「声」でにぎわう田んぼをふたたび:伊勢崎克彦(農家・岩手県遠野市)

田んぼから失われた
家族や子どもたちの「声」

きょうから我が家でも稲刈りが始まった。息子が田んぼ中を全力で走り回りながら、合間に自分の背丈と同じくらいの稲穂の束を運んで来る姿を見て、懐かしさとうれしさで胸がいっぱいになった。

僕が小さかったころの稲刈りは、自然乾燥「はせ掛け(天日干し)」が主流で、じっちゃんも、ばっちゃんも、おとう(父)も、おかあ(母)も、子どもも、みんな家族、親戚総出の大イベントだった。 じっちゃんは、バインダー(稲を刈り取り、束ねることを同時に行う機械)で稲刈り、力持ちのおとうは“はせ”の組み立て、ばっちゃんはご飯支度、おかあは田んぼや家を往復しながら作業をこなし、子どもたちは刈り取った稲の束を運ぶことで、世代ごとに力量に合わせて役割がちゃんとあった。僕も当時子ども心にお手伝いして褒められるのが嬉しくて嬉しくて一生懸命、稲の束を運ぶのを手伝った記憶がある。とは言っても、そのほとんどの時間はバッタを捕まえたり、田んぼを駆け回って遊んでいたのが事実ではあったが、お腹をペコペコにすかせて皆で田んぼの畦に座って食べる「おやつ」は格別に美味くて一番楽しい記憶であるとともに、あっちの田んぼやこっちの田んぼから子どもたちが「わーわー、ぎゃーぎゃー」楽しく叫ぶ声が賑やかに聞こえ、至る所でこんな「風景」が「あたりまえ」にその当時はあったのだった。

そんな自分の思い出と息子の姿が作業中田んぼで重なり、僕は息子へ伝えたい大切なことの一つがなんとか叶いつつある事を、誇りに思うと同時に、現実はあっちでゴトゴト。こっちでガーガー。そこには家族や子どもたちの笑い声はない。あるのは点々と動いている大型機械だけの「殺風景」な景色。もちろん畦で家族がご飯を食べる風景などあるはずもなく、こんな貧相な風景が広がる農村社会のままでは人類の未来はないなぁと思ったりするのだ。

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田んぼと息子
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今秋の稲刈りの様子。自然乾燥のための“はせ”を作る

 

活きた風景を
この土地に創っていきたい

先日ある会議で「経済を優先するのかしないのか」という問いがあった。まずもって経済がどうこう議論する前に、こんな風景がある場の中で自ら感じることが、考える素地として必要な気がしている。まずはその辺を感じてから経済を考えて欲しいなと。しかし実際このような体感を出来る場は皆無に等しい。風景が社会を映し出す鏡となるのならば、僕は活きた風景をこの土地に創っていきたいと考えている。

そんなことから現在、「遠野ゲストハウスプロジェクト」を進行中です!

朽ち果てた古民家を解体、改修するプロセスを経ながら、様々な人が関わりながら未来を育む場づくりを行なう。その過程こそが最も大切なことを共有できる時間となる。「コケコッコー!!!」鶏の鳴き声で朝の一日がはじまる。電気は無い。竃でご飯を炊き、畑にある野菜を収穫し、産みたての卵で朝ご飯。次に滞在する人の為に使った分の薪は割る。食べた分の野菜の種は蒔く。これがここの滞在のルール。ここでの営みを明日へ明日へと皆がリレーしていく。その営みの連続が新たな里山の風景を築いていく……というなんとも壮大なプロジェクトを、クラウドファンディングによる応援も募りながら進めている。

共に仲間になって日本の活きた風景をつくりませんか!!

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今秋の稲刈りにて
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ゲストハウス建設の休憩所として完成したモンゴルの“ゲル”

 

 

Writer

岩手県遠野市

伊勢崎克彦

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