福島県河沼郡会津坂下町
山口英則 | やますけ農園
たまご マヨネーズ 野菜
1999年から2007年までヨーロッパを中心に海外で生活しました。大学を卒業後、大手ファスナーメーカーに就職し、自ら海外勤務の部署を希望しました。しかし、憧れの海外勤務は、家族に多大なストレスをかけることになりました。
朝は家族が寝ている時間に出かけ、夜は寝静まった頃に帰宅。娘と話す時間もない。休日関係なく出張に出かけ、出たら2週間帰れないといったこともざ らでした。決定的だったのは、フランス勤務でのこと。現地語しか通じないフランスの生活で、気がつけば娘は幼稚園に行きたがらず、もともと虚弱体質である 妻はさらに疲れてふさぎがちになっていました。自分は何をしていたんだろうか…家族のためにがんばって働いてきたつもりが、家族から笑顔が消えてしまって いる……。
このままではダメだ。
悩み、自分の働き方に疑問を持ち、別の人生を模索し始めました。日本のメディアで田舎暮らし情報が増え始めていた頃で、海外からもインターネットなどで情報を取ることができました。農業をして暮らせば、家族と一緒にいる時間が持てる。
人生一度しかない!
帰国を決意し、子どもの頃に育った福島県会津坂下町に移住しました。
で、なんで養鶏だったのか?
や ますけが幼い頃、父親が自宅の庭先で鶏を飼っていたんです。その記憶と体験があったので、なんとなく自分もできそうかなと……。米や野菜に比べれば、初 期投資が少なくてすむことも理由の一つでした。生業として農業を営むつもりでいたものの、思い描いていたのは、家族とのんびり楽しい農的暮らしだったのか もしれません。
しかし。
やり始めてみると、現実は違っていました……!
第一に、それで家族3人が食べて行こうと思ったら、農業は、養鶏は、そんなに甘いものではありませんでした。
第二に、やますけは、根がまじめなんですね。というより、ものごとを突き詰めて究める職人タイプなんです。だから、鶏種も餌も飼い方も、自分が納得できる 方法に徹底的にこだわり追求しました。結果は、早朝から夜遅くまで、鶏の世話やさまざまな雑事に追われる毎日。またもや猛烈な忙しさです(笑)。ただ、今 度は家族がすぐそばにいます。それが大きな励みであり、もう一度家族の笑顔を見たい、それだけできょうまでがんばってきたようなものです。
フランスにいた頃の辛そうだった妻を想い、彼女のことを考え、彼女のために、栄養価が高く中国では薬膳食材として用いられている烏骨鶏のたまご、しかも妻が安心して食べられるものをつくりたかった。それが「妻のためのたまご」になりました。
ヨー ロッパにいた時、日本で流通している卵の品質が良くないことを知りました。日本で主流であるケージの中に閉じ込めて飼う過酷な環境は、鶏の体にストレスを 与え、そのために弱った鶏の体には薬剤を、餌には添加物を与えて産ませたたまごは、娘に食べさせたいものではありません。娘が健やかに育つ、本来の完全栄 養食品としてのたまごを娘に食べさせたいとつくったのが、「娘のためのたまご」なのです。
特定商取引法に基づく表記
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