岡山県岡山市に、とある「研究所」があります。聞くところによると、この研究所ではある農家さんが、ある農作物の開発をしているのだとか。
「農家が、研究所で、開発……?」
一体どういうことなのでしょう。農業ド素人の筆者:おおしろ(芸術学部出身)には想像もつきません。
5月下旬、その研究所で一般人参加OKのイベントが開催されるという噂を耳にしたポケマル編集部。
「絶対おもしろいから取材しに行こうよ!」
筆者の心の声をよそにひとり盛り上がる編集中川(農学部出身)に連れられ、持参必須アイテムのピンセットを手にして一路岡山へ向かったのでした。
農業ド素人、とある研究所へ潜入
その研究所は、岡山駅から車で約20分ほど市街地を走り、山へ向かう脇道に入ったところにありました。
コンクリートの建物に白衣にメガネの研究者……そんな研究所をイメージしていた筆者の想像とは違う、年季の入った木造の建物群。

ここが、今回潜入する林ぶどう研究所です。
Producer

林慎悟 林ぶどう研究所|岡山県岡山市
私の地元は「マスカット オブ アレキサンドリア」の発祥の地で昔ながらの木造の温室等も残っています。 民間で研究所といった屋号は珍しいと思いますが、私はぶどうの栽培以外にも、ぶどうの品種改良を行っています。
迎えてくれたは、所長の林慎悟さん。

にこやかな表情を浮かべつつも、ぶどうへの知的な眼差しは隠せません。確かに研究者の風格を感じます。
初めて訪れたぶどう畑、初めて耳にする育種という言葉。農業ド素人の筆者が、農業玄人向けの超マニアックな「ぶどう育種イベント」をレポートします!!
で、「ぶどう育種イベント」って何をするの?
当日は近畿や中国、四国地方といった幅広い地域から、農家さんや学生さん、地元企業の会社員の方が7人ほど参加しました。

まずはぶどうの下に置かれた椅子に座って事前知識をレクチャーしてもらいます。
参加者の皆さんに自己紹介をしつつお話しを聞いてみると、みなさんある程度はぶどうに関する知識がある様子で、ずぶの素人は筆者だけ。
「で、育種って具体的に何をするの?」
そんな思いを抱きつつ、ドキドキしながらイベントが始まるのを待っていました。少しすると、林さんが登場!


筆者の戸惑いを理解していただけるでしょうか。
林さんが指さした先にあったぶどうのツボミのなんと小さいことか。スーパーに売っているぶどうの姿しか見たことのなかった一般人からすると、何がなんだかよくわかりません。

受粉前

受粉後
ということで、本日やることが判明しました。
「ボールペン先ほどのサイズのぶどうのツボミの中にある雄しべをピンセットで取り除く作業、すなわち除雄をする」
想像を超える精密作業を予告された筆者は、不安のあまり打ち震えました。
育種ってなあに?
ここで、育種の基礎知識を整理してみましょう。

編集中川に手渡された教科書で農学の知識をたたき込もうと試みる筆者
育種は何のために行うのでしょうか? 教科書によると、これからの時代の育種は4つの目標をもつのだそうです。
①人口増に対応した資源利用効率の向上
水や肥料などの資源利用効率が良く、生産性の高い作物品種の育成。
②温暖化に対応した環境ストレス耐性の向上
低温・高温や干ばつなどの環境変化に適応できる品種の育成。
③環境に配慮した病虫害・雑草抵抗性の向上
化学農薬の使用量を減らしても育てやすい品種の育成。
④機能性を加味した品質の向上
味だけでなく、食品としての機能(特定の成分が多い・少ない)も優れた品種の育成。
※参考文献:農学基礎セミナー 新版 作物栽培の基礎(第14刷 2017年4月10日発行|一般社団法人 農山漁村文化協会)
例えば、病気にかかりにくい品種と味の良い品種を掛け合わせると、おいしい上に丈夫な品種が生まれることがあります。

昨年交配させたぶどうから採った種をポットに植えて育てる。
つまり、より強く・育てやすく・美味しくて健康に良い品種を作るということが育種の目的なのです。
また、林さんによると、消費者の食べたいもの、つまり売れる味のブランド品種を作ることも大切だそうです。
例えば、ぶどう界では、人気品種の入れ替わり周期は約10年でしたが、ここ最近では約5年となっています。新たな品種を作ることは、商業的にも求められています。
では、実際にどのようにして育種を進めれば良いのでしょうか。林さんはこのような行程で行っているそうです。
①育種計画を立てる
どんな品種を作りたいのかイメージします。そのためにどの品種を組み合わせるか……妄想は膨らみます。
②開花直前のツボミの葯を取り除く(除雄)
これが今日のビックイベント! かけ合わせの母親とする品種のぶどうのツボミを除雄し、雌しべだけの状態にします。
③交配させる(受粉)
かけ合わせの父親とする品種のぶどうの花粉を雌しべに付けます。
④種を採取し、植え、育て、観察し、選抜する
翌春には芽が生え、そこからじっくり育てていきます。生えてきたぶどうの特性を観察し、特性が固定してきたことを確認しながら選抜を繰り返し、理想の品種をつくり出していきます。

赤ちゃんぶどうにじょうろで丁寧に水をやる。まるでぶどうの保育園だ。

イベントの最後にはぶどうの下でワインと焼きたてパンで団らん。控えめに言って最高でした。

自分で生み出した新たなぶどうと時空を超えて出会う……育種、なんてロマンティック。
震える指先、もげるツボミ。さあ除雄してみよう!
育種について勉強をしたあとは、実践するのみです。本日のメインイベント、除雄をやってみましょう。
林さんが用意してくれた摘みたてのぶどうのツボミで、葯を取り除く練習をします。

まずは閉じている花弁を取り除きます……って、何がどうなってるの? どれが花弁なの?
手を震わせながらピンセットでツボミを引っ張ると、プチっと軽い衝撃が。ツボミごと、いともたやすく取れてしまいました。ゲームオーバーです。
20分ほど黙々と練習を続けた筆者。最終的にコツらしきものを掴めた気がします。

画像中心部分にあるのが除雄し雌しべだけが残ったツボミ。右奥にぼやけているものが取り除いた花弁とその中にある黄色い葯。
今回筆者は、かっこいい名前の人気品種「ゴールドフィンガー」を母親としてチョイス。

よ〜し、君に決めた!
時は満ちました! ついに本番での除雄に挑戦です。
美しい季節の薫風に揺れる木々、普段なら「美しい……」と目を細めているところですが、今日この瞬間ばかりは勘弁してほしい! 房が揺れて手元が狂う!!

冷静に見えるが、実は首が痛い。敗因は目線より上の房を選んでしまったため
その後、そよ風攻撃や首の痛みにも耐え、無事ひと房分の除雄が完了しました。
正直、ド素人の筆者にはひと房の除雄作業でお腹いっぱいです。林さんのマニアっぷりは、まさに百聞は一見にしかず。感服です!

除雄を終えた房は、交配のときまで他の花と受粉しないように袋をかぶせておく。
純粋な情熱と愛情。農家兼研究者が語るぶどう
実は研究所に到着してすぐ、「ぶどう農家の畑へ来るのは初めてですか?」と、林さんに聞かれたのでした。
素直に「はい」と頷くと、少し苦笑しながら林さんはこうおっしゃりました。
その言葉が引っかかっていましたが、畑を見学してもらう中で少しずつ理解できた気がします。

人の顔のサイズを優に超える巨大びっくりぶどうになる……のかな?

何度か説明いただいたのですが、スミマセン! 覚えられませんでした!
大好きなぶどう育種をやりたい放題で、さぞかし楽しい毎日だろう……。そう思って聞いてみた質問に対する林さんの言葉が、強く印象に残っています。
楽しさや充実感を越えた先を歩む「林ぶどう研究所」所長の人生は、今までもこれからも、ぶどうとともに続いていくのでしょう。
そんな彼のもとに、ポケマル編集部も“新たな品種の可能性”という名のタイムカプセルを仕込んできました。来年は新芽で会えると嬉しいな。
最後に奥様とのツーショットをぱちり。

そこぬけに明るい奥様は、日本語学校の講師として活躍中!
林さんお邪魔しました。そしてごちそうさまでした!
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writer&editor&illustrator 自転車や地域文化、芸術を専門に執筆。東西奔走、自転車に荷物を積み離島へひっそり渡航するのが生きがい。2012年に短編小説『常套的ノスタルジック』が筑波学生文学賞 大賞を受賞。2016年執筆のルポルタージュ『ワニ族の棲む混浴温泉』が宣伝会議 編集ライター講座大賞を受賞。他、自転車雑誌やグルメ系Web媒体など幅広い分野で執筆を行っている。旅のイラストなども随時発表中。公式サイトmiyuo10qk.wixsite.com/miyuoshiro