ゼロからの開墾永続可能な農業を
―― 人も自然も搾取しない暮らし
岩手県花巻市東和町
酒匂徹さんと集落の方たちが育てる
集落営農で作業の効率化は確かに進むが、人手がかからなくなることで、そこに暮らし続ける人がどんどん減っていくことになれば、農村集落の姿はだいぶ変わってしまうことになるだろうという懸念がある。農村の暮らしは決して生産活動だけで成り立っているわけではない。日々の生活の営みがあり、様々な地域行事もある。実際、この集落で続いてきた郷土芸能の神楽は後継者不足で途絶えてしまった。だから、農地が空いたところには、エコビレッジに共感する新規就農者を外から積極的に受け入れたいと考えている。大規模化・効率化を進めやすい平場の農地は担い手が続けられるだろうが、耕作放棄地になりやすい山あいの農地にこそ、農的暮らしを楽しみたい人を呼び込みたい。
地域の障害者との連携も深めている。経済の低迷で仕事に困っていた地域の福祉作業所に雑穀の選別作業を委託することで、雑穀の栽培面積を増やすことが可能になった。最近、注目されている農福連携のネットワークでは「耕作放棄地を解消するのは私たちだ」と意気込んでいる。施設から飛び出て、みんなの目のつくところに障害者が出る。高齢化で維持困難になった農地を障害者が耕している姿を見せることで、みんなが個性を発揮し、お互いに協力し合うことで感謝し合える関係が生まれることは、地域を豊かにするはずだと酒勾さんは確信している。
「農家が儲からないからこういうこと(障害者との連携)になる。儲かっていたらこうはできなかった」。どこまでも前向きな酒勾さんだが、これもパーマカルチャーの基本的な考え方から来ている。「問題は解決の糸口」。私が酒勾さんと出会ったころに何度も耳にした言葉だ。
パーマカルチャーの提唱者、ビル・モリソンは「野生化しろ」と言っている。酒勾さんを見ていると、自然から離れて都市生活を送る自分たちとの決定的な違いを感じるのだが、それはこの野生の有無のような気がする。野生、それは文明化する以前の私たちの命そのもの、つまり原始の自然そのものの姿だ。人間がコントロールできない自然を排除した都市生活の中で、私たちの野生はすっかり削がれ、生き物本来の力も弱まってしまったのではないだろうか。野生化する文明人の酒勾さんには、その生き物としての力を強く感じる。
人間がコントロールできない世界のひとつに農業がある。農業は人間がコントロールできない自然が相手だ。だから、農業には何が起こるかわからない不安が常につきまとう。台風が来れば、1年の努力が無に帰すこともある。しかし一方で農業には何が起こるかわからない期待もあると酒勾さんはいう。不確実でも種をまけば芽が出るという期待感があるからやっていけるのだと。私たちは自然から離れ、何が起こるかわからない不安から逃れることができたが、同時に何が起こるかわからない期待をも手放してしまったのではないだろうか。そう考えると、酒勾さんが暮らす森の世界の方が、なんだか広く開かれた世界に感じるのだった。
酒勾さんの妻、淳子さん。加工食品づくりにも、農作業の合間の充実した昼食にも淳子さんの腕が欠かせない。
転載:「東北食べる通信」2016年10月号