点と点をつなげた親子~僕が相馬でやるべきこと~

先日、『ここで住み込みで働きたい』という方が大野村農園を訪ねて来ました。

シングルマザーと見てとれる若い女性が、小さな子供たち三兄弟を連れてわが家に来て、今住んでいる家を出なくてはならなくなり、住むところがないと言うのです。

正直に驚きました。

それと同時に、よくうちを見つけて頼って来てくれたと思いました。

明日からでもみんなで来たらいいと伝え、農園の案内もしました。

その中で鶏小屋を子供たちに見せてあげたとき、子供たちは小屋の中にいたヒヨコたちに喜び、時間も忘れて『もっと居たい』と言ってくれたのです。

帰り際、子供がお母さんに『土曜日児童館に行きたくないよ』と言っていたのが切なく、うちに来たらうちの子供たちと一緒にいれるから大丈夫だよと伝えました。

お母さんは日曜日以外はずっと働き詰めなのかなと感じました。

児童館にあずけること、どこかに子供を頼むことは仕方のないことです。

でも子供の本心は、お母さんと一緒にいれなくて寂しいんだろうなと思えて、自分の子供の頃を思い出してつらくなりました。

うちもずっと幼少の頃から母子家庭で、お母さんは働き詰めでいつもいなかった。

お母さんは普段一緒にいれない申し訳なさからか、そんな僕を喜ばせようと数ヶ月に一回、どこかに旅行に連れて行ってくれました。

でも、あの頃の僕は必ず連れていかれる旅行で不機嫌になり、いつも母さんに『なんでせっかく連れてってあげてるのに怒ってるの』と言われていました。

当時は自分自身でもなぜ不機嫌なのかわかりませんでしたが、今ならわかります。

僕はどこにも行かなくてよかったんです。

当たり前に家でお母さんと一緒にいれるだけでよかったんです。

父親もいない。

お母さんも旅行の日が終わるとまた会えなくなる。

本当に、寂しかったなと今思い出しても思います。

それから二十年もたち、もしかしたらそんな状況にいる子供たちが今、僕の目の前にお母さんに連れられて現れたのだから、何もしないなんてできやしない。

やれることはなんでもしてあげたいと思えて、うちに来たらいいと何度も言いました。

けれども最終的には、給料面からも子供を養っていくにはうちでは厳しく、後日、なんとか県営住宅で住むことが出来るようになったと報告もあり余所で働くとの話をされました。

では余所で働けば生活出来るのかと言えば、うちよりもほんの少し給料が良いくらいの話で、それでも今は本当にその少しの給料の違いすらも大事なんだろうと女性を引き止めるのを諦めました。

世の中には、このような母子家庭、父子家庭の家族がたくさんいて、どうすれば良いか、どこに助けを求めれば良いか悩んでる親子がいるんだろうなと思えて、自分の無力さにも悔しくなりました。

もっとしっかり親子を受け止められるくらいの売上を出せる農園であったら助けになれたかもしれません。

僕自身、農家を職人と呼べるような位にという気持ちでやってきて、正直、売上を上げることより生産物を作品として魂を込めろと言ってきました。

売上より人の心に残せという気持ちで大量生産から離れていたのです。

それが今、少量しかやらないことでお金が足りなくて助けられないという現実に直面して、悔しさが込みあげた。

農家は、大野村農園は、実は子供連れでも住み込みに来れるし、食事も三食付いてるし、子供連れ出勤も出来る凄い環境じゃないかと今回の家族の経験を得て改めて気がついた。

そして自分たちがニワトリを飼い、卵を販売する事になった原点を思い出した。

相馬の物は子供たちに食べさせたくない。

そう言われた中から、うちの子にどこにもないような最高の卵を食べさせてやろうと熱くなったあの日、うちの子だけじゃなく、余所の子供たちにも相馬の卵は最高だと食べさせられる日を夢見てました。

けれども現実は、こだわり抜いた卵は高値販売しかできず、結果として富裕層中心に手に入れられるものになってしまいました。

うちだけではなく、海外などオーガニックが進む国でもやはりオーガニック商品は割高で、富裕層が買い占め、貧しい世帯の子供たちの口まで届かない現実があります。

これで良いんだろうかとずっと悩んできました。

それでもなかなか出せない答えの中でこの親子が僕の前に現れたのだから、僕らのやるべきことはここなんじゃないかと今、先を見て点と点が線に繋がりそうな兆しが見えてきた気もしています。

けれどまだ僕には足りない部分も多く、わからないことも多いため、先日、そうま食べる通信編集長の小幡広宣さんに相談したところ熱く想いに感銘してくださり、その日お米を運ぶのにトラックを出してくださったお礼の代金を、卵10パックとしてご自身が受け取るのではなく、相馬ミルキーエッグを子供たちに食べさせてあげたいと気になっていたけど、なかなか価格面でも手を伸ばせなかったという家族がいたら、差し上げてほしいと言ってきました。

周りにこうした熱い人達がいること、助けてほしいと言ってくる人達が絶えないこと、そして僕らの想いがこれまでもこれからも途切れないのだから、この先も困難ばかりでしょうがやれる気がしています。

どこよりも相馬がやるべきじゃないか。

震災後、そうま食べる通信が立ち上げの時に言った言葉が胸に刺さります。

僕らも農業を使って相馬で自分に何が出来るのか、その答えをこれからしっかり出していきます。

(2017.9.23)

Writer

福島県相馬市

菊地将兵

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