栃木県河内郡

石濱興寿

農民イシハマ

【農民イシハマの石浜興寿です。】
栃木県の上三川町(宇都宮の隣町)で生まれ育ち、父の代から米作りをしています。この地で大昔より続いてきた農家です。父は農薬や化学肥料を使わないこだわりの米を地域の人々に直売しており、お客様から「お米の石浜」という通り名で親しまれていました。そして自分の代では米作りをするだけに限らず、いち農民として生み出せる幅広い価値を発信してみたい、一つの形にとらわれないようにしたいという思いから、新たに「農民イシハマ」と名乗ることにしました。

【父の姿をみて】
幼い頃から両親と共に田んぼへ出向き、田植えや稲刈りを手伝っていました。トラクターやコンバインが故障すれば、父が修理する所を側から見ていました。父のお米を食べた消費者の方々から届いた喜びの声を聞かせてもらったこともありました。僕は父の生き方しか知りません。もし父がサラリーマンだったら僕もサラリーマンを、大工さんだったら大工さんを目指したかもしれません。子供の夢なんてそんなものです。いつか父の農業を継ぐことを夢見た僕は、農学部のある大学に進学しました。しかし卒業後すぐには就農せず、就職してある程度社会経験を積んでから農家になる事を考えていました。

ところが僕が大学2年に進学する直前、父が体調を崩して急逝しました。当時のお客様には注文お断りの連絡を入れ、借りていた田んぼは地主の方々に全て返却する事になりました。当時は米作りを継いで続けるべきかどうか相当悩みましたが、何名かのお客様から「石浜さんのお米を食べたい、再開したら連絡して欲しい」との声があり、自分たちで稲を育ててみることにしました。いつやるか、今でしょ。

手元にあったのは父が残した古い大型農機の数々、約3年分の農業雑誌、そして父との記憶。大学の授業なども参考にして必要な情報をかき集め、種まきから収穫まで一から計画を組み立てていきました。農業機械も故障しているものが多く、父の見よう見まねで修理しました。父の手で10年以上土作りが続いた田んぼは地力が強かったので、なんとか無事収穫にこぎつける事が出来ました。ありがたいです。

そして今も、稲を健康的に育てるという父のこだわりを受け継ぎ、さらに美味しく安心して食べられる米作りを目指しています。お客様に初めて「お米おいしいね」という感想を頂けた時は嬉しかったですね。

【農民として生きる上で、大切にしたいこと】
農作物もヒトも、毒っ気がなくて故障が少なく、栄養やエネルギーに満ちていれば元気に過ごすことができます。例えば農民イシハマの米作りでは、農薬を極力使わないことで毒っ気(必ずしも農薬=毒とは限りませんが)を減らし、堆肥による土作りで栄養を高め、密度の低い植え付けによって一つの株により多くの光エネルギーを与える事を目指しています。

そして丈夫な身体で元気に過ごせるのなら、より楽しいことをして生きて行きたい。そこで米作りだけに留まらず、面白いと感じたことはとことんやってみたいと考えています。今考えているのは、かつての農民たちが遺した暮らしの知恵や文化を、実際に実践してみること。おこがましい言い方ですが、自分自身「農民文化を保存する入れ物」になってみたいのです。ただし単に昔に戻る訳ではなく、昔の知恵を現代の暮らしに溶け込ませ、「現代の農民」のあるべき姿を探求してみたいと思っています。

【なぜ今お米を作るのか】
米農家を継いだとはいえ、その気になれば最初から米以外の農家になることもできました。ではなぜそのまま主に米を作る農家を選んだのか。

生まれたときから僕の家では米作りが生活の中に溶け込んでいて、それが当たり前でした。ご飯を食べて、風呂に入って、寝て。そして、お米を作って。我が家ではこれくらい普通な営みなのです。だから、様々な農業のスタイルがある中でお米を選んだのは、ごく自然なことでした。ついでに、自分たちで食べる米は自分で作りたい。

また、新規就農でお米農家を1から始める為には莫大な投資が必要とされている中で、初めから設備が揃っているというのは非常に有難いことです。農家の数が減り続ける中、僕が米作りを受け継ぐのは一つの使命なのではないかと思ったのです。

そしてなにより、米作りそのものが楽しい。種を蒔けばきちんと芽吹いて育ってくれますし、トラクターやコンバインなどの作業はまるで戦闘ロボットを操るかのような気分で仕事ができます(笑)。

...ちょっと不純な動機も混じってますが、こんな面白い(?)仕事を後世に残せるように頑張っていきたいものですね。

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