50歳になりました。
一人酒を飲みながら、この漁師になってからの20年を振り返っています。
【長くなります。読まなくていいです】
20年前、漁師になった私はどちらかというと保守の代表格でした。(父親が秋田県の組合長だったこともありますが・・・)
ただ、妻が「父ちゃんの仕事をアピールしたい!!」と張り切って毎日ブログで発信するようになりました。秋田でもアクセスがトップクラスになり、一躍浜でも有名な漁師の嫁でした。
ところが程なくして、漁協の妨害が始まりました。
「たかが女が何してるんだ。」「邪魔だ。目障りだ」「お前には魚は売らない。」
嫁は心折れ、辞めてしまいました。
理不尽ないわれなき批評。「ふざけんな!!それの何が悪いんだ!?」と食い下がっても、誰一人からも理解されない。何を言っても「前例がない」と突っぱねられる。そんな状態が5年続きました。
私たち夫婦ともに、「危険分子」「黙っていればいいのに。」「ピエロ」
そう言われました。
そんな折に運命的な出会いがありました。
東北食べる通信編集長、高橋博之。
地元でも鼻つまみだった俺に「太志さん!秋田の漁業を変えましょうよ!!」と言われ、体中の血が沸き上がる感覚を今でも覚えています。
「なぜ自分で獲ってきた魚を自分で売れないのか。」
「なぜ魚を高く売ることが許されないのか。」
とにかく闘いました。
当時は私が窓口に姿を見せただけで担当者がいなくなる、口を開こうとすると何も言ってないのに「ダメっ!!!」と言われました。
食べる通信の発送も契約で決まっていたのに途中で一方的に打ち切られました。
「やっぱり秋田じゃ何を言ってもダメなのか・・・」
そう思っていた時にまたも転機が訪れます。
博之さんから「漁業法の改正に伴う内閣府のメンバーに太志を推薦したよ。」
本当に嬉しかった。
当時安倍政権の副官房長官だった坂井学先生に推薦して頂き、秋田の田舎者が国の法案改正のメンバーに抜擢された。
今でも覚えているのが当時行革大臣の河野太郎先生を中心に、右は公正取引委員会、左は水産庁職員。総勢100人はいたはず。
そのなかで、「何故漁業法改正したのに周知されていないのか?」
全国の漁業代表は確か5人。真っ先に手を挙げた。
「漁協が意図的に漁師への周知を怠っている。改正したことを通知していない。このままでは漁師に利益が生まれない。」と言った。(事実、改正に伴って漁協に行ったときに、「それでも無理なものは無理。これまでと変わることはない。」と言われました。)
あの時の・・・チクった時の大臣、官僚、有識者の顔は今でも忘れない。言った直後に皆様めっちゃ怒り心頭でした。
翌日、朝一で秋田県漁協に公取から連絡があり、聞いた話では「山本のクソが!!」と言ったらしいです。
その日から秋田では漁業者が自由に、自分の生産物を誰に言われなくても売ることが出来るようになりました。
ただし…今でも俺は腫物扱いのままです((笑)
別に構わん。偉くなりたくてやった訳じゃない。
そんなもの、クソくらえだ!今更寄ってくるんじゃねぇ。
今年、縁あって経営者として本当に尊敬できる方と出会えました。その方から頂いた京セラの稲森和夫会長の本が今のバイブルです。
「ロマン(夢)がなければ死んだも同然」
「誰に出会えたかで人生は変わる」
人生50年。でもたかが50年。
ロマンを持って、自分らしく誰にも流されず貫いていこうと思います。
こんな偏屈な人間ですが、どうかこれからもよろしくお願いします。