どうか忘れないで「おほどけはんのお米」

『これ、ニワトリに持っていがねぇか?』

知り合いのおばあさんからそう言われ渡された紙袋を覗くと、カチコチに固まったお米が紙袋の中にびっしり詰まっていた。

食べ残しなのかなと思ってよくよく見ると、お米の固まりは一定の大きさの固まりになっていて、普通に食べ残しを置いてもこんな均一な固まりにはならないし、中には白米だけでなく豆やゴマなどの混じった固まりまであって、なんでだろうかと少し考えてしまった。

『これ、一年間のおほどけはんのお米なのよ。』

そう言われて、僕はあぁなるほどと理解できた。

お仏はん。

つまり、仏壇に毎日供えてたご飯だったんだ。

『棄てることもできなくて。』

そう言って苦笑いするおばあさんに、僕は嬉しくなった。

僕のうちにいるニワトリたちに、お仏様が口をつけたご飯を食べさせてくれなんて、こんなの世界一のご飯じゃないか。

わずか小さな小さな皿のお米でも、棄てるなんてできないと言うおばあさんの気持ちも、あなたのニワトリに食べさせないかと言ってくれるおばあさんの気持ちも、こんなおばあさんがまだこの地域にいてくれることにも感謝したい。

『おほどけはんより先にご飯食うやつがあるか!』

かつて僕は仏壇にご飯を供えるより先に自分のご飯を食べ始めた時、うちのじいちゃんにそう怒られたことがあった。

でも、そう怒ってもらえることは嬉しかった。

いつかこんな世代がいなくなる。

いや、いつかというよりも、もうすぐいなくなる。

今はかろうじて残っているお仏はんや神棚への供えはまだ見れても、山の神様や田んぼの神様などは一足先に供える人も供える物も見なくなってしまうんではないだろうか。

僕らはそれまでに間に合うんだろうか。

せめてその世代がいなくなる前に見せてやりたい。
僕が今こうして、おそらく最後の世代として本来の農民の生き方を眼で見て引き継いでいる世代なのだから。

2018.2.17

Writer

福島県相馬市

菊地将兵

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