた。


高橋:「都市部の自由な消費社会を、僕はつるつると呼んでいます」


過剰な干渉をすることなく、それぞれ独立した個人として生活する都市部の生活は、人間関係の摩擦抵抗も少ない。そこから起因する表現として“つるつる”という擬音を結びつけたのだそうだ。


(そうすると地方は……ざらざら? ベタベタ?)


高橋:「人間と地域、他者、自然が強く結びついた地方の生活はごにょごにょです」


社長、“ごにょごにょ”ってなあに?

平時は煩わしく感じるごにょごにょは、社会情勢や災害などによって日常生活に変化が生じたときには大きな力となる。高橋がそれを直に感じ取ったのが3.11だった。


高橋:自分たちで食べ物を作っていく力や助け合いの力が、つるつるの社会では失われていました。一方ごにょごにょとした人間関係の中には、相互扶助の精神が残っていることに気づいたのです。

震災ボランティアで都市部から来た人が、被災した人々と共に生活をする中で言ったんです。『ここに来て、逆に自分が救われた』と。

確かにつるつるの社会では生活しやすい。家のソファーで寝っ転がりながら、他者と会話することなく、スマホひとつで買い物できる時代です。だが、あまりにも生き易すぎるせいで、生きているという実感が薄らいではいませんか」


——思えば今年、2018年も天変地異の年だ。

7月の平成30年7月豪雨、9月初旬の台風21号、北海道胆振東部地震。未曾有の事態に直面した人々の「ご近所さんに助けられた」という声を、ニュース等でたびたび目にした。おそらく高橋の言う“ごにょごにょ”とは、そこに由来しているのではないかと筆者は考える。


決して都市部にもコミュニティがないというわけではないし、地方のコミュニティが最善なのかもわからない。そもそも都市と地方は分断できるものではなく、その間には幾重にもグラデーションのように色が混ざり合っている。

それなのにも関わらず、二者を相反するものとして区分する論調が、高橋の危惧する分断を作っているのではないか。その状況を打破すること、都市と地方をかき混ぜる——つまり、両者をごにょごにょさせるのが彼の目的だ。


食を考え、生きるを語る。

高橋が編集長を務める「東北食べる通信」は世の中に大きな反響を生み出した


高橋:「僕が一番恐れていること、それは、人間が地域、他者、そして自然からこれ以上離れてしまうことです」


例えば「時短」や「効率性」が重視される現代社会では、手早い栄養摂取を可能にした補助食品がもてはやされている。ビジネス街のチェーン牛丼屋は、確かに早くて安くてうまい。


高橋:「僕も日常生活で、コンビニ弁当や牛丼を食べることもあります。それは決して悪ではありません」


しかし食事は、栄養補給と同時にもう一つ大切な役割を担っていた。それは社交、文化の場としての機能だ。車の給油のように、必要分の栄養素だけを取り込む食事では、本来の喜びを満たすことはできない。


高橋:「今、世間的に好まれるのは人工的や工業的なもの、つまり従来の食とは180度異なるものです。僕はそれらを工業的食事と呼んでいます。

本来、僕たちが口にする食べ物は、かつて動植物だったものです。ロボットが充電をするような食事で、食物のことや生産者のことを思い浮かべるでしょうか。僕らの生は他者と自然から切り離すことなどできないのに、相反する動きが加速しているのです」


だからこそ今、食を語るのだ。

“他者”と触れ合う身近な行為であった「食事」を改めて考える。それがつるつるをごにょごにょへ変化させる手段だと、高橋は断言した。

最後に百姓一揆参加者で記念撮影を。みんな平和な笑みを浮かべる


高橋:「時々、海と土に触れましょう。そして生産者と語らいましょう。地方に繋がりのない都市部の人々は、今からでもいい、第二の故郷——親戚のような生産者を作り、共に“食べる”を考えましょう」


つまり平成の百姓一揆とは、力を持って訴えかけることでも、体制に対して反旗を翻すことでもない。生産者と消費者——ポケマル風に言うと作り手と食べ手をかき混ぜること、そして共感の輪を広げることなのだ。

用語辞典の定義にない“百姓一揆”がはじまった。


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Writer

大城実結/MIYU Oshiro

フリーランスライター・編集者。自転車や地域文化、一次産業、芸術が専門。紙雑誌やWeb媒体問わず執筆中。ポケマルでは農業初心者を生かし、わかりやすく愉快な記事の執筆を目指す。イラストや漫画も発表中。


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