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西村泰延

宮崎県西諸県郡高原町

西村泰延 | 健康農産 美土里農園

人参、さつま芋など、根菜類中心に旬の多品目・多品種の露地野菜

【健康農産 美土里農園の(にしちゃん)こと西村泰延です】 農家一代目、宮崎県高千穂町は世界農業遺産の段々畑に2021年2月に借地、借家にて開園。2024年2月10日、同じ宮崎県は霧島国立公園の麓に位置する高原町(タカハルチョウ)に自家農園として移転再開園。 土の力を最大に吸収する根菜類を中心に、人参、さつま芋など、人の健康に関わる旬の露地野菜を農薬や化学肥料を一切使用せず育てています。また開園時より全圃場はオーガニックJAS認証取得に向け有機的管理を実施しています。 約40年間に渡る2次、3次産業に係わる仕事から、永年の思いであった命に係わる最も大切な産業である1次産業での再スタートです。  健康農産の理念 「身土不二」の基、健康な土から育つ健康な農産物を通して人の健康に貢献する。 ・・・「身」 体の健康 と 「土」 環境の健康 は「不二」ひとつのもの・・・ 【1次産業への思いから再スタートした動機】  転機は30年前、当時2歳の愛娘の病気でした。小児がん、それも小脳と脳幹の間に卵のL玉と同じ大きさ。メデュロブラストーマ(髄芽腫)と呼ばれる最も悪性度が高いものです。水頭症を併発しており頭が破裂寸前で緊急手術となりました。大学病院の先生の方々には、大変ご尽力をいただきましたが、生存についての言及はなく、当時はガンが自然治癒することはありませんと言われたものでした。 あれから30年・・・、私は白髪が増え、慣れない日々の野良仕事に関節が痛む日々ながら、愛娘のがんは自然治癒し再発もなく、兄弟3人それぞれ元気に社会で働いています。今やがんは眼中にありません(笑)、余談ながら私も健康診断ではその後オールAを維持し、65歳にして老眼知らずの1.5です。そして、この30年を通して自然の摂理を体現し学ばせていただいたことから、いろいろな思いが沸き上がり動機となっていったのです。この30年来の思いは最後の章に書いていますので、お時間がある方はお付き合いください。 【消費者から生産者へ】  ポケマル消費者から生産者となった農園主としては、消費者の立場で考えていたことを生産の現場でいろいろとやってみたいと思います。野菜達の育成技術の習得や土を育てる自然環境に慣れるまでは、まだまだ未熟な生産者ですが、消費者の皆さまから率直なご意見や教えを頂き、皆さまに育てていただければ幸いです。何なりとご質問お意見を頂きたく、これからもどうぞよろしくお願いいたします。 最後に、ここに至るまでに大変お世話になったポケマル生産者のオーガニックすみだ農園の住田学さん、同じく、ここんのうえんの爰野敬典さん、宮崎県綾町の皆さま、ここ高原町と高千穂町関係者、特に高千穂町川登集落の皆さまのお力が無ければ、美土里農園は存在しませんでした。感謝しても感謝しきれません。この場を借りて心より御礼申し上げます。  それから何よりこの場を提供いただいているポケットマルシェ代表の高橋博之さんをはじめ社員のみなさんに心より感謝申し上げます。ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。 【30年来の思いとは】  ここからは、いろいろな思いが沸き上がり農家となった過程についてお話しますので、お時間がある方はお付き合いください。 さて、30年前の当時は、がんが自然治癒することはありませんと言われ、免疫療法の一種であるLAC療法や放射線治療、抗がん剤もありましたが、自分でも調べれば調べるほど効果がないことを思い知らされました。 そして23時間にも及ぶ脳手術で、がんの1/3は切除できたものの、まだ2/3もの塊が残っており、藁をもすがる思いで民間療法とも言われる代替療法を調べていました。 皆さんは体に薬を入れることに不安はありませんか?私はこのころから薬の使い方に違和感を抱き始めていました。この違和感を決定づける出来事が入院中の大学病院で起きてしまいました。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)による院内感染です。当時メディアでも大きく取り上げられましたが、抗生物質の多用が原因だったようです。愛娘を含める小児病棟内ほぼ全員の患者さんが39度を超える高熱を発しました。感染原因となる点滴ラインは入院以来初めて全て外されたのです。当時愛娘は放射線治療の副作用で口からの食事が間々ならず点滴だけが命綱の様な状況だったのです。入院当初より知り合いから勧められた、液体の酵素と瑞芝液(日水製薬)を混ぜて病院の許可を得て飲ませていました。すぐにもどしてしまうことも多いなか、それでも付きっきりで注射器の容器部分を使って口に直接はこび、飲ませていました。その結果、何時も血液検査は正常であり、何よりMRSAによる39度を超える高熱は愛娘ひとりだけ半日で平熱に下がり、点滴が全て外れているため、小児病棟内をそれは楽しそうに走り回るようになっていたのです。 そして約3か月に渡る入院を経てこれ以上治療する手段もなくなり、まだ1/3のがんの塊が残ったままでしたが、退院させることにしました。退院後は有名な漢方医のもとを訪ねてみたり、いろいろな文献を探したりしているなか、出会ったのがマックス・ゲルソンの「ガン食事療法全書」と、自ら「星野式ゲルソン療法」を実践されていた星野仁彦医学博士です。なんとここにはガンは自然治癒すると書かれており、お医者様自身が実践されているではありませんか。希望の光が見えた瞬間でした。 ここから約2年間、星野式ゲルソン療法を中心に、自然療法と呼ばれるもので 「自然の摂理に照らし合っている」 と考えられるものは積極的に取り入れました。 この考え方は自分の中で最初から確立したものではなかったのですが、待ったなしの状況で何とかしなくてはと前に進んで行く過程で確信していったものです。当時は信頼できそうと思ったものは手当たり次第にやってみたと言うのが正直なところです。 信頼できそうとは言え、不安を取り除くことが出来る訳もなく、愛娘ひとりではなく家族全員で不安を抱えながら実践していました。それからちょうど1年目、1ヶ月に1回の大学病院での定期診断の日、退院後だんだん小さくなっていったガンは1年かけてMRI画像から完全に消えていました。先生から完全に消えています。と言われた時の喜びは今でも忘れられません。 この間、そしてその後も長い間、ゲルソン療法をサポートしていただいた医聖会の皆さま、並びに新鮮なニンジンや多くの有機野菜を届けていただいた千葉県を中心にした有機農家の方々、青森県は竹嶋有機農園さんのリンゴ。そして何より励ましていただいき、一緒に星野式ゲルソン療法を指導、実践いただいた星野先生。この皆様に愛娘の命を助けていただきました。この場をお借りしてあらためて感謝申し上げます。 今ではエピジェネティクスと言われ、環境との関わりや生命維持に関わるDNAスイッチが働きガンは自然治癒する可能性があり、さらに食事や運動などの経験の一部は遺伝子のDNAスイッチを介して子孫にまで受継がれるとまで言われるようになりました。 このことはまさに家族で実践してきたことが、ほんの一部であってもエビデンスとして追認され、「自然の摂理に照らし合っている」 と考えられるものを実践してきたことの結果として生かされた、生かせてもらえたと考える様になって行きました。 当時、自宅は那須塩原にあり愛娘の退院後も新幹線通勤を続けながら11年間、愛娘に有機野菜を食べさせたい思いから、この地で週末農業をやりはじめることにし、近くで唯一の有機農業を営む農家の方から5アール程の農地をお借りし、手ほどきをいただきながら野菜作りを楽しんでいました。そんな中、有機農産物の対価の低さを知ることになり愕然とすることになるのです。今のようにインターネットが普及しておらず販売に大変ご苦労されている現実を目の当たりにし、命の対価があまりにも低く取引されていることを考える様になったのです。  その当時から現代社会を顧みると、命の源であり一番大切であるはずの一次産業よりも、あまりにも二次、三次産業優先の偏重した経済社会へと変貌していて、自分自身もまた同じ考えだったのです。そして人の幸せは健康あってのことであるはずなのに、主要因である自己疾患が原因で健康寿命は、悪化の一途であり、大量の薬を消費しながら命を繋いでいる社会です。一方、感染症は征服したかのような現代医療もコロナウイルスの出現に大きく揺さぶられています。 この現代社会が健康で幸せな社会になるためには、「自然の摂理に照らし合っている」 生き方が問われているように、私には思えてなりません。 このことを考える上で、現代社会全体の考え方が「人間から自然を見る方向」 に偏重していることに思いが至りました。言い換えれば、ポケットマルシェの高橋博之さんの言葉を借りると「人間中心主義」です。全てにおいてエビデンスを求め、エビデンスがないものは認めないという方向性の考え方です。この考え方だけでは今後ますます社会は行き詰まり、今後生きていけない、生かせてもらえない可能性を感じています。 なぜなら「人間から自然を見る方向」だけでは、まだまだ自然の摂理のほんの一部を見ているだけに過ぎないからです。もちろんエビデンスを求め自然の摂理を探求し、ここで生まれるテクノロジーを利用することには大いに賛成です。しかし、一方では「自然から人間を見る方向」の「自然中心主義」のような考え方が必要に思えてなりません。「自然の摂理に照らし合っている」 生き方のためには「自然から人間を見る方向」の考え方が必要になります。なぜなら人間は自然の一部だからです。 このことを、愛娘の病気へ当てはめて考えてみると、前者の「人間から自然を見る方向」の考え方はエビデンスに基づく対処療法的な現代医療の考え方です。もう一方、後者の「自然から人間を見る方向」の考え方は、なぜ自分自身の細胞なのに反乱を起こしてしまったのかを考え、根本治療を目指す漢方医療的な考え方です。この両方が合わさって「自然の摂理に照らし合っている」生き方が出来れば、結果的に生かされ、生かせてもらえることになると考えています。これは幸せな生き方とも言えると思います。 さて、ここまでくると、「人間から自然を見る方向」の考え方とは何か?さらに掘っていきます。そもそも人間も自然界の生物として生きています。もっと言うと、完全に自然から生かされている生物です。この自然から人間に対し、進化の過程で与えられたもの、もしくは人間が自然界から会得したと言えるものの中で、生きる上でもっとも重要で特徴的なもの。それが欲望と理性だという思いに至ります。「人間から自然を見る方向」で優勢なものが欲望(欲求)。「自然から人間を見る方向」で優勢なものが理性だという思いにも至ったからです。前者欲望は大脳が司り、後者理性は心が司ります。 つまりこれからは心の時代と言われる所以です。 欲望(欲求)はマズローの言う段階が有るにせよ、どの段階にも際限がありません。どこまで行っても欲には切りがありません、また達成したとしても充足しか生まれません。一方欲望を抑えることが出来るのが唯一理性です。理性を働かせれば、結果として心が触れ合い、心が満たされ、喜びや幸せが生み出されます。 ここからの話は更に長くなりそうなので、別の機会にします。 最後に、人間にとって最も「自然の摂理に照らし合っている」ことはなんだと思われます?最も幸せなことです。 そうです、子供が生まれたとき。孫が生まれたときです。 これは生物共通の自然の摂理といってもいいと思います。 私は椎葉村で縄文時代から4000年、今も脈々と受け継がれ、1000年先も見通せる、焼き畑農業で生きていく、「クニ子おばばの言葉」が大好きです。 「世渡りだもんね。世の中に生命(せいめい)がある限りは、なんにしても生き物は全部世渡りをせんば生きていかれんからね。何十年でも何百年でも何千年でも生きとるから自然とね。生きていて子孫残すためにちゃんと世渡りをする。」 自然は上手くしたものです。つまり心に違和感があったり、心に引っかかったり、心が痛むものは悲しみを生み自然が欲望にブレーキをかけ、さらに試練を与えているとも考えられます。言い換えると「自然の摂理に合ってない」警告であり、現代の言葉で言うと持続可能ではないと言えると思います。 欲望と理性は同居しています。充足が生まれたとき、喜びも同時に生まれる。こんな生き方がしたい。  この「自然から人間を見る方向」である理性を司る心を養うためには、自然とのかかわりを常にもって生きていくこと、言い換えれば自然と最も関わりがあり、生きていく上で最も大切な一次産業に繋がり体現しながら生きていくことだと思ってやまないからです。  以上が私の結論であり、伝えていきたいことです。  最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
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