実は大阪は”全国屈指”のぶどうの産地だった? 木成り完熟・朝どりで味わう「柏原ぶどうの物語」。

 太陽がまぶしさを増す頃、ここ大阪にもぶどうの季節がやってくる。大阪のイメージといえば、商売と笑いの街、食で言えばうどんにたこ焼き、コナモン、そして、東京に次ぐ第二の都市といったところだろうか。しかしそんな大阪は、古くからぶどうの産地だというのはあまり知られていない。大阪の人でさえ「え? 大阪でもぶどうが採れるの?」と、驚かれてしまう。あまり知られていないが、大阪のぶどう栽培の歴史は古く、それは日本のぶどう栽培の歴史と言っても過言ではない。

 初夏から秋にかけて、大阪府の柏原(かしわら)市内では、ぶどう農園の直売所が国道沿いに立ち並ぶ。この時期を待ちかねた人が次々にお目当ての直売所を訪れる、柏原市の夏の風物詩である。大阪府の東部に位置する柏原市は、大阪の中心部から約20キロメートルほどで、大阪市内からでも車で30分で行くことができる。市の真ん中を水量豊かな大和川が流れ、全体の3分の2が山間部というまだまだ自然が残るエリアだ。満遍なく日光が降り注ぐ南向きの斜面が多く、傾斜地の多い、水はけの良い土壌にも恵まれている。

 国道を車で走り、大和川を超えて山間部に入ると、山にへばりつくようにビニールハウスが群がっている。慣れない人には異様な光景だが、そのビニールの下に柏原が誇るぶどう畑がある。6月から10月下旬まで、品種を変えながら続くぶどうシーズンの先陣を切って販売されるのが、赤紫色の小粒の種無しぶどう、デラウエアである。柏原市で栽培されるぶどうの実に80%を占めている。お盆休みまでの間がデラウエアの最盛期だが、8月に入ると、並行してベリーA 、ピオーネ、シャインマスカットなどの大粒のぶどうへ移行し、ぶどうのシーズンは10月末頃まで続く。柏原では約30品種ほどのぶどうが作られている。

知る人ぞ知る日本有数のぶどうの産地「大阪」

知る人ぞ知る日本有数のぶどうの産地

  関西人でも知っている人は少ないが、大阪のぶどう栽培の歴史は古く、時は明治までさかのぼる。明治11(1878)年に、堅下村平野(現在の柏原市平野)の中野喜平氏が甲州ぶどうの苗木の育成に成功したのが発端となり、明治後期以降はぶどう栽培が盛んに行われるようになった。大正の頃から、柏原ではワインの醸造も行われるようになり、今もワイナリーがある。昭和の初めには、全国一のぶどうの産地にもなった。今でも大阪府はぶどうの収穫量は、全国第7位、中でもデラウエアは全国第3位の収穫量を誇っている。大阪は知る人ぞ知る日本有数のぶどうの産地であり、それをけん引しているのがここ柏原市だ。

大阪という消費地に近いということもあり、ギリギリまで出荷を遅らせ、木に着いたまま熟させる「木成り完熟」で収穫されるぶどうは、一度、食べたら忘れることができない甘さがウリだ。手間がかかることこの上ないぶどう栽培だが、柏原には子どもの頃からぶどう畑で育ち、先人が築いてきたぶどう栽培を受け継ぎ、毎年美味しいぶどうを栽培するための努力を惜しまない農家がいる。

  ぶどう狩り用のビニールハウスの中は比較的歩きやすいが、収穫用のハウスはほとんど山の斜面にある。山間の少ない土地を有効に活用しようと貪欲に開墾してきた先人達の努力を感じることができる。まるでスキー場のような急勾配の地面に張り付くように、隙間なくハウスが並ぶ。ぶどう農家の人たちは慣れたもので、斜面をもろともせずに足早にどんどん登っていくが、普通の人は油断すると坂道を滑って転がってしまいそうだ。

大阪でありながらそんな自然が残るぶどうの産地、柏原でぶどう栽培に情熱を注ぐ二人の農家を訪ねた。

デラウエアに魅入られて、ぶどう作りに真摯に取り組む。        

「かねとも葡萄農園」の横尾誠久さん

  1件目は、柏原市でもとりわけ山の中にあり、四方を山で囲われた横尾地区で代々続くぶどう園「かねとも葡萄農園」は、横尾誠久さん明美さん夫婦と、誠久さんの両親とで営んでいる。誠久さんは3代目。耕作面積は、デラウエアのハウスが1ヘクタール、露地栽培が20アール、ベリーA、ピオーネなどの大粒ぶどうが40アールだ。他にも156種類のぶどうを栽培している。(1アール=約100平方メートル)

 7月の初め、横尾さんの直売所を訪れると、見事に色づいた濃い赤紫色に目を奪われた。たっぷり果汁を蓄え、ぷくぷくに膨らんだ小粒のぶどう、デラウエアの最盛期だ。粒がぎっしり揃った愛らしいぶどうである。早朝に収穫したデラウエアの箱詰め作業の真っ最中だった。
誠久さんは、大学卒業後、すぐに親の跡を継いでぶどう農家となった。迷いはなかったのか。「子どもの頃から箱を折ったり、ハンコを押したり、収穫を手伝ったりするのが自然だったので」。三人兄弟の末っ子で、上は姉さんたち。早くから継ぐのは自分だと決めていた。84歳になる父親は「継いでもらわな、わたしらがやってきたことが台無しになってしまいます」と、箱詰め作業をしながら本音を言ってくれた。その通りだ。桃栗三年柿八年というが、ぶどうはおいしく食べられる実がなるまでには、苗を植えてから最低でも5年はかかる。

デラウエア

 「デラウエアは、どこから食べるのがいいと思いますか?」と、ぶどうを愛おしそうに持って聞かれた。答えを迷っていると、「みんなで一緒に食べるなら上から食べるのがいいですよ」つまり、木にぶら下がっているぶどうは、枝に近い上の部分が一番甘いということらしい。みんなで食べるなら、先に甘い部分を食べないと損、というわけだ。一人で一房を食べるなら下から食べること。上にいくに従って、だんだん甘くなっていくのを堪能できる。デラウエアは、栽培に手間がかかるぶどうなので、栽培する農家はどんどん減ってきている。栽培技術がいるが単価は大粒ぶどうに比べて安い。大粒ぶどうの面積を増やす農家が多い中、誠久さんは「新規就農される農家でデラウエアを作る人はいない。その上、作る人も減っているからこれから希少価値が出てくるはず。おいしいですしね」そして、日焼けした人懐っこい笑顔でこう付け加えた。「僕はデラウエアで育っているからデラウエアは、やめられへんでしょう」。デラウエアへの愛はだれにも負けない。

 コロナ禍の影響を聞いてみた。「毎年8月から9月はぶどう狩りがメインになるんですけど、毎年来てくれる小学校の団体予約が今年はどこからもないんです。今年もたくさんのお子さんに楽しんでもらおうと、ぶどう狩り用にたくさん用意しているんですが......。今は、まだ先行きが見えない」と言う。毎年、子どもたちはバスをチャーターしてぶどう狩りに来るが、今年は密を避けるためにバスのチャーターすること自体、難しいそうだ。ご家族連れのぶどう狩りは土日に集中するため、平日は期待が持てない。その分、ぶどう狩り用の余ったペリーA等をどうするのか、頭を悩ませている。

 かねとも葡萄農園の方々

「あんたの作るぶどうやったら間違いない」という信頼感。

「稲清農園」の稲山恭次さん

   2件目に訪れたのは、稲山恭次さんご家族が営む、国道に面した直売所「稲清農園」。毎年この季節だけオープンし、常連になったお客様が立ち寄り、新鮮なデラウエアを求めていく。軽トラックでないと通れないような山道を先導してもらい、恭次さんのぶどう畑に案内された。

山肌の急斜面にへばり付いてるかのようなビニールハウスの中を歩く。「人間の登れる斜面じゃないでしょ」と笑いながら、どんどん歩いていく恭次さん。慣れない私たちは慎重に歩かなければ、すぐに転んでしまいそうな急斜面である。本人は「日に何往復もしているから慣れてもた」と平地のように歩いているが、慣れない人にはちょっとした登山、である。「傾斜地はしんどいけど、水はけがええ、斜面はみんな西向きや」。そう、この傾斜地がおいしいぶどうを作るのだ。標高は100メートルほどだが、平地よりは2、3度涼しい。朝夕の寒暖差もぶどうづくりには欠かせない。さらに土壌改良など試行錯誤を重ね、今年より来年、来年より再来年と、毎年改良を重ねている。斜面のビニールハウスを張り替えるのも農家の大切な仕事だが、恭次さんは高所恐怖症だそうだ。「怖くないですか?」と聞いたら「そら、怖いで。そやけどそんなん、ゆうてられへんしな」と笑いながら関西弁で答える。

 足元はふかふかしていて、歩いていても気持ちがいい。「もみ殻撒いているんや。ミミズがようけいると、土を動かしてくれるしな」。もみ殻をまくことで、土の通気性が上がり、水はけもよくなり、土の中の水がゆっくり動く。頭の上のぶどうだけでなく、土壌にも気を配る。

シャインマスカット

 稲清農園は大正時代から続いているぶどう農家である。恭次さん夫婦を中心に恭次さんの両親と4人で営んでいる。耕作面積は、ハウスと露地を含めて1.5ヘクタール。デラウエアを始め、シャインマスカット、藤稔、竜宝、ハニーシードレス、サニールージュなど多様な種類のぶどうを栽培している。恭次さんは5代目だ。「どうせ働きに行っても手伝わされるやろ。ものになるまでに時間もかかるから継ぐなら早い方がいい」と、22歳で就農した。とはいえ、父親とは意見が合わないことも多く、「毎日ケンカしてたな」と笑い飛ばす。

 40代になるまでは、剪定(せんてい)方法も悩み続けたそうだ。ぶどう栽培では剪定が一番難しく、剪定一つでぶどうの出来の良し悪しが決まる。「剪定作業はぶどうの木にとってはチームワークみたいなもんで、どっちかの枝を切ったらどっちかの枝が助けてくれたりするんや」。ぶどうは剪定された後、残された枝の先からまた新たな枝が伸びてくる。そのため、ぶどう畑の全体を把握して計画的に剪定しなければ、均等に枝が育たない。恭次さんのぶどう畑をよく見ると、ぶどうの密度が低いように思えた。「普通はぶどう畑はもっと密集している気がするんですが」と聞くと、「僕は1反(約10アール)に1万房しかつけへんようにしてる」という答えが返ってきた。ここのぶどうはかなりのびのび育てられている。収穫量は落ちるが、ぶどうに十分に栄養がいきわたり、ストレスなく育てるためである。

 ぶどうの収穫は、早朝5時頃からスタートする。「朝はぶどうの重さが違うんや、10%は重いな」と恭次さん。手触りが違うそうだ。朝露を十分に吸った朝採りの完熟ぶどうは、それだけ果汁たっぷりだ。ある日、直売所に来た常連のお客さんに言われた一言が恭次さんの脳裏を離れない。「あんたが作るぶどうやったら、どれも美味しいに決まってる。何でも買うで」。「また食べたい」と言ってもらえる一房にするために日々、ぶどうと向き合っている。  稲清農園の方々

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「食い倒れの街、大阪」で味にうるさい関西人にも愛される柏原のぶどうは、代々継がれてきた畑を守る農家さんの熱い思いと、たくさんのこだわりが詰まったぶどう達が美味しい季節がやってきた。

この夏は、いつものぶどうだけでなく、大阪のぶどうをぜひご賞味ください。

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