【コラム】
生と金の狭間で。
船に~乗るわけじゃなく だけど~僕は港に~いる♪
〔スピッツ みなと〕
今日の昼まで毎日ずっと港に待機して、出漁の可能性を探っていましたが…すみません。ついに諦めました。
過去最低の出漁日数。12月は19日のみ、しかもたった1度の網しかできなかったという最低の結果となりました。
こんな経験は初めてです。
吹きすさぶ吹雪を浴びながら東映オープニングの波を見つめ、ずっと体育座りで「みなと」を歌ってました…
先日、各報道で大きく取り上げられましたが、青森県大間漁港にて数年前に3億円のマグロを揚げた方が事故の為亡くなられました。
同じく海に生きる者同士、心からお悔やみ申し上げます。
でも…ご家族の下に戻ることが出来たのはせめてもの救いではないでしょうか。(海で不幸にも事故が遭った場合、ご遺体が揚がらないことはよくあることです。)
この場所は、夏に私が大間岬で見た三角波が起こった場所でした。
やはり危険な場所だったと推察します。
これは決して対岸の火事ではありません。
今月、私たちはほとんど出漁できず毎日悔しい思いをしましたが、無理をして出ようと思えば船を出すことはできるんです。ただ、危ない。いや危ないなんてもんじゃないです。5秒に1回、ビルの3回から叩きつけられます。それを2時間繰り返さないと漁場にたどり着けません。
しかもその後、そこから網と荷物を船に上げます。船の上部が重くなり、風によって倒された船が復元できず、荷物が片側に傾いたまま航行しなくてはいけない。船が転覆する一番の原因がこのトップヘビーの状態です。何度かヤバい目に遭いましたが、幸い生きて帰ることが出来ました。
現在、私は秋田県北部底引き網船長会で会長をやっています。
出れば出たで喋られる
出ねば出ねで喋られる
最終的に判断を下すのが私ですので、船が出ようが出まいがどこからか常に文句を言われます(笑)正直今すぐにでも辞めてしまいたいと思うのですが、なかなかそうさせてもらえません(笑)
ただ、私自身漁師になる時に心に留めたことがあります。
まだ私が小学生の頃、親父の仲間の船で事故があり、帰らぬ人となってしまった時のこと。
普段無口で滅多に感情を出さない爺ちゃんが「いいか。漁師は大漁するよりも必ず帰ってくることが一番なんだ。1番が安全。2番目が大漁なんだ。それは絶対忘れちゃなんねぞ。」と親父に険しい表情で言っていた事です。
臆病者と言われようが、情けないやつだと罵られようが、私はこの考えを継承していきたい。まして自分だけではなく船団長という立場ならば猶更、全ての船が安全に、乗組員全員が毎日何事もなく家族の元へ帰っていくことが最低条件だと思っています。
海に生きるものとして、海に生かされている感謝と海を尊ぶ気持ちだけは大切にしていきたい。(決して今回事故に遭われた方々がそういった気持ちがなかったという訳ではないです。あれだけのプロが対応できなかった何かがあったのだと推察します。)
さて、苦しかった今年は終わりました。
私自身辰年、船も玄辰但馬丸、そして今年は辰年。
良くなるはずと意気込んだ年でしたが少々残念な結果となりました。
でも…来年はきっと良い年になるはず!!
今日はクリスマス。ちょっと高い日本酒を買って船にも飲ませながら一緒に今年を振り返りました。
来年もまたこの船と、安全に大漁目指して、何よりも冒険心を大事に頑張って行きます!応援よろしくお願いします!!!
今年も沢山のご注文本当にありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。