原体験としての食の再考:菊地晃生(農家・秋田県潟上市)

ハクチョウが羽を休め、ホタルが光を残し、トンボが産卵場所を求めて飛び交うたんぼは、僕たち人間にとっても、出会い、響き、奏であい、意識を次の次元に開くために地球が用意してくれた舞台装置であったのだと、寝ている間に気がつきました。機械は、いろんなことを効率的に生産しているようにみえますが、実は、もの凄い孤独を生み出しています。機械がなくなってしまえば、人は人に寄り添い、支え合い、自然と共に生きることができるのだろうと感じました。

すでに世の中では、荒波のなか、人がどんな舟に乗ろうとするのか決断されつつあります。今にも沈没しそうな大動力による巨大客船と動力のない小さな舟。僕は手こぎボートの漕ぎ手です。自力で食べ物を調達し、生きていかなければなりません。この声は、モーターにかき消されてしまうほどのささやかな音かもしれません。沈没後の余波で沈まぬよう、少し離れていこうと思います。少し行くと、巨大客船から乗り換えしている中くらいの舟も見えます。僕たちは、今日はここで夕食をとることにしようと思います。

湊。小さな舟が集まるちっちゃな入り江。チュプ(月)が波間を美しく照らしている。静かで優しい月明かりだ。

東北食べる通信の編集長、高橋博之さんからNIPPON TABERU TIMESをはじめるのでその一発目の論説を僕にと連絡が入り、体がいくつあっても足りないこの春の繁忙期にそんな無茶なと思いながらも、「即答でオーケーしてくれるよね?」の押しに「はい。もちろんです」と、この話を快諾した。3月に入ってから、種籾を休眠打破へと導く気の遠くなるような育苗期間を終えて、昨日(*1)、ようやく2ヶ月半の育苗期をともに過ごした稲の我が子を耕さないたんぼへと植え付けた。

今、そのたんぼを清々しい気持ちで眺めながら、原稿に向かっている。「苗半作」と言われるほど、苗づくりは実に気の使う作業で、これまで何度となく失敗してきたが、やはり今年も発芽不良があり、本当に難しいな、と思い知らされる。何年か前に近所の大農家のお手伝いに行ったとき、「苗がだめだったら、もうそのあと何やってもだめだものな。何年たっても一年生だぁ」と僕より30年は経験のある先輩百姓が口にしていた。早いもので今年で8回目を数える稲作りは、まだ保育園を出たばかりのこどものように未知の領域が広がっていて、周りの方々に支えられながらどうにかこうにか、食べていくことができている。

米を作っても飯が食えない時代

昨秋、県内産あきたこまちの概算金が1俵(60kg)8,500円まで降下し、地方紙の一面を賑わせた。昭和50〜60年代の1万8,000円台をピークにその後、米価は下がり続けている。(*2)一方、資材費や燃料費などは上昇しつづけ、現在1俵あたりの生産コストは1万5,000円と言われている。(*3)「米をつくっていては飯が食えない」矛盾の時代に突入した。

我が家では、大規模農場経営ができるほどの土台はなく、小規模で安全性を追求したお米を目指すことに活路を見出そうとしている。新規の大型機械の導入を行わず、可能な限り手作業で、人の力でたんぼを持続的に手がける方式を模索し、コメ余りにならないよう受注生産型の直接販売での営農方式を必然的に選ばざるを得なかった。農薬も化学肥料も投入しない耕さないたんぼは、1反(1,000㎡)からの収量5俵。一夏中、たんぼに入り浸りになる除草作業をこなせる面積は多くても15枚。ここでの収入を、250万円と見積もったとして、1家1年の生産コストとしてすべて消える。所得は残らない。さらに、ここからサラリーマン並みの所得を得るには…やはり「コメをつくっていては生きていけない」と言わざるを得ない。

今年に入ってから、水田作付け面積を減らし、大豆を育てるところから手前味噌づくりまでを体験的に実践する「マメミソトラスト」や、季節の野菜や加工品が届く「たそがれ畑の彩りトラスト」をはじめた。このあとブルーベリー250本の植え付けが控えていたり、すべて米に寄りかかってきたスタイルから何があっても倒れない複合的な生産体制へと移行しなければと足りない頭と体を雑巾のように絞っている。

<編集部注>
*1 2015年5月26日。
*2 価格は政府買入価格。
*3 資本利子・地代全額算入生産費のこと。平成25年産米で1俵(60kg)当たり1万5,229円。

耕さないたんぼの魅力

一昨年、耕さないたんぼの理論と実践を学ぶ「自然耕塾@秋田」を開校した。自分自身の百姓経験もまだまだなのに、何を偉そうにという自戒もあるが、たんぼをやって得られるものは食料やお金以外にも、目に見えるもの見えないものたくさんあることに気づかされる。そのことを伝えていきたいと思った。たんぼにドジョウやタニシが棲みつき、昨冬から越冬したヤゴが羽化し、トンボとなって空を輝かせ、初夏の夜にはホタルが舞い踊る。何年か前の冬には100羽を数えるハクチョウがこのたんぼを訪れてくれた。自然界のいきものたちに選ばれるたんぼ、これが全てを物語っている。

そうして、身の回りのいきものの生命を感じ、風のメロディを聴き、絵画のような空の瞬間を過ごしていると、そこは、まるでこれまでとは違った時間が存在しているのだと知る。僕たちはいつも偉大なる自然に与え続けられていることを感じれば、反対に自分は、自然あるいは地球に何かを与えることができているのだろうかとの問いが浮かんでくる。いきもの界の自然世界を見るとき、くの字型に腰を曲げて土と対面し続ける日々の労働は、人間としての本質的な姿ではないかとさえ思え、満たされてくる。この当たり前の労働を手放したとき、そのつけは、自分ではない誰かに押し付けられることになる。自らを生ききる命。そこに生の実感がふつふつと湧いてくる。

塾の方は、あまり人も集まらず、一年で方向性を変えることになった。転換点となった出来事がある。次女つきが生まれたとき、自分たちに余裕がなくなり、何気なくの気持ちで長女ひなたを保育園に預けることにした。でも、時間を大事にする僕たちの暮らしの中で、今、この子たちが最も成長する瞬間に、その時を共に過ごせないというのは、なんたる不精かと反省し、我が子は、我がフィールドで育てると決意した。明日から保育園はやめて、野育園にしよう!そのときのひなたの嬉しそうな顔を僕は、生涯忘れることはできない。

それ以来、こどもを育てることは他の生物同様、最も重要な仕事のひとつだと感じている。現代が他者に委託して自分の内に失った仕事を取り戻すこと。これが百姓暮らしの中に山というほど埋もれている。1日に3度は泥だらけになり、どんだけ洗濯すれば気がすむんや!と怒鳴りながらも、ハハハと笑って泥遊びを見ている親。こんな姿が馬鹿らしく嬉しく、こういう子育ての方法見つけたよと周りに声をかけていたら、次の年から、公開で「野育園」を開くことになっていた。

たんぼは地球人になるための場所

たそがれ野育園、そこは、こどもも大人もいっしょに泥んこになって、自ら食べるお米を育てる力を身につける、地球人になるための場所。1年目カエル組10㎡からはじめて3kgのお米を収穫し、2年目トンボ組で30kg。3年目ハクチョウ組1俵(60kg)のお米が自前で調達できるようになるまでを身につける。1俵のお米が自分の手で収穫できるようになってやっと地球人。そんなことを年間通じたカリキュラムの中で月2、3回程度の集まりで行っている。カエルやホタルやハクチョウが集まるたんぼは、徐々に人間たちも集まるたんぼに変わってきた。

そもそも、近代においては、たんぼは主食を生産するだけの場として役割を限定され、利用されてきたが、この役割が今、変わろうとしているのだと感じている。「今年は何俵とれた?」の農民同士の収量争いを越えて、「どれだけ多様な生命をたんぼに招待できたのか」を新しい価値基準としてこれからのたんぼの行く末を眺めてみたいと思う。都市に住む人も田舎に住む者も、共にイメージを共有できるような未来の田んぼスケープを描いてみる必要が、そこにある。

近代マインドセットを初期化する耕さない田んぼ

在学中に、東北食べる部なるサークルを創設し、独自のリサーチとレポートで東北食べる通信を深読みしようと試みた国際教養大学(秋田県)の学生が、この春卒業し、うちに研修を申し入れてきた。はじめてのケースで、最初は戸惑ったが嬉しく、彼の存在が心強いパートナーとして、日々の農作業に活力をもたらしてくれている。

頭ばかりを動かしてきた僕よりも近代人の彼が、体力の限界まで汗し、日の暮れまで、土にまみれて死に物狂いで土と対話している。都会生まれ都会育ち、「食べ物を得ることは、こんなにも大変なものなのか」、「この土が僕らの生命を支えてくれるのか」、「大変だけど楽しい」とイマジネーションを広げ、僕らへも多いなる刺激となって還元される。なるほど、土に触れた経験のない若者たちにはこのearthたる土の宇宙力をそのように捉えることができるのか。この青年の1つのチャレンジが、呼び水となって、若い世代をたんぼに呼び込む力となっているようだ。

土を知らない都市居住者が、生の土を触り、匂いを嗅ぎ、「食べる」本来の直耕を感じることができたとき、このたんぼは、近代マインドセットの初期化機能の役割を果たす場所かもしれないと感じた。うちに通う平成生まれの青年たちには、その切り替えスイッチがすでに備わっているようだが。

ancient future

今、この美しい田園、農村の風景が大きな転換点を迎えている。世界有数の降雨量を受け止めてきたダムとしての水田が、トンボやホタルなどとともに育んできたこの文化拠点の歴史が、今まさにこの時代に失われるという瞬間に置かれている。土壁の和風建築を育んできたのも稲作を営む過程で生まれた土からの発見だし、世界に誇る土木技術も本来、水田の水路の開削や人力の築堤に端を発している。

先人の偉大なる功績の上に住まわせてもらっているこの文化の流れを、今、私たち現代人は自らの手で断ち切ろうとしている。今ほど平成の農地改革が急がれるときはない。ここで、何か手を打たなければ、日本中の水田はだめになり、先人たちが積み重ねてきた努力と功績、いのちの循環をすべて無にしてしまうだろう。かつてみた美しい農村の風景。懐かしい未来の創造をこの地点からはじめたい。

たんぼ競争から共奏、共想、共創(キョウソウ)のアースワークへ

大規模生産化された米づくりは、大量の農薬、化学肥料と化石燃料の地球エネルギーを必要とし、あらゆる産物を投下しながら土地からの収奪を続けることになる。このままではこの星はいくつあっても足りないということになりはしないだろうか。おかげで、米そもそもの価値も失い、土本来の地味を持たない米に成り下がり、米をつくっていては飯が食えない悪循環が顕在するに至った。こんなに米が余っているのであれば、もはや大量につくることをやめ、収量目標を半分に見積もり、自然本来に寄与できるたんぼへと転換を図ったほうが良い。

そもそも、お米という主食、食料を農業という産業主義的な近代のシステムとしてしまったことに大きな過ちがあったと考えられる。この転換点に立った21世紀の僕ら百姓は、草々虫々と意識を共有しあい(共奏)、食べることとつくることの身体感覚を取り戻し(共想)、豊かな未来デザインのアースワークとして(共創)手を取り合いながら、都市居住者へと農村の空間を開いていく必要があるのではないか。プラント工場になってしまった田んぼを未来のランドスケープとして設計変更するタイミングを迎えているとも言える。

生産現場は疲弊し、消滅しかけようとしている。圧倒的に生産の力が減退してきている。人が足りない。人手がなくて荒れ果てるたんぼが急増している。かつてトフラーさんが「第三の波」でイメージしたような(*4)生産的消費者=プロシューマーの誕生。そういった人が増えることが、今、農村に残された数少ない選択肢の一つのように感じている。

一億総皆農論

専門化され分業化された近代マインドセットは、私たちの可能性を画一化している。百姓は統合的な能力のことを言い、社会に依存する側ではなく社会を創造する側となるような力強い生き方ができる。百姓が増えることで、隣の百姓と手を取り合って、2百姓。100人の輪になれば万姓という大きな力に成りうる。全員が農民に戻る必要があるわけではない。しかし、今すぐにでも暮らしの一部に百姓を取り入れることは可能だ。

週末に、月イチで、あるいは繁忙期に年1回とそのステップを踏んでいくことで、農村×都市のランドスケープ、心の情景が再構築されていくのではないだろうか。除草剤に頼らず、殺虫剤に頼らず、化石燃料に頼らない生産は、多大なる手間を要する。草々、虫々、生きとし生き合うものたちとの日々の感謝の気持ちが、「いただきます」という祈りを生み出してきた。日々の「祈り」の連続が「実り」を生む。ここで実ったカルチャーが新しい時代のイマジネーションを醸成していく。

こうした原体験としての食の再考が、現在、最も私たち現代人に欠けている要素ではないかと思う。お金があれば何でも手に入ると思い込んでいるが、こうした考えは、私たち自らを不感症にし、人類本来の感性、可能性をふさぎこんでいるように感じている。日々の暮らしの中に、何故私たちが食べているのか、何を食べているのか、どうして食べているのかを取り戻し、暮らしに農を取り入れることで、自我と他者である「自然」とを二分する思考の原理を振り子の原理で呼びさましたい。「我想う故に我在り」から「君想う故に我在り」への転換。高橋編集長が掲げる「第2のふるさとづくり」と言えるかもしれない。現代が失ってきた心のふるさとは、全国各地の農村部にもはや捨てられるほど広がっていきている。つまり、そこらじゅうにカルチャーが眠っている。

まずは、手漕ぎボートの乗組員たちが停留できる小さな湊が必要である。それぞれの小さな湊は、新たな交易の起点となる。近代側からはdown shiftersと形容されるかもしれない。しかし、僕はそれは懐かしい未来に向けたひとつの時代のはじまりと捉えている。

<編集部注>
*4 『第三の波』は、アメリカの評論家・未来学者アルビン・トフラーの1980年の著書。

(2015.7.27)

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秋田県潟上市

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