「海がダメになったなら、山から環境を見直し、もう一度海をきれいにしよう」…水俣の農家さんの思いが胸に刺さる。村上さんインタビュー【後編】

突然ですが、みなさんは「水俣」と聞いてどんなことを思い浮かべますか?

…「水俣病」。そうです、約60年前に公式に患者が確認された公害病を思い出してしまう人も少なくないのではないでしょうか。

でも、そんな重い歴史を経験したからこそ、水俣には早くから「安心・安全」なモノづくりに挑戦する生産者が数多く生まれていたんです!今では全国に多くのファンを抱える農家さんもいるそうですよ。

まだ就農3年目ながらも「水俣産」を全国に広く発信しようと奮闘を続ける村上洋二朗さんも、その1人。

農薬不使用・有機肥料栽培などにこだわり、甘夏やグレープフルーツなど主に柑橘類を栽培しています。今回は、そんな村上さんに「水俣の農業」について聞いてみました。


Producer

みゆき農園 村上洋二朗|熊本県水俣市

「みゆき農園」は、山を一から開拓して農業を始めた祖父の名前から付けました。祖父が残してくれた60年以上余計な農薬、化学肥料を一切入れていない果樹園で主に温州ミカン等のカンキツ類を、またその畑とは別の場所で低農薬の不知火を栽培しています。


\これを知れば、あなたも水俣ファンに⁉/
■水俣の農家・村上洋二朗さんのルーツ
■商品名にあえて「水俣産」と表記する理由とは?

■水俣若手農家たちの挑戦

\村上さんへのインタビューは2本立てでお送りします。/

【前編】甘夏とグレフルが甘い!?その秘密は「春まで木なり完熟」にあり。農家さんが教えてくれました
■【後編】「海がダメになったなら、山から環境を見直し、もう一度海をきれいにしよう」」…水俣の農家さんの思いが胸に刺さる。村上さんインタビュー←こちらのページです。


水俣の農家・村上洋二朗さんのルーツ


ーー前回のインタビューで、村上さんのお祖父さまが60年前に山を切り開き柑橘畑を開墾したことをお聞きしました。その裏には、どんな思いがあったのでしょうか・・・?


約60年前祖父が山を開墾したときに、ちょうど「水俣病」をきっかけに「海がダメになったなら、山から環境を見直し、もう一度海をきれいにしよう」という機運が地域に生まれ、農薬を使わずに作物を栽培する農家が増えたんです。祖父もその1人でした。
実は、祖父は当時、水俣病の原因物質を排水として海に放出してしまった化学工業メーカーに勤務していました。身内も含め、親しい人達も実際に水俣病の被害を受けてしまったそうです。



ーー村上さんがみゆき農園を継ぐキッカケは、何だったんでしょうか?


私が高校3年生のときに祖父が他界しました。その後は父が兼業で土日に農作業、それを母が支えていました。
数年前に今度は父が病にかかり、体調を崩してしまったんです。満足に農作業ができず、農園がどんどん荒れてしまいました。
祖父がイチから開拓して、60年以上も農薬を使わない農業や有機栽培を続けてきた農園です。「こういう場所は、探しても他にあまりないだろうな」「このまま荒れていくのはもったいないな」と思い、「とりあえずやってみるか」と、昨年1月から本格的に継ぐことにしました。



商品名にあえて「水俣産」と表記する理由は?

村上さんが販売している商品には、はっきりと「水俣産」の文字があります。
たとえばこちらのグレープフルーツ。「国産」というだけでも珍しいのに、あえて「水俣産」と表記されています。


どうしても「水俣産って安心・安全なの?」「販売するのにマイナス要素にならない?」などと反射的に思ってしまいがちです。それでも、あえてそう表記する理由を聞いてみました。


ーー商品名に「水俣産」と入れるのには、特別な理由があるんですか?


自分だけに限らず、「水俣という地域全体が頑張っていること」を買ってくれる人に伝えたいからです。
水俣には「山からきれいに」と農薬や化学肥料に頼らず頑張っている農家がたくさんいます。そんな人たちの存在を、全国に宣伝したいんですよね。


ーー「水俣産って安全なの?」と聞かれたらどう答えますか?


「今は地域の人たちが協力して、山の方から自然環境を考えて一次産業に取り組んでいます」ときちんと説明しています。


ーー水俣の努力を伝え続ける中で、消費者側の変化はあったんでしょうか?


水俣全体で「山からきれいに」と生産環境を見直す活動が少しずつ広がる中で、”自然の暮らし”に興味をもつ人たちが首都圏などから移住してくるようになったそうです。
そういう人たちが中心になって販売やPRをしていくうちに「水俣が頑張っている」ことが段々と知られるようになったそうです。
今は、むしろ「水俣産」は「安心・安全だから」とか、「応援したいから」と言って買ってくれる人も少なくないんです



そんな村上さんの樹成完熟の水俣産柑橘を購入したお客さんからは、次々に驚きの声が届けられています。

ー ー ー



水俣の若手農家たちの挑戦

ーー水俣地域では、生産者さん同士の協力や交流はあるんですか? 


交流の機会は、これから本格的につくっていきたいですね。私と同世代で新しく農家になるような人たちもいますし、自分より年下の農家の中でも、自然に気を配った農業を営んでいる人もいます。
先日、ある農家さんの誘いで、市内の春祭りに出店しました。みかんやグループフルーツを並べて、その場で絞ってジュースにして提供したり。とても好評でした。お客様の笑顔や反応に直接触れられるのは嬉しいですね。



ーー最後に、これからの水俣にどういう思いで向き合っていきたいか、ぜひ聞かせてください。


祖父の思い・考え方を守りつつ、新しいことに挑戦していければという思いは強くあります。
周囲には、高齢化などで荒れた農地が目立つようになってきました。将来的には、そういう農地も地域の人たちと協力して管理しながら、少しずつ再生していきたいと考えています。


* * *


「山の環境をイチから改善し、再びきれいな海に」。先代が知恵を絞り、約60年にもわたって地道な努力を重ねてきたからこそ生まれた安心・安全の「水俣ブランド」。村上さんを、そして水俣を知り、味わう。そんな「消費」を通して、村上さんや水俣を応援していきたいですね。


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甘夏とグレフルが甘い!?その秘密は「春まで木なり完熟」にあり。農家さんが教えてくれました【前編】



文=ポケマル編集部

※この記事は2017年4月24日に公開した記事を加筆修正したものです。

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