愛媛県宇和島市
中島六三郎 | 中島みかん園
宮川早生、南柑20号、今津ポンカン、不知火、甘平、せとか
当園は、愛媛県宇和島市の沿岸部に位置しており、
年平均気温16~17℃という四季を通じて温暖な気候と、
宇和海(うわかい)からのやわらかい潮風とが、
毎年おいしいみかんをもたらしてくれています。
みかん畑からは、青い海と有人無人の島々が望めます。
中島家四代目の六三郎は、
昭和24年生まれの団塊世代。
高校卒業後、市役所に奉職。
平成17年8月の市町村合併を機に早期退職して、
セカンドライフをみかん作りに励んでいます。
以前勤めに出ていた頃は、父母や家内が手入れをし、
休みの日に主な作業を片付け、
ご先祖様から受け継いだ農園を守ってきましたが、
いわゆる兼業農家でしたので限界がありました。
しかし退職した今日は、
専業農家としてみかん作りに情熱を注ぎ、
持ち続けていたこだわりを実現できる喜びのもと、
毎日を楽しみながら大地の中で汗しています。
最近では、より効率よくみかん作りができるように、
農道の拡張や倉庫の建設、
スプリンクラーの周辺農家との協同敷設等、
これまでできなかった施設整備を
かなりの経費を注ぎ込んで行いました。
次は何をしようか、考えるのも一つの楽しみです。
我が家の農地では、
戦前まではサツマイモと麦の主食を栽培しており、
併せて近海で、
真珠養殖業と漁業を営んで生計を維持しておりました。
その後、戦後の混乱期を乗り越え、
時代の流れと周辺のみかん景気の波にのって
みかん園が誕生し、現在まで約75年続いています。
周辺地域では135年前から栽培が行われていたことを考えますと、
歴史はまだ浅いほうです。
栽培を開始した当初は、
収穫したみかんを背負子や天秤棒を使って、
みかん山の段々畑から海まで500mの道のりを人力で運び出し、
宇和島の街中まで船で出荷していました。
その後、昭和40年頃から山に農道が開通し、
現在のようにトラックで運び出せるようになりました。
また、平地の畑や田んぼとは異なり、
みかんの木が生い茂る段々畑では、
段ごとに荷物を運ぶのに大変な労力を費やします。
そこで、昭和50年頃モノレールを敷設しました。
現在ではモノレールはどの農家も使用していますが、
当時モノレールを持っている農家は珍しかったと思います。
ご先祖様から受け継いだ農地は80アールで、
みかんの木は約1,000本ありますが、
老木になったため、近年少しずつ苗木に植え替えています。
最近は、みかん作りができなくなったお年寄りの農地を借りており、
耕作面積は150アールになっています。
愛媛県、特に宇和島地方は台風銀座でして、
毎年台風の通り道になりますが、
みかんはリンゴや梨のように、
暴風で果実が落下することはほとんどありません。
もちろん、
その時期に青く実のついている
極早生温州などには傷がつく恐れはありますが、
台風が続くことで最も影響を受けるのが、
収穫量ではなく、肝心の「味」なのです。
中島みかん園のみかんを
一度でも食べたことがある方には分かると思いますが、
この辺りで収穫されるみかんは中袋が薄く味にコクがあります。
なぜなら、
南国の太陽の光が宇和海に反射して段々畑のみかんを照らし、
コクと柔らかさをもたらしてくれるからです。
しかし、
日照時間が不足し風雨に耐えて育ってしまうと、
中袋も外皮も分厚くなり、
コクの無い水っぽい味の頑丈なみかんになってしまいます。
多少の台風は恵みの雨をもたらしてはくれますが、
何度も来て欲しくはないものです。
宇和海に面した温暖な気候に恵まれた南予地方は、
愛媛の果樹栽培の主産地として発展してきました。
宇和海から見た一帯の段々畑は、山の斜面に沿って、
麓から頂上まで続く壮大な景観をなしており、
「耕して天に至る」と称される大果樹園が拡がります。
その眺望は、宇和海沿岸のみで見られる貴重な風物詩となっています
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