卵の裏にある「自然の恩恵」と「循環」

『40年はたったんでねぇがな。』

「どれくらい生きた木ですか」という僕の問いに、今日初めて会ったおじいさんがそう答えた。

会話のきっかけは僕が地元にある老舗の種苗店に買い物に行き、その店でストーブにあたりながら長話をしていたおじいさんに偶然会ったことだった。

種苗店の店主が僕のことをおじいさんに紹介し始め、ニワトリのために毎週薪割りして魚を煮込んでるんだよと話したとき、ふいにおじいさんがうちに伐り倒した木があるから持っていってくれと言ってきたのだ。

初めて会ったその場、その日に僕は木を引き取ることになり、実家の祖父に助けを頼み木をもらいに二人で向かっていった。

木のあった場所は元住宅の現更地で、震災で家は取り壊したらしい。

その時家の周りの木も伐ったそうだが、木は売れもせず、貰い手もなく、ずっと横倒しにしていたそうだ。

40年間という歳月は、木としてはそんなに珍しいわけではない。

でも人として考えればものすごく長い歳月だ。

そんな歳月をこの木はずっとここの家を守り、ここの家族を見続けて来たんだろう。

僕は木も感情があると思っている。

はげ山のように伐り取られていく山を見るのは切なく、悔しいだろうなと思うけれど、家を守るために植樹された木が、その家と共に終われるのは感情としては恨んでないんじゃないだろうかと思えてしまう。

『持っていこう。』

祖父は横倒しにされた木を前にチェーンソーのエンジンをかけ、いつものように僕に多くは語らずに木を伐り出した。

祖父は教えるということをあまりしない。

見て覚えるということが当たり前という時代の人だ。

僕は祖父のチェーンソーの操りかたを目に焼き付けながら、祖父が伐り分けた木を軽トラックに積み込んだ。

一台があっという間に積み込み終わり、僕一人うちの鶏舎まで戻って積み荷をおろしてすぐにまた戻った。

結局、大人二人係で木を伐り鶏舎まで運ぶのに、半日で二回分が限界だった。

これは山の話ではなく、更地に伐り倒して置いてあった木での話である。

祖父はもらえる木が無くなれば「うちの山の木をお前にやるから、伐るぞ」と言っている。

祖父の世代は木を山に植え、いつか必要なときに出すといった考えをもっていて尊敬できるが、山から木を伐り倒して持って帰ることがどれだけしんどい事なのか今は考えたくないと思えた。

軽トラック二回分の木が鶏舎まで運ばれ、魚のアラを煮込む場所に降ろされた時、祖父と僕はこんな話をした。

『じいちゃん。これだけの木を運んだけど、半年持つかな?』

『三ヶ月もたねぇべ。』

僕は三ヶ月と言われ少し苦笑いが出た。

よく人から「もっとニワトリを増やさないんですか?」と訊かれる。

だから僕はいつも同じように答えてる。

相馬の米農家さんが譲ってくれる米の量、相馬の大豆農家さんが譲ってくれる大豆の量、相馬の魚屋さんが譲ってくれる魚のアラの量、そして相馬で困ってるから持っていっていいと言われる薪用の木の量、最後に僕らが毎日一羽一羽見てやれるニワトリの数。

これらが1つでも追いつかなくなるなら、それは地域で循環できる規定の量を越えてしまったということになる。

循環の枠から外れたら僕にとってはそれは生きかたとして間違いであり、次の世代に繋げられる農でもなくなると思っている。

普段何気なく食べられる「卵」というものが、海からも山からも恩恵を受けた物であり、卵をいただくということのためには、海も山も絶対に必要であるということを、僕は皆にも息子たちにも伝えたいし、自分自身も忘れないようにしていきたい。

(2016.12.22)

Writer

福島県相馬市

菊地将兵

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