【311から、能登とつながる】 311東北から13年目に、11能登を想う(執筆:高橋博之)

※こちらではポケットマルシェ公式noteにて2024年3月に公開した記事を再掲載しています。


雨風太陽は、2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに生まれました。

東北3県を中心に多大な被害をもたらした天災は都市と地方の分断を浮き彫りにし、その大きな社会課題を解決するために私達は挑戦を続けています。

そして2024年1月1日、能登半島地震が発生。石川県能登地方を最大震度7の地震が襲いました。

高橋は発災直後に現地入りをし、当社はこの度の震災に対して炊き出し支援プロジェクト、そして応援商品・炊き出し応援チケットの販売を実施しました。

令和6年能登半島地震を受け、雨風太陽が生産者を金銭面で支援可能な応援商品と、「ポケマル炊き出し支援プロジェクト」をサポートできる応援チケットの販売を開始

そして今年も、私達の原点である3月11日を迎えました。

今回は3月11日よりポケマル公式noteにて、当社代表の高橋と生産者が震災と復旧・復興を語る連載企画を開始します。復旧・復興に取り組む石川県の生産者の声と、炊き出し支援に駆けつけた生産者の声をご紹介し、被災地の現状、生産現場のリアルをお伝えしていきます。

これからも当社は「生産者と消費者」「つくるとたべる」「都市と地方」の分断をつなぎ、かきまぜ、その境目をなくすことで、地方の持続可能性に貢献していきます。

※本記事は3/8に執筆されました。

今日は3月8日。間もなく東日本大震災から13年を迎えます。

元旦に能登半島地震が起こり、1月4日から能登に飛び込みました。生産者あっての消費者、生産地あっての消費地、ということを掲げてきたのが雨風太陽です。今回は、東日本大震災同様、過疎高齢化著しい地方の生産地が被災しました。生産地、生産者が困ったときこそ、消費者の出番だということで、会社としても被災生産者を応援する取り組みをユーザーのみなさんのご協力を経て、展開してきました。また、今回は避難所での炊き出し支援プロジェクトも行ってきました。全国の生産者さんが食材を無償提供してくれ、送料についてはユーザーが支援してくれ、顔の見える炊き出しを被災者のみなさんに届けることができています。

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  送料はユーザーの支援、食材は全国各地の生産者から提供いただいています
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  ポケマル食材を使った炊き出しが複数回実施されています

自然災害はその時代の社会の弱点を突いてくると言われています。そして、その弱点を克服する仕組みや価値観が産み落とされると。東日本大震災は、過疎高齢化が進行した地方の生産地という弱点が突かれ、その結果、その弱点の原因になっていた都市と地方の分断を乗り越える「関係人口」という概念が産み落とされました。たまたま、その概念を東北の被災地で発見した僕は、言語化し、食べる通信やポケットマルシェなどに事業化し、今やNPOを起源とする関係人口カンパニーとして日本初のインパクト上場を果たし、国や地方自治体も地方創生の看板政策として採用するまでになりました。

今回の能登半島地震では、最初から「関係人口」という武器を手にした状態から復旧復興が始まっています。ですから、石川県知事の馳さんも「関係人口は、創造的復興の重要な要素になる」と発言しています。私は今回、関係人口の専門家として、石川県の復興計画策定アドバイザリーボードの委員に就任し、昨日の第一回会議でも、関係人口の重要性について発言してきました。今回の復旧復興は長期戦になります。関係人口を創出する会社として、被災地の復旧復興に貢献していきたいと思っています。

さて、今日は何をしていたのかというと、今朝に金沢を新幹線で出て東京へ向かい、今、とんぼ返りで金沢に戻る新幹線の車中で、これを書いています。今日は、東京駅前にそびえ立つ八重洲ミッドタウンで、地方創生に関心のある若者、ビジネスマンら800人が参加する大型フェスがあり、オープニングセッションで基調講演の大役を務めてきました。

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  3/8に開催されたイベントの様子

いただいた講演テーマは、「ソーシャルインパクトはなぜ必要か?」でしたので、50分の持ち時間の前半25分を使って、改めて能登半島地震の被災地の状況について話してきました。この2ヶ月間、上場間もないのに能登にずっといて大丈夫なんですか?と聞かれることが何度かありました。僕は逆に、インパクトIPOした企業が能登に飛び込まずにどうするんですか?と問い返しています。ソーシャルインパクトを今、日本で一番必要としているところは、能登であることは間違いありません。

日本で最も過疎高齢化が進んでいた能登の震災復興は、解決が非常に難しい社会的課題が一気に噴出しています。そしてそれは、全国各地の同じように過疎高齢化にあえぐ農山漁村の振興と地続きです。能登の被害は甚大ですが、他の過疎地が喉から手が出るほどほしい、多くの外部リソースが入ってきます。つまり、ここで課題解決に迫れなければ、他ではなかなか難しいということです。だから、被災地では創造的復興という言葉が出てきます。

震災前に解決できなかった課題を、震災でダメージを受けた被災地がなぜ解決できるようになるのか。それは、外から新しい知見やエネルギーが一斉に注がれるからです。そして、あるものを新しく変えるより、なくなったところに新しくつくる方が、やりやすいからです。被災地には創造的スペースが生まれると言ったのは、日本の戦後復興を著書「敗北に抱かれて」で精緻に描いた米国人ジャーナリスト、ジョン・ダワーでした。

能登の何を残すかは、日本の未来に何を残すかと直結しています。しかしながら、発災から2ヵ月経った被災地は今、驚くほど静まり返っています。半島という地理的閉鎖性、能登の人々の奥ゆかしい気質など、いろいろ難しい理由や背景がありますが、いずれ被災地には圧倒的に人的リソースが足りていません。これからどんどん関係人口を生み出していく必要があるから是非関わってほしいと、オープニングセッションではオーディエンスに呼びかけてきました。

セッションが終わった後、名刺交換していたら、被災した輪島市出身だと名乗るひとりの青年が「東京で働いていたんですが、今回の地震で、会社辞めて輪島に帰ることにしました」と報告に来てくれました。震災でやむを得ず、能登を離れる若者もいれば、こうして帰ってくる若者もいます。これほど被災地にとって心強い存在があるでしょうか。また、同じく被災した穴水町出身だという東京在住のふたりの若者も駆けつけてくれ、自分たちに何ができるのか悩んでいると、心情を吐露してくれました。今回は、元旦に発災したので、あの強烈な体験を帰省中の実家で両親や祖父母としたという方が多いのです。ですから、東京や金沢の日常戻った後も、何か故郷の復旧復興のために力になりたいと思っている人が多いはずです。

その他にも、東京などの大都会で、能登の復興に関わりたい、貢献したいと思っている企業のプロボノたちや学生たちがいます。能登の事業者や生産者、町内会が直面する課題に対して、自らの知見やアイディア、スキルを提供し、ビジネスやコミュニティの復興を加速させていく手伝いをする人たちです。これも強力なリソースになるはずです。そして、これらのリソースがやがて関係人口となって、能登に主体的に関わり続けてくれる存在になっていけば、復興が終わった後も、能登を支える力になってくれるでしょう。

そうした関係人口を能登半島にどんどん生み出していき、静まり返った能登半島に復旧復興へのエネルギーを生み出していきたいと思っています。雨風太陽のミッションは「都市と地方をかきまぜる」、としてビジョンは「日本中あらゆる場の可能性を花開かせる」です。能登の可能性を最大限引き出して、復興の一助となれるように、取り組んでいきます。

(執筆:高橋博之)

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