東京での出版社勤務を経て、自然豊かな高山村に移住。「なるべく化学的なものに頼らず、自然に近い形で作物を育てたい」という思いから有機農業を選び、編集業と両立しながら取り組んできた。理想を追いながらも、現実の負担を減らす工夫を重ねてきた結果、効率的な農法が少しずつ実を結び始めている。これからは、その働き方をさらに工夫し、この地での暮らしをより豊かなものにしていきたい。


中澤さんは、群馬県高山村にほど近い東吾妻町の出身。東京の出版社で編集の仕事に携わっていたけれど、都会に根を張るつもりはなく、自然のある暮らしを求めて移住先を探していた。そんな折、山梨でオープンするキャンプ場のスタッフ募集を知り、移り住むことに。キャンプ場での業務に加え、農業にも携わり、自然のなかで働く心地良さを実感した。
やがて仕事にひと区切りがつくと群馬に戻り、編集業をしながら、山梨での経験を生かして農業にも挑戦したいと考えるように。たまたま通りかかった高山村で目にした、自然豊かな牧場の風景に心惹かれ、「この村で農業がしたい」と移住を決意した。
有機農業を選んだのは、「なるべく化学的なものに頼らず、自然に近い形で作物をつくりたい」と思ったから。村で有機農業に取り組む銀河高原ファームの後藤明宏さんに教わりながら、有機農家としての一歩を踏み出し、上州高山農園を始めた。以来10年以上にわたり、有機農業と編集業を両立しながら、高山村での暮らしを続けている。

上州高山農園では、春から秋にかけて米や高山きゅうり、さつまいも、にんじん、ブルーベリーを栽培。寒さの厳しい冬には、さつまいもを干し芋に委託加工している。
「なるべく自然に近い形で作物を育てたい」という思いから選んだ有機農業。けれど、理想だけでは続けていけない現実の厳しさもある。特に、雑草対策は大きな課題だ。除草剤を使わない代わりに、地面を透明なマルチシートで覆い、太陽光の熱消毒により雑草の種を抑える方法などを取り入れている。できるだけ無理なく続けられる有機農業の形を模索しながら、試行錯誤を重ねる日々。まだ道半ばではあるものの、確かな手応えを感じているという。
そんな日々を支えてくれるのが、有機農業に取り組む仲間の存在だ。「高山村には、同じような思いで有機農業をしている人たちがいて、悩みや工夫を共有し合って、支え合える関係があります。来年もまた頑張ろうと思えるのは、そうしたつながりのあたたかさがあるからですね」。


かつて中澤さんは、知人を招いて自身の田んぼで田植えや稲刈りの体験を行っていた。また、2024年までの3年間、高山村と外部団体が連携した農業体験企画にも協力。参加者に「食べる」という人間の根本的な営みを支える農業の現場を体感してもらうことに、やりがいを感じていたという。今後も、農業を通して食の大切さを伝え、そのあり方を見つめ直すきっかけをつくっていけたらと考えている。
一方で、編集の仕事と並行して農業に取り組む中澤さんにとっては、時間のやりくりが大きな課題でもある。たとえば、生の野菜は鮮度を保つために出荷日に合わせて収穫する必要があり、作業のタイミングが限られる。そうした中で近年力を入れているのが、野菜の加工だ。にんじんやさつまいもなどは、外部の加工所に委託し、ジュースや干し芋として出荷することで、時間的な柔軟性を生み出している。
「日々の業務との兼ね合いで、農作業の予定がずれ込むこともあります。だからこそ、収穫や出荷に余裕を持たせられる加工の仕組みは、今後の農業のあり方としても大切な可能性だと思っています」。
2つの仕事を行き来しながら、有機農業の継続と発展を模索する日々。中澤さんの暮らしそのものが、地域に根ざした新しい農のかたちを描いている。