高山村・有機農業者たちの歩み

高山村で耕す、ゆうきの人

始まりは一人
仲間と重ねて
村の「ゆうき」に

後藤 明宏

銀河高原ファーム

Goto AkihiroGoto Akihiro

始まりは一人
仲間と重ねて
村の「ゆうき」に

東京での暮らしを経て、高山村へ帰郷。自然に寄り添う暮らしのなかで原木マイタケの栽培に挑戦し、その美味しさに魅了されて有機農業の道へ進んだ。最初は反対する声も多かったけれど、夢中で続けるうちに共感する人が現れ、一人、また一人と仲間が増えていった。やがて村全体を巻き込んだ取り組みへと発展。耕してきた道は、今、確かな広がりを見せている。

高山村で耕す、ゆうきの人

原木マイタケに導かれ

群馬県高山村の豊かな自然に囲まれて育った後藤さんは、20歳から東京で空間デザインの仕事に携わるようになった。最初は歯科専門の設計施工会社に4年間勤務し、25歳で独立。以降、ショールームやデパートの屋上などの空間を、構想し、デザインしてきた。
都会での生活に変化が訪れたのは、子どもが幼稚園に入るタイミングだった37歳のとき。「もっと自然に近い環境で子育てがしたい」と考え、地元・高山村に自ら設計した家を建てた。移住した後も、東京での空間デザインの仕事は継続しつつ、近所に約2aの畑を借りて野菜づくりを始める。さらに、村の豊かな森林を活用できないかと考え、シイタケも栽培するようになった。
そんなある日、偶然本屋で手に取った1冊の雑誌が、後藤さんの人生を大きく動かす。原木マイタケに関するもので、「天然物に近く、スーパーで売られている一般的なマイタケとは、味・香り・食感ともにまるで違う」と書かれていた。「本当にそんなに違うのか?」と興味を持った後藤さん。その冬、倉庫に殺菌窯と培養室を自作し、山で伐採した木にマイタケの菌を植えつけた。
秋口には約300キロの原木マイタケが収穫でき、その味は「こんなきのこがあったんだ」と思うほどの美味しさだった。ほかの人にも味わってもらおうと、テントを立てて直売を始め、地元の直売所にも出荷した。すると、買った人から「美味しかったから送ってほしい」と連絡が入り、関東だけでなく九州など遠方にも発送するように。その広がりを目の当たりにして「面白い」と感じ、毎年栽培を続けるようになった。
やがて、有機野菜や自然食品を主に取り扱う食材宅配サービスにも卸すようになると、原木マイタケ以外の野菜も頼まれるように。栽培する作物の幅も広がり、43歳には農家一本でやっていくことを決意した。「デザインの仕事はクライアントの要望に応える形で進めますが、農業は自分の思ったようにできる。よりアーティスト感覚があって、もともとものづくりが好きな自分には合っていると思いました。自分が本当にやりたかったことはこれだったんだという感じがしましたね」。

信じた道に仲間が集う

原木マイタケの栽培をきっかけに、農業を生業として生きていくと決めた後藤さん。けれど、当時の高山村では有機農法を実践する人はおらず、「そんな育て方は無理だ」「儲かるはずがない」と厳しい声が相次いだ。
それでも後藤さんは、自分の信じた道を貫いた。朝は早くから畑に出て作業し、夜は収穫した野菜をパック詰め。深夜に運送会社へ出荷に向かう忙しい日々が続いた。そんな当時の生活を、後藤さんは「楽しかった」と振り返り、有機農業は「大変ではない」と語る。「作物を『つくる』と言うけれど、実際は人がつくることはできません。私たちができるのは、作物が成長する手伝いをすることで、それを妨げる要因を取り除くのが有機農法です。余計なものを入れないから、大変なことはないんですよ」。作物づくりは仕事ではなく、生活の一部。自然とともにある日々が、後藤さんにとっての農業だった。
最初は一人で始めた有機農業。けれど、ひたむきに続けるうちに、その取り組みや作物の美味しさに惹かれ、平形さん、中澤さん、藍さん、聖光さんと、徐々に仲間が増えていった。また、農家の高齢化により、年々村の農地が余っていく状況を危惧し、後藤さん自身も仲間を増やすための行動を起こす。地域おこし協力隊の制度に着目し、村と話し合いながら年に3人ずつ研修生を受け入れる計画を立てた。3年間の研修を経て、そのうちの何人かが村に定住してくれれば、耕作放棄地も減らせる。そんな思いが形になり、徳長さん、登坂さんの2人が有機農家として高山村の仲間に加わった。
かつては否定的な声が多かった有機農業も、今では「オーガニック」という言葉が浸透し、取り組みやすくなってきた。仲間も増え、高山村の風景も少しずつ変わり始めている。

広がる農の輪未来へつなぐ

現在、後藤さんの銀河高原ファームでは、約30haの農地でお米、高山きゅうり、枝豆、ぶどう、ブルーベリーなどを有機や自然農法で栽培。また、原木マイタケやマコモダケも手がけている。収穫した作物は、食材宅配サービスや自然栽培の野菜を扱うオンラインストアなどに出荷するほか、電話やファックスを通じた一般消費者への直接販売も行っている。
こうした取り組みに加え、今後は高山村の仲間たちとの共同出荷にも力を入れ、販路の拡大を図る予定だ。より買いやすい環境を整えることが、これからも農業を続けていくうえで重要だと後藤さんは考えている。
また、「オーガニックビレッジ宣言」を行うなど、村全体でも有機農業を推進する動きが広がっている。村の学校給食で使うお米をすべて有機にするという目標も掲げられ、関係者との調整など課題は多いものの、後藤さんを中心に少しずつ実現に向けた土台づくりが進められているところだ。
有機農業の広がりとともに、次の世代へとつなぐ動きも芽生え始めている。後藤さんの有機農業の原点とも言える原木マイタケは、これまで村内でほかに栽培する人がいなかった。けれど、徳長さんと登坂さんが「自分たちでもやってみたい」と取り組み始めている。「自分が始めたことが、こうして誰かに受け継がれていくのは嬉しいですね。彼らがどんなふうに育てていくのか、本当に楽しみです」と後藤さんは目を細める。
たった一人で始めた有機農業は、今や仲間とともに広がり、村の未来を支える大きな流れとなりつつある。自然とともに生きることの豊かさを次の世代へ——その思いを胸に、後藤さんはこれからも畑に立ち続ける。

その歩みをひとりずつ
じっくりと辿ってみてください。

始まりは一人仲間と重ねて村の「ゆうき」に

銀河高原ファーム

後藤 明宏

ルーツを辿り見つけた価値を地元・高山村から

Kimidori farm&kitchen

平形 清人

自然に寄り添う農と編集のほどよい暮らし

上州高山農園

中澤 浩明

美味しくて美しい野菜を笑顔の畑から

農園花笑み

渡辺 藍

輪と輪が広がる食への思いが導いた土地で

農園わとわ

渡辺 聖光

高山村有機農業者座談会「土と人と、この村と。」

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