時代が変わっても引き継ぎたい「神様」との暮らし

「今日は山の神様の日だから夕方餅取りに来い。」

農作業中に祖母と畑で会うと、そう当たり前のように言ってきた。

僕がこの古里に帰ってきてから、毎年この時期になると祖母は決まって「山の神様の日だ」と僕に言ってくる。

祖父母と暮らしていた幼い頃は聞き覚えはなかった。

大人になり、離れて暮らすようになってから「餅取りに来い」という理由で呼ばれるようになり、ようやく毎年この時期に食べてた餅が「山の神様」の為に用意していたものだったんだと理解できた。

夕方、餅を取りに祖父母の家に行った時に山の神様について聞いてみた。

けれども晩酌を始めていた祖父からは難しいことは聞き出せなかったけれど、「もうやる人はずいぶん減った」という寂しい話と「うちの山に神様がいんだ」という誇らしげな話は僕の心に入り込んだ。

祖父母は口に出さなくても、色々な場面で古くからの風習は自分たちの代で終わりだという態度を見せる。

時代が変わっていくことで、自分たちの生きてきた時代は古い時代だと自分たちで決めつけて、「若いもんはこんなことしないんだから」と、祖父母の二人で言い合い後ろに下がろうとすることもある。

確かに時代は大きく変わり、農村にも大型化やら工場化やらITやら太陽光やらと、祖父母たちの世代はその中身をわからなくても、若い農家に余計な口を出すのは止めようと思うほど、世の中は変わったのかもしれない。

けれど僕は、今日祖父母から渡された餅を見て、もち米を育てるところから用意し、小豆を育てあんこを作り、えごまを育て十年餅を作り、今日この日に山の神様に捧げるために用意した二人を見て、カッコいいと思った。

こんな百姓になりたいと、改めて思った。

どんなに時代が変わっても、僕は祖父母のこんな生き方は人間として一番正しいと思えるし、今の日本人にもう一度必要なのはこんな生き方だと思っている。

そして、こんな生き方を僕は息子と娘にも見せてあげたいと思っている。

少し調べてみると、地域により異なるけれども、山の神様は春に降りてきて田畑を見守り、冬に山に戻るらしい。

もちろん田んぼにも田の神様がいるし、畑にもいるだろう。

でもどこからか混ざって、皆一緒になっている地域などあるらしい。

僕の地元ではそれがどうなって伝わっているのかわからないけれど、山の神様も、田の神様も、畑の神様も、別に皆一緒に居てくれてもいいと思う。

祖父母は山の神様に餅を供え終わったら、仏壇にも供える。

仏壇にいるご先祖様も地域により、山に帰るといった話もある。

もしかしたら山の神様も、田の神様も、畑の神様も、元は僕らのご先祖様なのかもしれない。

何十年もの間、こうして餅を作りその地の神様を崇める祖父母たちは、けっして時代に遅れた生き方などではないし、むしろ凄いことをしていると思える。

そんな祖父母たちが諦めてしまうのなら、僕らが引き継ぎ次に繋げたい。

本当の農家は、継ぎたいと思えるほどカッコいいのだから。

(2017.12.4)

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Writer

福島県相馬市

菊地将兵

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