養鶏農家の考える「生死との向き合い方」

トーマスが死んだ。

ニワトリ小屋でネズミ退治の為に飼っていたわが家の猫だった。

もらって来たときにはすでにおばあちゃん猫で、息子は「メスだよ」と言う僕の言葉を押し退けて「トーマス」と名前をつけた。

息子も娘もトーマスが好きで、ニワトリ小屋に行くと必ず抱っこしたり体を撫でたりして可愛がっていて、朝ニワトリ小屋に着いたら「トーマスー!」と呼ぶのが息子と娘の一日の始まりだった。

それが朝になってトーマスが冷たくなって倒れこんでいて、そこに息子も顔を出した。

「トーマスまだ寝てるよー!」

そう言って笑う息子をトーマスの横に呼び寄せて、トーマスは死んじゃったんだよと教えると、息子は理解したようで目に涙を浮かべながら必死に唇を噛んでこらえていた。

「寂しいよな。悲しいよな。」

息子を抱き寄せながら息子にトーマスを埋めてあげようと言うと、息子は「ウン」とうなずいてトーマスの体を触り死を受け入れた様子だった。

トーマスの亡骸を車に乗せ、わが家に連れて帰り庭に埋める事にして車を走らせると、途中で息子が「お父さん、トーマスは神様になったんだよね?」と言ってきた。

「そうだよ。トーマスは神様になったんだ。ずっと松陰を見守ってくれるんだ。」

そう教えると、息子は嬉しそうに笑って見せた。

家に帰り息子と二人で穴を掘りトーマスを埋めてあげると、気のせいか息子は少し成長したような雰囲気を出した。

トーマスが死んでしまったのは大人の僕でも寂しい。

息子はそれ以上に寂しいと思っていた。

でもこれはとても大事な出来事だった。

息子はそれからというもの、思い出したように「トーマスは神様になったんだよね?神様はどこにいるの?みんな死ぬと神様になるの?ニワトリたちも神様になるの?」と神様に関する質問をやたらと訊いてくるようになった。

僕はこの出来事を機に「あの山にも神様がいるんだよ。海にもいるんだよ。空にもいるんだよ。田んぼにだっているんだ。」と教えている。

そして、お父さんもいずれ死んだら神様になるんだよと教えている。

うちにいると、ニワトリもヤギも猫も犬もいて、そして大勢の人達が関わって生きている。

生の喜びも死の寂しさも、うちの子はこれから数えきれないほどここで体験することになると思う。

でもそれが、人間性を育てる体験であり教育になるんだと思える。

明くる日、肉用にニワトリをナタで捌いていた僕の事を見ていた息子に「松陰もやってみるか?」と尋ねると、息子は「わからない」と返事を返した。

「じゃあお父さんと一緒ならやるか?」

と尋ねると、「うん。」と言ってそばに来た。

わずか四歳にしてこの子は父親の補助ありとしてもニワトリの首にナタを自分で下ろし、命を終わらせてみせた。

「このコッコも神様になるんだよね?」

吊るされたニワトリを前に尋ねてきた息子の眼は、今体験した出来事の哀しみや恐怖よりも、穏やかで真っ直ぐな眼でいてくれて僕は父親として安心した。

四歳だから早いなんて事はなく、もう立派に人間として成長していってくれているんだ。

この子はもっと強くなる。

 

(2018.2.8)

Writer

福島県相馬市

菊地将兵

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