自給自足って捉え方も様々で、僕は新田穂高さん著の「家族で楽しむ自給自足」のリードに書いてある文章が好きです。みんなが持ってるスキルや知識を共有出来る場所、実践できる空間を継続的に作れたらいいなーと思っています。
まずは、毎月第2火曜日に、焚き火妄想会 bonfireを始めようと思います。ローンチしちゃいます。
@焚き火会bonfire
特定のイデオロギーなど関係なく、なんでも思ったことをいろいろ話そう、聞こう。
【日時】2023年9月12日(火曜日)19〜21時
【場所】じろう畑とまさみの食卓 加工所横
(都農町立野8042-32)
薪と場所を準備しています。焼いて食べたいもの、飲み物、マイ皿、マイ箸、椅子などお持ちください。
【参加費】無料
新田穂高さん著の「家族で楽しむ自給自足」のリードより、僕はこんな未来に生きていきたいなーとずっと思ってます。
ここから引用------------------
自給自足にはどんなイメージがあるだろう。
野菜を作る? 自分で食べるものを自分で育てる?
ニワトリやヤギを飼う? 野山に出て山菜や魚をとるのもよさそうだ。
猟師のようにイノシシやクマをとるのもいい。
海の近くなら釣りや網で魚をとるのかな。
とった獲物は火をおこしてマキで料理する。
食べ物だけじゃない。 住む家を自分で建てる。
皿や箸を作る。縄をなう、かごを作る、服を縫う・・・・・。
なんだ、昔の暮らしの体験みたいだって?
そう、昔は電気もなかったし、自動車もなかった。
生きていくために必要なものは、
自分の手で作らなければならなかった。
でも、昔っていつごろ? おじいさんが若いころ? 江戸時代?
いやいや、もっとずっと昔の弥生時代、縄文時代?
縄文時代にはもちろん火もおこしていたし、
米だって作っていたらしい。
ススキの束をさしかけて屋根を作った竪穴式住居は、
かやぶき農家の原形だ。
そう、生きていくための技は
縄文の昔から少しずつ形を変えて伝わってきた。
今、自給自足を始めたぼくたちの手は、
縄文人から代々受け継がれた同じ手なのだ。
現代に生きるぼくたちは、
生きるために何かを自分で作ったりなんてしなくていい。
けれども昔の記憶を受け継いだ手は、何かを作りたいと思っている。
だからこそ、ぼくたちは自給自足という言葉に、
なんだかワクワクするんだと思う。
といっても、完全な自給自足をする必要はない。
やってみたいこと、好きなこと、得意なことから始めよう。
昔の技だけじゃなく、ソーラー発電のような
新しい自給自足の技術を試す手もある。
100の自給をする人が1人より、1の自給をする人が100人いればいい。
世界に一つだけ、小さいけれどユニークな自給自足をする人がいて、
自慢の物や技を交換する。
つながりが広がって、全体を眺めたら自給自足になっている。
そんな街になったらおもしろい。
ここまで-------------------------
どんだけ出来るかわからんけど、グループも作ってみた。
気になったら参加してね。
https://www.facebook.com/groups/minnadejikyujisoku/