Story01
三浦隆弘さん宮城県名取市(せり)
地震発生当日、知り合いの力を借りて深夜、家に帰り着いた
あの日、震度7の揺れを記録した栗原市でトマト栽培の研修に参加していて、直後慌てて自宅に帰ろうとしたものの道路や橋の段差が発生、迂回して大渋滞に巻き込まれ、燃料も底をつき、もう無理かもと思った。その後、知り合いが車を貸してくれたおかげで深夜なんとか、名取市の自宅に辿り着いた。
ビニールハウスで生活、直後は不安だった
幸い津波の被害はなかったものの家の中がめちゃくちゃになり、ビニールハウスに毛布やストーブを持ち込んで1週間ほど暮らすことに。当時私は河北新報でコラムを担当しており、「なるべく電気を使わない生活」などをテーマにしていたため、備えがあった。備蓄の練炭火鉢や石油ストーブで煮炊きもでき、名取市は水道水がいきていたから、問題なく過ごすことができた。
“お互い様” “生きてこそ” という言葉が、自然に飛び交う日々だった
徐々に、親戚や避難所、関わっている障害者の就労支援施設に白菜や米などを運んだ。生産力のない人に備蓄を配る。必要なものを分け合い声をかける。等価交換だとか、お金を取るという発想もなく、ただただ、困っている人がいないか、炊き出しをして被災者がせめて食べるものに困らないように、と、できるだけのことをした。農家の備蓄、地元コミュニティの強さ。お年寄りが持つ農村集落の知恵と出会うことも多く、苦境だからこその農家の強みも感じることができた。
仙台ならではのアイデンティティ、ここで暮らす理由を磨いていく
あれから10年。私は、食べ物を軸に人々をつなぐことに挑戦し続けてきたと思っている。震災前からも、人との繋がりで「名取せり」を育ててきた。食材の旬ではなく、商材の旬で消費され、市場価格が急落するせり。彩のためでなく、せりの味だけで勝負する、せりをお腹いっぱい食べる「せり鍋」が有名になったのも、協力してくれたお店があったから。仲間がいたから。仙台名物はたくさんあれど、原材料までが全部仙台産、仙台でしか味わえない、というものがなかった。せり鍋がその代表格になって、お年寄りに「よくやってくれた」「ここでしか味わえない、ってものがないとね」と喜ばれると誇らしい気持ちになる。たくさんのひとたちに、名取せりの良さを知ってもらいたい。
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