【能登復興応援キャンペーン📢】震災から2年。復興途中の歩みを、下野さんと上野さんにインタビューしました🎤
下野さん・下野農園(石川県輪島市)「震災をきっかけに繋がったご縁」もともと大阪で造園業に従事していた下野昭治(しものしょうじ)さんは2014年に輪島市門前町に移住。その後、能登島の畑を借りて新規就農します。一方、札幌出身である妻の沙綾香(さやか)さんは、2016年に輪島市門前町に開業したレストランのオープニングスタッフとして、移住を決意。そのレストランに納品に来ていた昭治さんと出会います。お二人は2018年に結婚し、二人三脚の日々が始まります。就農当初は様々な野菜作りにチャレンジしたそうですが、現在は主にさつまいもとその加工品や焼き芋の販売を手掛けるようになりました。今回はそんなお二人に話をお聞きしました。-地震が起きた2024年1月1日はどのような状況だったのでしょうか。自宅にいましたが大変な揺れで、当時4歳の子どもはこたつに大急ぎで隠れました。家が損壊し余震も続いたため、当日は車中泊をせざるを得ませんでした。ただ高齢の母も一緒でとにかく寒さが厳しかったため、危険を承知で家に毛布を取りに戻り、その夜をしのぐことができました。-怪我がなく何よりだったと思いますが、その後も大変だったのではないでしょうか。翌朝、車中泊をしていた私たちのもとにご近所の方がおにぎりを持ってきてくれたんです。本当に感動しました。それから10日間ほど、地域のホールに集まって一緒に過ごしました。地域のつながりを感じて気持ちが明るくなり、とても心強かったです。子どもたちも楽しそうにしていました。そこには10日間ほど滞在して、水が出ないしお風呂も入れない状況でしたが、ドラッグストアは再開していて水などは買えました。支援も届き始めたので、やかんでお湯を沸かして、協力しながら過ごしました。造園の経験を活かして、支援の届かない地域にブルーシートを張ったり復旧の手伝いもしていました。-地域の皆さんと協力して乗り越えていかれたんですね。その後、生活や仕事は再建できたのでしょうか。2024年の1月末に雨風太陽の代表の高橋さんが被災地支援に来てくれていて、お会いする機会がありました。保管していたさつまいもを洗うこともできない状況でしたが、「ポケマルが応援するから土付きのまま販売しましょう」と言ってくれて、登録することにしました。ありがたいことに全国から励ましの声とともにたくさんの注文がありました。 -その後、沙綾香さんと子どもさんは実家の札幌に避難されていたそうですね。そうなんです。ライフラインも復旧しておらず、その時はまだ仮設住宅もありませんでした。子どもの保育園や遊び場もなく、日常を送れる状況には程遠かったため、夫を残して実家に戻りました。生活も仕事も再建できるか分からない中で、色々と悩み夫婦でたくさん話をしましたが、夫は能登を離れるつもりはありませんでした。 -昭治さんはどんなお気持ちだったんですか?当然だと思いますが、妻の両親は能登に戻って生活を続けることにとても心配をされていて、私も家族に戻ってきてほしいと思いつつも、自宅は直っていないし、農業を続けられる保証もないので…。妻の両親の心配する気持ちが痛いほど分かっていました。 -最終的に沙綾香さんが能登に戻られたのはどのような思いがあったのでしょうか。ちょうど震災前にさつまいもの加工品のデザインやコンセプトをリニューアルし、お土産やギフトに使ってもらえる「notogocochi(のとごこち)」として、1月以降にリリースする準備をしていました。震災で一度はあきらめかけたのですが、お土産品などのお菓子を販売していた事業者やお店がどんどんなくなっているという話を聞くうち、小さい事業者ながらも、「notogocochi」をリリースし、作り続けていくことが能登の復興につながるのではないか、という気持ちが強くなりました。「母の決意に巻き込んでしまった息子の子育てはなんとかする!事業は今やるべきだ!」そんな思いで能登に戻ることを決心しました。避難してから10か月が経っていました。 -2年がたち、今の状況はいかがでしょうか。現在はライフラインは回復し、道路も開通しています。生活に支障はなくなりましたが、仮設住宅暮らしは変わらず、です。自宅は屋根工事の順番待ちで、今は窓をテープや段ボールでふさいでいますが、この春から修繕工事を行う予定です。あとは能登を離れた人もいるので保育所が合併し、学校も小中一貫校に変わりました。 -能登に残る決断、戻る決断を振り返っていかがですか?能登だったからこそ、残っていたと思います。季節感がすごくあるし、今回の震災で地域とのつながりも再確認できました。再建し終わったら本当の意味で「能登を離れずにいてよかった」と思えるように頑張っていきたいです。 -苦労も多かったと思いますが、震災をきっかけに得られたご縁もたくさんあったんですね。再建がなかなか進まない中でしたが、復興と並行して温かい人たちにたくさん出会えて嬉しかったですし、励みになりました。今でも応援してくれている方のためにも元気な姿を見せていきたいと思っています。 -最後に読者へのメッセージをお願いします。ポケマルでの販売では直に声を聞けるし、個人的なつながりにもなるので、それが力になります。まだまだ復興途中ですが、機会があればぜひ能登にも来てほしいと思っています。この2年間の変化を見てもらいたいですし、何より自然豊かで本当にいいところなんです。<おすすめ商品の紹介>この時期は、さつまいもはありませんが、加工したお菓子を販売しています。もともと息子に卵アレルギーがあったこともあり、卵不使用で、うちは農家なので野菜を使ったお菓子を作ろう!という母の「子を想う気持ち」がきっかけでクッキーをつくりはじめました。現在は様々なバリエーションがありますが、商品の中には卵不使用のクッキーもあります。移住者である私たちが感じる能登の暮らしの心地よさを形にしたくてブランド名を「notogocochi」と名付け、一つひとつ手作りしています。ギフトにもおすすめですので、私たちが大好きな能登の風土からうまれた美味しさを味わっていただきたいです。>下野さんの生産者ページはこちら上野さん・農事組合法人のとっこ(石川県鳳珠郡能登町)「父から受け継いだ自慢のしいたけを再興」のとっこは現代表である上野誠治(うえのせいじ)さんの父の代から約50年、能登町で菌床しいたけとキクラゲを生産してきました。現在は被災前の8割~9割と言える状況に戻り、8棟のハウスで年間約70トンを出荷しています。2020年に先代のお父様が亡くなりますが、その直後の品評会で、全国でたった一人だけが選ばれる最優秀賞に輝きました。父から受け継いだ品質の高いしいたけ栽培を再建したお話を妻の朋子(ともこ)さんに伺いました。-2024年1月1日、被災時の状況を教えてください。娘が3人いるんですが、当時大学生だった長女が帰省していて、私は高校生と小学校1年生の娘を含めて4人で隣町に買い物に行っていました。子どもたちが買い物をしている途中に私は年賀状を投函するため車で移動、まさにそのタイミングで地震が起こったんです。 -ご家族がばらばらの時に地震が起きてしまったんですね。皆さん無事だったんでしょうか。私は来た道を引き返そうにも土砂崩れで道が通れなくなっていて、幸い電話で連絡は取れましたが、その日は結局家族とは合流できず、夫も子どもたちも皆別々に避難することになりました。 -しいたけハウスの状況はどのようなものでしたか。ハウス自体はまだ大丈夫でしたが、中の菌床ブロックが棚ごとなぎ倒されていて、6万個以上あったんですが、そのうち半分が使い物にならなくなっていました。主人はもう廃業せざるを得ない、義母も無理かなあと言っていましたが、私も1月3日にハウスを見て、思っていたより酷くて。でも今は生き抜くことで精いっぱいで先のことは考えられず。保管してあったしいたけは各地の避難所の炊き出しに提供しました。 -その後、どのように再建していったのでしょうか。被害の一部は補助金と、片付け等はボランティアさんのお陰で、少しずつ着実に復旧できたんですが、能登に人がいなくなってしまい、家をなくした従業員さんもいて、ここを離れてしまう方も多かったです。被災直後にほったらかしで大きくなり過ぎたしいたけを「復興しいたけ」として販売したところ、全国から注文が殺到し、勇気づけられました。ただ、ハウスは無事でも菌床ブロックを新たに購入する資金がなかったので、クラウドファンディングで支援を募り、ハウス1棟分ずつ再開をしていきました。また、取引先の方々が手伝いに来てくれたり、復興に向けたイベントやマルシェ出店を通じて、全国から取引や支援の申し出をいただきました。本当にありがたく思っています。 -一時は廃業も考えられたところから、復興されたしいたけ栽培への思い入れはどのようなものだったんでしょうか。先代の義父は職人気質で、休みの日もなくしいたけのハウスを歩き回り、よく観察して、丁寧に丁寧に育てていました。夫が家業に参加してからは、けんかをすることもありましたが、亡くなった直後の品評会で日本一の評価をいただき、今では夫も義父と同じように、日々しいたけハウスを歩き回り、丹精込めて育てています。家族やスタッフのために、そして応援してくださる取引先のためにも、何とか頑張っていきたい、そんな思いで2年間を過ごしてきました。 -被災を経験したことで得られたものもあるのでしょうか。被災地の一体感をとても感じました。「みんなで何とかしないとやばいよね」というどん底からの前向きな気持ちです。また、地域内外で、他業種の方や応援してくださる方とのつながりが大きく広がりました。今まで関わってこなかった人たちとの仲が深まったのは震災を経験したからだと思います。 -今後の展望を教えてください。しいたけ栽培は、どうしても規格外品が出てしまうので、それを使って付加価値のある商品を作りたいと思い、震災前よりオリジナルロゴとパッケージを作って、「おかずしいたけ」や「能登しいたけカレー」を開発していたんです。お陰様で美味しいと好評をいただいています。徐々に製造量を増やしつつ、しいたけの生産量も震災前のように再興できるよう、スタッフと一緒に頑張っていきたいです。 -読者へのメッセージをお願いします。まずは自慢の生しいたけを味わってもらいたくて、今回初めて出品させていただきます。ポケマルは、つながりを大事にするお客様が多いと聞いています。私たちの想いも伝えながら、長いお付き合いができると嬉しいです。<のとっこのしいたけのこだわり>のとっこでは、菌床ブロックの下を覆い、上半分からしかしいたけを出さない栽培方法です。採れる量は減りますが、大きくて味が濃いしいたけが育ちます。また、とてもデリケートなので、温度と湿度の管理が大切で、日々変わる状況を実際に毎日歩き回って感じています。昼夜の寒暖差がある気候を生かした能登のしいたけをぜひ味わってみてください。>上野さんの生産者ページはこちら\能登の商品をもっと見る/>#能登の生産者にエールを
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