ポケマル/ポケットマルシェ
  1. 産直・通販のポケマル
  2. 生産者一覧
  3. 福島県の生産者
  4. 菊地陽子 | 大野村農園
  5. 菊地陽子さんの投稿

菊地陽子さんの投稿

  • 2018.7.14
    みんなの投稿の画像
    こんばんは! 本日ミルキーエッグ&野菜セットを発送しました! トマト、ミニトマト、ナス、青しそ、ナス、じゃがいも、ニンニク、ニンジンなどが入ってます! お楽しみにー😃
  • 2018.7.2
    みんなの投稿の画像
    大野村農園通信@ポケマル~その8~ 今回はバックナンバーではなく、本日facebookページの方にも投稿されたリアルタイムの記事になります。ではどうぞ。 大野村農園から重大発表です。 近くの方々には伝えてあるのですが、大野村農園はこの度、古民家を購入致しました。 築30年を過ぎた古い家ですが、立派な門構えやお婆ちゃんの家のような懐かしい感じにひかれ、ここに住んでみたいと思うようになりました。 今まで住んでいた家にもかなり愛着がありますが、借家であったため、私のなかではいつか家を建てるか買うかしなければと思っていました。 しかしそうはいっても今住んでいる所の組合にも入り、消防団にも入っているため、この地域からは出たくないと思っていたなかでのこの一軒家の情報でした。 今の家から歩いて行ける距離にあり、なんと昔商売をやっていたらしく、通りに面した側のシャッターを上げると今でも店としての名残を残した造りになっています。 これからはここで卵や野菜の販売もしていきたいと考えています。 そしてもう1つ、この家を農家民宿や農家民泊としてまた新しい大野村農園の形にしていきたいと思っています。 今年に入ってからも、大野村農園では既に30人ちかく農業ホームステイを受入れしています。 この人数のほとんどは、実は農業を将来の仕事にというよりも、田舎で農業体験を通して自分の生き方を考えるといった人達がほとんどでした。 毎年色々な状況下におかれた人々を受け入れて向かい合い、ともに話し込んでくうちに、今の世の中に「農業」は生産としてよりも人が人らしく生きるための答えを見つけるための場として期待されていると、はっきりと思うようになりました。 その「場」として、しっかり受け入れる基盤にこの家をしていけたらと思います。 それだけでなく、子供を連れて一泊だけ農業体験をしてみたいや、学生などが友達と休みを利用して気軽に農業体験をしながら宿泊できる場にしていきたいと考えています。 朝はニワトリ小屋から卵を自分で採って卵かけご飯を食べたり、ヤギの乳絞りをしてそのまま生のヤギ乳を飲んだり、野菜の収穫をしてみたり、ときには自分でニワトリをさばいてみたりしながら一日を終えて、夜は相馬の魚やその日収穫した野菜や卵を農家の妻が作る自慢の料理として食卓に並べて旨い酒を呑む。 そんな体験を気軽にできる場が、ようやくできます。 まだまだ準備不足な所もありますが、ぜひ皆さま相馬の大野村農園にご宿泊くださいませ。 どうぞこれからもよろしくお願い致します。
    7
  • 2018.6.24
    みんなの投稿の画像
    野菜&ミルキーエッグのご注文、ありがとうございます! 明日の午前着でお届け予定です。 今ごろのラインナップは、こんな感じです。玉ねぎ、ニンニク、ナス、大玉トマト、青しそです。 トマトとナスは最近とれ始まったばかりの初ものですよー! トマトは今年品種を変えてみました。酸味が少なくて甘味が強いです。よーく冷やしてお召し上がりください♪ シソは今晩天ぷらで我が家は頂きました。裏面にだけ衣をつけて、低温でサッと揚げるのがポイントです! ニンジンは、「ニンジン味」が強いと評判ですよー。「素揚げ&しょうが醤油」が、我が家周辺だけでものすごく流行ってます。無限ニンジン。 ぜひお試しを‼
  • 2018.5.22
    みんなの投稿の画像
    お待たせいたしました!ポケマルにて、大野村農園の「相馬ミルキーエッグ&月替わり野菜セット」がスタートしました! 毎月中身の変わる、お任せ野菜セット(約1000円分、1~2人家族が1週間以内にだいたい食べ切れるくらいの目安)を卵2パックと共に月1ペースでお届けします! その月に何の野菜が入るかは、こちらのコミュニティでお知らせしていこうと思っています。 ちなみに今月は写真のような感じで、ニラ、にんにく、新たまねぎ、あたりが入る予定。気まぐれで何かオマケがついたりするかも。あ、ラッキーならアスパラ入るかも!あ、カブもそろそろです。 「ニラ」ということは、過去にもこちらで紹介したことのある、赤坂の居酒屋トレジオンさんでもお馴染みのメニュー「ニラのおひたし・ミルキーエッグのっけ」がお家でできるチャンス!ぜひ野菜と卵で大野村コラボメニューを作ってみて下さいね。 ①にらをサッとゆでて、ぎゅっと搾って、切る。 ②中央を少しくぼませたところに黄身だけをそっと乗せる。 ③めんつゆとごま油をサラッとかけて、出来上がり。 ④黄身を崩しながらニラと絡めてソースのようにしていただく。 ⑤写真付きで、ポケマルコミュニティに投稿する! そしてそして、もう一つ! 訳あってお買い得コーナーで「ちょっと小さい相馬ミルキーエッグ」の販売もスタート!小さくったって、味は一人前。プリプリ感はむしろアップ?! これは見逃せないですよー!!!!!! かわいいニコニコマークの写真を探してくださいね♪
    5
  • 2018.5.17
    みんなの投稿の画像
    大野村農園通信@ポケマル~その7~ いつも読んでくださってありがとうございます!今回の記事は去年の年末に起こった、とても運命的な再開のお話です。農業を始めるきっかけの一つともなった10年前のある出来事とは…。 ぜひ、最後まで読んで頂けると嬉しいです。ではどうぞ。 12月30日は僕にとってとても大切な日です。 それはその日が自分の年齢を重ねた節目だからというわけではなく、その日が自分が一年で一番次の目標に向かい行動する一日、あるいは昨年より前に進んでいたか振り返る一日、と決めているからです。 僕はこの12月30日で、早いもので32歳になってしまいました。 今からちょうど10年前の12月30日。 その当時、22歳になる日を迎えた僕は、池袋の「てのはし」というホームレス支援団体の炊き出しのボランティアに初めて参加していました。 前々から日本の貧困問題には興味があったし、マザーテレサの本も何冊も読んでいました。 万引きGメンとして、日本の底辺でもがき、盗み食べる人たちと接しても来ました。 じゃあその貧困を解決する答えは。 そう自分で自分に問いかけても出せなかった答を、ここなら見つかるんじゃないかと思い踏み出す覚悟をつけれた日でした。 正直、ホームレス支援団体というのは僕にはなかなか一人で初めて参加しに行くのは覚悟がいるものでした。 それを行ってみようと決心できたのは、やはり「自分の誕生日なんだから自分を変えてやる」と覚悟がついたからでした。 結果として、僕はそれから何ヵ月も「てのはし」さんの所に通い、この国の貧困問題を直接現場にてこの目で学ばせて頂き、人間的にも大きく成長させていただきました。 「いつかまた戻ります。」 そう言った僕の答えとして、貧困問題というお金の部分は僕には絶対に解決することはできないけれど、炊き出しを配っていて喜んで食べてくれる人を見たり、夜回りでおにぎりを1つ渡しただけで「3日食べてなかった。ありがとう。」と言って受けとるおばあちゃんを見たり、それらの食材となる米を寄付しに届けに来た農家を見たときに、僕はこのボランティアの場には居なくても、人の命を助けてるのは農家であったと気がつきました。 そしてそれは同時に、僕自身が小さい頃から見てきた祖父母の日常の姿でした。 祖父母の田畑に立つ姿を見ていた時には、農家というものに特別何も感じていませんでした。 けれど答えはずっと足元にあったものでした。 僕自身が農家になろう。 そしてそこから「食べれる」ということを当たり前にしてやろうと決めて東京を旅立ちました。 あれから10年。 あの時お世話になった「てのはし」さんで、12月30日に僕の畑でとれたジャガイモを使って、池袋で大勢の皆さんに料理が振る舞われました。 日にちは狙ったわけでなく本当の偶然であり、僕自身が使ってほしいと頼んだわけでもなく、向こうから僕を見つけてまた繋げてくれたのも偶然。 生きていると本当に時々、不思議な事がおこります。 母子家庭、父子家庭、施設の子供たち、生活困窮世帯に、農産物の売上げから30円を寄付として食べ物を届ける。 こんな流れが出来始めた今この時に、またこうしてその原点に立ち寄れたことに本当に感謝します。 次の10年後も、これまで以上にどうぞご期待ください。
  • 2018.4.29
    大野村農園通信@ポケマル~その6~ こちらは去年の秋に大野村農園のfacebookに投稿したものです。前回の記事の続編です。 (※記事の中の値上げに関してですが、ポケマルでの金額もこの時を境に、値上げさせて頂きました。ぜひ、最後までお読みいただき、ご理解頂ければと思います。) では、どうぞ。 大野村農園から大切なご連絡です。 前回書いたことを読んでくださった方、まだお読みでない方も、今一度前回の記事をお読みください。 そして改めて、大野村農園からご連絡です。 前回書いたように、僕は幼少期を親元ではなく祖父母の家に預けられて育ちました。 中学になる頃からようやく母と暮らせるようになりましたが、母子家庭での暮らしはお世辞にも裕福と言えるものではありませんでした。 母と兄と僕の3人暮らしの狭いアパートでの生活で、具材の無い麺だけの焼きそばやラーメンが当たり前で、おかずや米は祖父母からの支援でなんとか助けられていました。 それでも当時を振り返っても、あの時を貧しいと思ったとしても不幸だと思ったことは一度もなかったのです。 それがなぜだろうかと考えたとき、とにかく『食べることができた』からだと思えるのです。 母だけの収入では育ち盛りの中学生の男二人を満足に食べさせることも厳しいと思います。 祖父母がお米や野菜を常にうちに提供してくれてたから、僕らは不幸だと感じることもなかったのかなと思うのです。 三食きっちり食べられることがどれくらい有り難い事なのか、過去をしっかり振り返れる今になってようやくわかったのです。 だから二十年ちかく経ち、今同じような状況下におかれている母子家庭のお母さんから『助けてほしい』と言われたとき、なんとしてでも助けたいと思いました。 それでも結果として、目の前の家族を手助けしてあげることができませんでした。 残念だったとか、仕方がないとか、他人だからとか、もうそんな言い訳で自分を落ち着かせることはしたくないんです。 その日から妻と今後のこと、助けてほしいと言ってくる家族が増えていることもふまえて真剣に話し合った結果、大野村農園はその道に進もうと決めました。 10月1日から、大野村農園の『相馬ミルキーエッグ』を誠に勝手ではございますが、値段を60円値上げさせていただきます。 その中で1パックにつき30円を、国内の母子家庭、父子家庭、施設などの子供たちが中心の所へなるべく現金ではなく食品として換えて寄付させて頂きます。 どこにどのような形でといったものはまだ決めかねていますが、その日の食事を当たり前に食べることが出来るように力になりたい。 そして富裕層だけがオーガニックを食べることができ、貧困層は食べることが難しいという食の格差の現実も壊したい。 たった30円かと思われるかもしれませんが、一年でおよそですが10万円から20万円になります。 値上げということに不満を持ち離れていってしまうお客様もいると思います。 色々言われてしまうことも覚悟しました。 けれどもほんの少しだけ、皆で支え合う気持ちを持てば多くの家族が救われるのにと思うのです。 値上げしても僕ら自身がその分裕福になるということはありません。 元々、ミルキーエッグを買ったときに入っている大野村農園通信などは、インターネットなどをできない人のために気持ちを伝えたくて後から付け足した自腹のチラシです。 値段も上がればお店などの手数料で引かれる金額も少し上がります。 本当にこの設定がギリギリなのです。 震災後、交通機関が落ち着いてきた5月に祖父母の家にようやく行けたとき、僕は祖父母に食事をどうしてたのかと訊ねました。 すると、祖父母の近辺の農家は家にあった野菜や食料を、持ってない近所の家族にあげて回っていたと言いました。 持っている人が持ってない人を助ければいい。 そんな当たり前の事を、普段から当たり前に出来るようにしたい。 それを相馬から始めたい。 『相馬ミルキーエッグ』は、どこよりも想いのこもった卵です。 産まれてきてくれてありがとう。 生まれてきてくれてありがとう。 卵を産んでくれたお母さん鳥もシングルマザーです。 みんなで繋がれば絶対大丈夫。 どうかこれからも、大切な人へのプレゼントに、手土産に、家族のために、今までとかわらず相馬ミルキーエッグをお使いください。 これからもどうぞ宜しくお願い致します。
  • 2018.4.19
    みんなの投稿の画像
    いつもありがとうございます! 溢れる想いと、溢れるタマゴが収まりきらず、パックの蓋が閉まりませんでした。 すみません、輪ゴムで留めてお届け致します。 特大タマゴはたぶん双子です♪ ごくごく稀に「三つ子」が出ることも! お楽しみに!明日届きます。
  • 2018.4.10
    大野村農園@ポケマル~その5~ 今回は、去年の秋ごろにあった出来事の記事です。私たちが「ミルキーエッグ1パックご購入ごとに30円を母子家庭などに寄付する」活動を始めるきっかけとなった、とてもとても大切な出来事です。今日はその前編をポケマルユーザーの皆さんにお届け致します。 facebookで既に読んでくださった方も、ぜひもう一度読んで頂けると嬉しいです。 それではどうぞ。 先日、『ここで住み込みで働きたい』という方が大野村農園を訪ねて来ました。 シングルマザーと見てとれる若い女性が、小さな子供たち三兄弟を連れてわが家に来て、今住んでいる家を出なくてはならなくなり、住むところがないと言うのです。 正直に驚きました。 それと同時に、よくうちを見つけて頼って来てくれたと思いました。 明日からでもみんなで来たらいいと伝え、農園の案内もしました。 その中で鶏小屋を子供たちに見せてあげたとき、子供たちは小屋の中にいたヒヨコたちに喜び、時間も忘れて『もっと居たい』と言ってくれたのです。 帰り際、子供がお母さんに『土曜日児童館に行きたくないよ』と言っていたのが切なく、うちに来たらうちの子供たちと一緒にいれるから大丈夫だよと伝えました。 お母さんは日曜日以外はずっと働き詰めなのかなと感じました。 児童館にあずけること、どこかに子供を頼むことは仕方のないことです。 でも子供の本心は、お母さんと一緒にいれなくて寂しいんだろうなと思えて、自分の子供の頃を思い出してつらくなりました。 うちもずっと幼少の頃から母子家庭で、お母さんは働き詰めでいつもいなかった。 お母さんは普段一緒にいれない申し訳なさからか、そんな僕を喜ばせようと数ヶ月に一回、どこかに旅行に連れて行ってくれました。 でも、あの頃の僕は必ず連れていかれる旅行で不機嫌になり、いつも母さんに『なんでせっかく連れてってあげてるのに怒ってるの』と言われていました。 当時は自分自身でもなぜ不機嫌なのかわかりませんでしたが、今ならわかります。 僕はどこにも行かなくてよかったんです。 当たり前に家でお母さんと一緒にいれるだけでよかったんです。 父親もいない。 お母さんも旅行の日が終わるとまた会えなくなる。 本当に、寂しかったなと今思い出しても思います。 それから二十年もたち、もしかしたらそんな状況にいる子供たちが今、僕の目の前にお母さんに連れられて現れたのだから、何もしないなんてできやしない。 やれることはなんでもしてあげたいと思えて、うちに来たらいいと何度も言いました。 けれども最終的には、給料面からも子供を養っていくにはうちでは厳しく、後日、なんとか県営住宅で住むことが出来るようになったと報告もあり余所で働くとの話をされました。 では余所で働けば生活出来るのかと言えば、うちよりもほんの少し給料が良いくらいの話で、それでも今は本当にその少しの給料の違いすらも大事なんだろうと女性を引き止めるのを諦めました。 世の中には、このような母子家庭、父子家庭の家族がたくさんいて、どうすれば良いか、どこに助けを求めれば良いか悩んでる親子がいるんだろうなと思えて、自分の無力さにも悔しくなりました。 もっとしっかり親子を受け止められるくらいの売上を出せる農園であったら助けになれたかもしれません。 僕自身、農家を職人と呼べるような位にという気持ちでやってきて、正直、売上を上げることより生産物を作品として魂を込めろと言ってきました。 売上より人の心に残せという気持ちで大量生産から離れていたのです。 それが今、少量しかやらないことでお金が足りなくて助けられないという現実に直面して、悔しさが込みあげた。 農家は、大野村農園は、実は子供連れでも住み込みに来れるし、食事も三食付いてるし、子供連れ出勤も出来る凄い環境じゃないかと今回の家族の経験を得て改めて気がついた。 そして自分たちがニワトリを飼い、卵を販売する事になった原点を思い出した。 相馬の物は子供たちに食べさせたくない。 そう言われた中から、うちの子にどこにもないような最高の卵を食べさせてやろうと熱くなったあの日、うちの子だけじゃなく、余所の子供たちにも相馬の卵は最高だと食べさせられる日を夢見てました。 けれども現実は、こだわり抜いた卵は高値販売しかできず、結果として富裕層中心に手に入れられるものになってしまいました。 うちだけではなく、海外などオーガニックが 進む国でもやはりオーガニック商品は割高で、富裕層が買い占め、貧しい世帯の子供たちの口まで届かない現実があります。 これで良いんだろうかとずっと悩んできました。 それでもなかなか出せない答えの中でこの親子が僕の前に現れたのだから、僕らのやるべきことはここなんじゃないかと今、先を見て点と点が線に繋がりそうな兆しが見えてきた気もしています。 けれどまだ僕には足りない部分も多く、わからないことも多いため、先日、そうま食べる通信編集長の小幡広宣さんに相談したところ熱く想いに感銘してくださり、その日お米を運ぶのにトラックを出してくださったお礼の代金を、卵10パックとしてご自身が受け取るのではなく、相馬ミルキーエッグを子供たちに食べさせてあげたいと気になっていたけど、なかなか価格面でも手を伸ばせなかったという家族がいたら、差し上げてほしいと言ってきました。 周りにこうした熱い人達がいること、助けてほしいと言ってくる人達が絶えないこと、そして僕らの想いがこれまでもこれからも途切れないのだから、この先も困難ばかりでしょうがやれる気がしています。 どこよりも相馬がやるべきじゃないか。 震災後、そうま食べる通信が立ち上げの時に言った言葉が胸に刺さります。 僕らも農業を使って相馬で自分に何が出来るのか、その答えをこれからしっかり出していきます。
  • 2018.3.21
    みんなの投稿の画像
    大野村農園通信@ポケマル ~その4~ 「今日は山の神様の日だから夕方餅取りに来い。」 農作業中に祖母と畑で会うと、そう当たり前のように言ってきた。 僕がこの古里に帰ってきてから、毎年この時期になると祖母は決まって「山の神様の日だ」と僕に言ってくる。 祖父母と暮らしていた幼い頃は聞き覚えはなかった。 大人になり、離れて暮らすようになってから「餅取りに来い」という理由で呼ばれるようになり、ようやく毎年この時期に食べてた餅が「山の神様」の為に用意していたものだったんだと理解できた。 夕方、餅を取りに祖父母の家に行った時に山の神様について聞いてみた。 けれども晩酌を始めていた祖父からは難しいことは聞き出せなかったけれど、「もうやる人はずいぶん減った」という寂しい話と「うちの山に神様がいんだ」という誇らしげな話は僕の心に入り込んだ。 祖父母は口に出さなくても、色々な場面で古くからの風習は自分たちの代で終わりだという態度を見せる。 時代が変わっていくことで、自分たちの生きてきた時代は古い時代だと自分たちで決めつけて、「若いもんはこんなことしないんだから」と、祖父母の二人で言い合い後ろに下がろうとすることもある。 確かに時代は大きく変わり、農村にも大型化やら工場化やらITやら太陽光やらと、祖父母たちの世代はその中身をわからなくても、若い農家に余計な口を出すのは止めようと思うほど、世の中は変わったのかもしれない。 けれど僕は、今日祖父母から渡された餅を見て、もち米を育てるところから用意し、小豆を育てあんこを作り、えごまを育て十年餅を作り、今日この日に山の神様に捧げるために用意した二人を見て、カッコいいと思った。 こんな百姓になりたいと、改めて思った。 どんなに時代が変わっても、僕は祖父母のこんな生き方は人間として一番正しいと思えるし、今の日本人にもう一度必要なのはこんな生き方だと思っている。 そして、こんな生き方を僕は息子と娘にも見せてあげたいと思っている。 少し調べてみると、地域により異なるけれども、山の神様は春に降りてきて田畑を見守り、冬に山に戻るらしい。 もちろん田んぼにも田の神様がいるし、畑にもいるだろう。 でもどこからか混ざって、皆一緒になっている地域などあるらしい。 僕の地元ではそれがどうなって伝わっているのかわからないけれど、山の神様も、田の神様も、畑の神様も、別に皆一緒に居てくれてもいいと思う。 祖父母は山の神様に餅を供え終わったら、仏壇にも供える。 仏壇にいるご先祖様も地域により、山に帰るといった話もある。 もしかしたら山の神様も、田の神様も、畑の神様も、元は僕らのご先祖様なのかもしれない。 何十年もの間、こうして餅を作りその地の神様を崇める祖父母たちは、けっして時代に遅れた生き方などではないし、むしろ凄いことをしていると思える。 そんな祖父母たちが諦めてしまうのなら、僕らが引き継ぎ次に繋げたい。 本当の農家は、継ぎたいと思えるほどカッコいいのだから。
  • 2018.3.11
    みんなの投稿の画像
    大野村農園通信@ポケマル~その3~ 今回は、初めて鶏を自らの手で絞め、命を頂いた時の記事を改めて振り返ってみたいと思います。読んだことがある方もぜひもう一度最後まで読んで頂けると嬉しいです。 また、大野村農園ではただ今「大人の食育」と題して、一般の方を対象とした、鶏を捌く体験を催しております。興味のある方はぜひ農園のfacebookの方もチェックしてみて下さいね。なお、イベント日以外の日も体験可能です。ぜひご相談下さい。 29年間生きてきて、今日産まれて初めて自分の手で命を終わらせてそれを食べた。「ニワトリ飼うのにしめ方もしらねぇのか?肥えてきたらしめ方教えてやる」 ニワトリを飼いだした僕に70をとうにすぎたじいちゃんがそう言ったのは4月のヒヨコがうちに来た日だった。あれからいつか来るいつか来ると思って飼い続け、今日その日が来た。好き好んで命を奪いたいわけじゃない。産まれたばかりのヒヨコから飼い始め、最初の1ヶ月は毎晩、夜になると寒いんじゃないかと心配して懐中電灯片手に小屋まで見に行っていたほどだ。初めて卵を生んでくれた日は、嬉しくて飛び上がりたいほどだった。家畜というより、ペットに近かった。それでも今日、じいちゃんに頼んでやり方を教えてもらう道を選んだ。 二羽のニワトリを小屋から捕まえ出し、羽をクロスさせて紐で結ぶ。 相変わらずじいちゃんは言葉で教えず、ただ「見ろ」と言う。 二羽をじいちゃんの山まで持っていって、そこで血を抜いた。 ナタを持つじいちゃんは、まるで感情がないかのようにニワトリの首にナタを振り下ろした。 「おめぇもやってみろ」 そう言われていきなりナタを渡された僕は、素直に怖いと思った。 やってみろと言われて、はいそうですかと簡単に動物の首に刃物を振り下ろせない。肉を食べるってことは必ず誰かがこれをやっていて、僕らはやり終わって綺麗な肉になったものを買ってきてるだけで、実際に目の前にニワトリとナタが用意されたら、本当に怖かった。 一羽の肉なんて、千円くらいのもんだと思う。 できれば千円払って肉買ってきて終わりにしたいくらい、ナタを持つ自分の手は重かった。 そうこうしているうちに、妻が様子を見に車で駆けつけてきた。 そしたらじいちゃんが今まで見たこともないくらい怒鳴った。 「バカこの!!腹さ子供いるもんが見に来るんでねぇ!!頭のねぇ子が産まれっど!!」 妻も僕もびっくりしたけど、じいちゃんは本気の顔で怒鳴りつけた。 僕はじいちゃんが昔からの迷信じみた話を信じていて本気で怒ってくれたことが、何の感情も持たずにさばいてるんじゃないと思えて嬉しかった。じいちゃんたちの考えの中には所々で八百万の神様を信じるような古い考えがあって、百姓という生き方はそこに一番近いのではと思えた。 そんなことが頭を巡ったら、なんだかやれる気がしてそれからすぐに僕はナタで1つの命を奪った。 2つの命あった物を持った僕とじいちゃんは山を降り、家に帰り2つにお湯をかけ、羽をむき、さばき、そして夕食に並べた。 どこに食事に行っても簡単に食べれて、どこに買いに行っても簡単に買える。 当たり前のように食べられる肉が、やっぱり軽いものなんかじゃないと感じた日になった。一羽さばいたくらいで大袈裟だと思われるかもしれないけど今日の経験は生涯大事にしたい。
51-60表示/71件中