食料自給率を「食料消費力」という言葉に置き換えてみる

立場が変われば見え方も変わる。

関東の方では天候不順の影響で野菜の値段も上がってるようですね。

これだけ記録更新続発の天候ばかりなので、いつどこで供給不足が起きてもおかしくない状況です。昨年も北海道のポテト騒動が起きたばかり。
たぶんそろそろ「家計への影響が・・・!」ってテレビで騒がれ始める頃かもしれないけど、生産者的には小売価格の高騰は利益につながるような単純な話ではないのです。

出荷できた分の野菜はいい値段がつくかもしれないけど、病気・障害の出た畑での収穫の手間、廃棄の手間プラス精神的苦痛など減収分以上のコストを補ってるわけではないんです。
話は変わって、食料自給率って言葉。

これも農家という立場になって見え方が変わってきました。

消費者側(なぜか分析してる側っていう上から目線)だった時は「この国の一次産業には食料の半分もまかなう力はない」という数字なわけだったけど、ガラッと見方が変わった。

「この国の人たちは自分の国の食べものを半分も食べることができない。外国の食べものがなければ生きていけない。」

食料自給率を「食料消費力」という言葉に置き換えたらどうでしょう?
食料消費力40%以下=消費者側に国産を食べる能力はどれだけあるかという数字に見えてきたんです。

毎食国産食材の手作りの食事なんて可能なのはセレブか農家どっちかだ。

自国の食べものを消費できない恐ろしい理由もいくつか目の前で見えるようになってきました。
金銭的に割高の国産に手が伸びないという現実的な問題。子供食堂なんて子供だけの貧困問題ではなく、ワンコインで食事を済まさなければならない大人も追い詰められてるよね。

経済的な理由でもう一点。
食事を楽しむ時間がないこと。食事って食材を選んで、調理して、家族とか仲間が集まって、やっと始まることだと思います。大まかに三段階に分けただけだけど、どれかをはしょるかアウトソーシングする場合がほとんどでしょ?

そして、技術がないという根本的問題!
魚が捌けない、出汁がとれない、そもそも道具持ってない。
生魚を食べるような包丁技術とか衛生に対する意識とか、箸が使える器用さとか。本来「食べる」ってすごい技術の集大成だと思うんです。
その地域の食材や空気感に合った調味料とかお酒とかがあって、その繊細な違いを楽しめる味覚=技術が失われているという安全保障に関わるほどの危機が迫ってます。
国内の胃袋の総量が減っていってるわけで、今後の産業や社会の運営をどう変化させていくかという課題は農業以外の業界でも議論されているはずです。
農業も仕事です。選択されないなら消えていくのは他の商品と同じこと。
海外に食べものを頼ることが悪いとはあまり思ってません。だけど、食べものに関わる選択にはきちんと自分の意思で関わってくれる人が増えたらいいなと思います。

(2017.08.30)

※トップ画像・・・食べる技術が試される野菜、冬瓜!
冬瓜の味を楽しむよりも出汁の出来具合を確かめるために冬瓜がある気がする。

Writer

大分県由布市

竹林諭一

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